まだ梅雨は明けないらしい。朝方ポツリポツリの小雨が降ったり止んだりしていたが、いま19時前になって降りかたに勢いがついてきた。
夕刊を取りに行くと、郵便受けに数通の手紙や葉書が入っていた。新聞は新聞で、郵便は郵便でまとめて、それぞれプラスティック袋に入れてある。雨に濡れないようにという親切な気遣いである。この気遣いは今日に限ったことではない。雨や雪が予想されている日はいつものことである。
私はこのような仕事をする人(会社)が大好きだ。職業人は、それがどんな仕事であれ、こういうさらりとした、しかしながら行き届いた神経がなくては、ね。新聞を配達してくれた人、郵便を配達してくれた人の、自分の責務に対する静かなプライドを、私は感じる。「ありがとう」
ところで、もう10日ほども前になるが、山桜の熟れた実をたくさんもらった。いわゆるサクランボである。ブルーベリーに見紛う色あいだけれど、ブルーベリーよりずっと小粒だ。
私は一粒口に含んで見た。苦い。・・・それはそうだろう、改良に改良を重ねたサクランボではない。一粒数千円もする「宝石」のようなサクランボではない。・・・到来の山桜のサクランボは、野育ち、山育ちで、地面にバラバラ落ちた実を拾い集めたものだ。
さて、レジ袋に入れた山桜の実を、食べてくれと私にくれたのでもなさそうだったが、私は何か工夫して食べてみようと思った。よく熟れているので優しく丁寧に洗い、鍋に移し、やや多めの砂糖とたっぷりの水を加えて火にかけた。焦げ付かない程度まで煮詰め、途中で清酒を加えた。
冷めたところで一粒食べてみた。野趣があって捨てがたい味だが、いかんせん苦い。それにほとんどが種である。濾すにしてもうまくいきそうになかった。私はそのまま放っておいた。別に考えがあって放っておいたわけではない。
3日ほど経ってから鍋をみると、とろりとしてジャムと飴の中間のような具合になっていた。再びスプーンで掬って口に入れてみた。「美味い!」
美味いのだ。やや苦みはあるが、嫌な苦みではない。むしろ味に深さがある。相変わらず種ばかりの感は免れないが、口の中でしばらく噛んでから種を吐き出す。まあ、上品な食べ方ではないが、味は上等だ。・・・はははは、口の中は濃い紫になった。
一人で笑いながら、3万年前の旧石器人、1万数千年前の縄文人が、野生の木の実を食べていたであろうことを想像した。食えることを発見して以後、長い長い年月をかけて改良を重ねてきたのであろうことを想像した。・・・文化を。