連休中に終わらせる予定だった2件の事が、1件は予定どおりに終わらせたが、もう1件がどのように手をつけたら良いのかと迷いに迷ったあげく、きょう、一気にやってしまった。短い書き物なのに1週間の遅延になった。
仕事を遅らせながら、一方でいつもどおりの読書は欠かさない。若桑みどり氏の大著『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』を今朝早くに読み終えた。これも長くかかった。「クアトロ・ラガッツィ」とは「四少年」という意味。
16世紀から17世紀半ばまでのスペイン・ポルトガル・イタリアにはじまる、いわゆる大航海時代の、貿易経済・覇権争い・キリスト教伝道(受容と迫害)・文化交流(人材交流)を、若桑氏は支配者側の史料ばかりでなく、日本で失われた文書をイエズス会古文書館等に保存されている原史料を発掘して、西欧世界と日本とを等分の目で歴史を再構成していられる。
若桑氏は詳しくは書いていないが、その時代、美術史的にはイタリア・ルネッサンスが終りに近づいていた。四少年たちが到着する20年前にミケランジェロが死に、10年前にティティアンが死んでいた。しかしヴェロネーゼはヴェニスにまだ生きていた。死んだのは1588年である。ヴェニスにはティントレットも1594年まで生きていた。そして次代のバロック美術を担うことになるミラノ生まれのカラバッジオは、四少年たちとまさに同年齢だった。四少年たちが身をもって触れたのはそのような西欧だった。少年たちはバチカンに教皇を謁見したとき、システィーナ礼拝堂のミケランジェロの壮大な「最後の審判」と天井画を見たにちがいない。
若桑氏の西欧と日本とを等分に見る目は、歴史的事実のみならず一人一人の人間性に向けられている。支配者側の人物も市井の人物も同等である。その扱い方は他の歴史書には見られないことだ。そして、私が賛辞をおしまないのは、この著作が歴史の再構成と解説におわらず、あえて言わないまでも「21世紀の現代」を照射していることである。
たとえば次ぎの一節はどうだ。
〈世界帝国が形成された時代に中世的な幕藩体制を維持するには強力な思想統制が必要になる。その統制は恐怖と他者の排除によってはじめて効果的なものになる。これから起こる血塗られたキリシタンの虐殺と迫害は、恐怖による支配の最たるものであって、民心の統御に不可欠なものであった。〉(p.500上段)
時代に限定されるいくつかの語彙を変えれば、まったく現在私たちの周囲に起こっている状況を述べている、と私は思う。けだし若桑氏の慧眼である。
私は今後、幾度もこの本を読み直すだろう。
ついでだ。
じつは一カ所、誤植がある。p.411上段8行目。「天正十年」は、ただしくは「天正十九年」である。
集英社 2003年10月30日 第一刷発行 (本体3800円+税)