昨日、私が子供の頃に親しんだ懐かしいお名前、漫画家・山根青鬼さんがお元気なことを聞き及んだ。それで、就寝してからいつものように英語の本を読んでいたのだが、頭にちらちら浮かんで来るのは子供時代の漫画のこと。本を閉じて、しばらくのあいだ漫画の記憶をたぐり寄せてみた。
私の漫画歴は小学校3年生だった10歳ころでほぼ終わっている。記憶をたどっても作者の名前とともに思い出す作品の数は多くない。最初に登場するのは、漫画ではなく絵物語だ。山川惣治「少年王者」。1949年に創刊された少年雑誌『おもしろブック』(集英社)に連載された。私は5歳になったかならぬかだったが、すでに文字が読めたので、『おもしろブック』を定期購読していた。当時私たち一家は北海道羽幌町に住んでいた。山川惣治の絵物語は、その後、「少年ケニア」(1951)の連載があった。
と言うわけで、私の記憶をウィキペディアを参照しながらたぐり寄せ、作者別に書いてみる。
☆福井英一(1921-1954)
「イガグリくん」(1952『冒険王』)*
【*】柔道漫画である。連載開始年から3年ほど後に
読み始めた。福井氏が亡くなられる直前だ。
4年生のときに私は生亀先生に柔道を習って
いた。上級生を差置いて同級の木村君が主将
で私は副将だった。上級生たちはイガグリく
んの真似をして空気投げをし、先生に「漫画
の真似をするな!」と厳重注意された。
身体が小さかった私の得意技は寝技と巴投
げだった。寝技は、抑え込む力はなかったが、
相手の首根っこを道着の襟ごと締付けたまま
「まいった!」と言うまで畳の上で円をえが
くのである。あるとき、上級生との対戦で想
いがけず私の小外刈りがかかった。上級生は
仰向けにひっくりかえり脳震盪をおこして気
を失った。さいわい大事には至らなかったが、
以来、私はそれがトラウマになって柔道がで
きなくなってしまった。
私の時代の会津高校の体育授業には武道が
組み込まれていた。柔道または剣道のどちら
かを必ず選択しなければならなかった。私は
少しばかり経験がある柔道を選択したが、じ
つは中学3年のときに腰を痛め、その後遺症
が出る事があったので会津高校では一度も柔
道をしなかった。いつも道場の隅で「見学」
だった。「イガグリくん」と共に思い出した。
「赤胴鈴之助」(第1回のみ。1954『少年画報』)*
【*】福井氏死亡により以後武内つなよし氏が連載を
引き継いだ。
☆杉浦 茂(1908-2000)
「猿飛佐助」(1954-1955 『おもしろブック』)*
【*】杉浦氏の画風が好きだった。この漫画で真田十
勇士を知った。
☆武内つなよし(1922-1987)
「赤胴鈴之助」(第2回以降。1954『少年画報』)
☆横山隆一(1909-2001)
「デンスケ」(1949-1955『毎日新聞』)
「フクちゃん」(1956-1971『毎日新聞』)*
【*】1936年から『東京朝日新聞』に連載されたが
中断したり掲載誌を変えたりし、1956年か
ら『毎日新聞』に復活連載された。
☆横山泰三(1917-2007)
「プーさん」(1950-1957『毎日新聞』)*
【*】横山隆一氏の実弟。
☆加藤芳郎(1925-2007)
「まっぴら君」(1954-2001『毎日新聞夕刊』)*
【*】加藤氏は『オール讀物』(1946年復刊)にも
執筆されていたと記憶する。題名は忘れたが
そのエロティックな漫画が小学生だった私の
お気に入りだった。・・・いや、待てよ、加
藤氏ではなく小島功氏(1928-2015)だっ
たかな? 記憶があいまいになっている。ま
ちがっていたら御両氏には申し訳ない。とも
かくも、父が購読していた『オール讀物』を
書店が届けにくるのを楽しみにしていた。両
親は、私が大人の雑誌を読む事をまったく禁
止しなかった。
当時、改めて注文しなくとも発行日に本屋
が届けてくれた本は『オール讀物』(文藝春
秋新社)、『主婦の友』(主婦の友社)、
『主婦と生活』(主婦と生活社)、『おもし
ろブック』(集英社)、『科学大観』(世界
文化社)、『子供の科学』(誠文堂新光社)、
『少年少女世界文学全集』(東京創元社)、
『児童文学全集』(偕成社)の8冊。本屋が
一度にまとめて届けてくれることもあった。
これ以外の本は、町のこの本屋に私が一人
で買いに行った。図鑑などである。
☆根本 進 (1916-2002)
「クリちゃん」(1951-1965『朝日新聞夕刊』)
☆上田としこ(1917-2008)
「フイチンさん」(1957-1962『少女クラブ』)*
【*】連載年代はウィキペディアに依ったが、私に
は疑念が残る。というのは、この少女雑誌を
私は同級生のカツミちゃんの家に遊びに行っ
て見せてもらっていた。連載開始と記録され
ている1957年、私は12歳、カツミちゃんの
家(お店屋さんだった)は場所を移転してい
たので少女雑誌を見せてもらうために私が遊
びに行くことはなくなっていた。ウーン、記
録と私の記憶にちがいがある。
☆堀江 卓(1925-2007)
「矢車剣之助」(1957-?『少年』)*
【*】私の漫画歴の最後を飾る作品。江戸時代の大岡
越前配下の御庭番を主人公にした作品の奇想が
私は大好きだった。レオナルド・ダ・ヴィンチ
の実現しなかった発明の数々を連想する。どう
やら私の本性に、奇想に心酔する傾向があるよ
うだ。3,4歳の頃に、隣家の赤松さんの高校生
のお兄さんがすべてを手作りした帆船模型(小
さな船員や水夫たちが乗っていた)を見せられ
て、仰向けに空中に引っ張り上げられるような
恍惚を感じた。・・・その感覚を追体験しよう
としているのかもしれない。
☆島田啓三(1900-1973)
「冒険ダン吉」(1933-1939『少年倶楽部』)*
【*】この連載年代もウィキペディに依る。そして、
私には疑念が残るのだ。この年代に両親は結
婚さへしていないし、私は1945年の生れだ。
しかし、私はこの作品をたしかに見ている。
その記憶ははっきりしていて、何故かと言うと
「矢車剣之助」に心酔したと同じ理由で、主人
公ダン吉少年が南の国のジャングルのなかでさ
まざまな物をこしらえ、ジャングル生活を豊か
にしてゆくからだった。丸太からトロッコを作
ったりする、その創意工夫を私はわくわくしな
がら楽しんでいた。・・・私はいったいどこで
その掲載誌を見たのだろう。たしかなのは、戦
前の出版物ではなかったということだ。
私の漫画歴には手塚治虫氏「鉄腕アトム」も横山光輝氏「鉄人28号」も入ってこない。両氏の2作は堀江卓氏の「矢車剣之助」と同時期のものなのだが。・・・はっきり意識していたわけではないが、人間が創ったものながらロボットが人格を備えたかのようにスーパーマンとして活躍する物語を、私の感性はあまり喜んで受け入れなかった。それは私が好んだ「奇想」とは異なった。