大谷翔平選手は毎日すごいねー。昨日は29号ホームラン、今日(日本時間7月1日)もダイヤモンドバックス戦で6回の第3打席で30号ソロ・ホームラン。ヴィデオを見ていると、敵の選手も味方の選手も唖然としているのがわかる。日によっては投打で活躍しているのだから、誰もが唖然とし、敬服するのは当然かもしれない。
エンゼルスの同僚スター、大谷選手にとっては兄貴分のマイケル・トラウト選手が、インタビューに応えて次のような意味のことを言っている。
「大谷は他の人と違い、投打出場している。人々は、大谷が毎晩野球場にやってきて、打って投げて帰っていると思っているかもしれないが、そのコンディション作りがどれだけ大変か。彼の頭の中は野球のことしかない。彼ほど野球を知っている人はいないかもしれない」。そして大谷選手の移籍問題に触れて、大谷選手をエンゼルスに引き止める方策は、「みんな金銭問題を言うが、彼は金銭に関心がない。エンゼルスが試合に勝って、彼が楽しめるかどうかなんだ。彼が楽しめるように俺もできる限りのことをしている」と。
私は大谷選手の活躍を楽しんでいる一人だが、実は彼の存在・・・身体(その大きさや能力)や人格・・・をめぐって世界各地から発せられるコメントを見ていると、欧米の人たちが80年以上昔に確信的に抱いていた日本人観にギャップを感じているらしいことが察しられる。昔の欧米のその日本人観は、日本人自身がが持っていた自己イメージとは異なっていたが、ある意味では見事に正しかったと私は思っている。そしてその彼らの日本人観は彼らの政治的判断ならびに軍事的判断の基礎資料になっていた。アメリカ情報部はさまざまな視点から、心理・情動面から、あるいは日本の文物によって、日本人観察情報を収集していた。・・・そうして形成された昔のイメージをいまだに変わらず意識の底に引きずっている欧米人は、意外に多いのかもしれない(日本人の中にも過去の幻想に染まった自己イメージを引きずっている人は非常に多い)。それが一人の野球選手、大谷翔平によって、その実力とその存在によって、ものの見事に打ち砕かれてしまったのではないか。
興味深いのは、自分の日本人観を壊すことができずに野球解説者として、あるいはスポーツ記者として、大谷批判を公言すると、たちまち世界中から抗議が出てくる。
大谷翔平選手の凄さは、野球選手として存在するだけで、「人種」観や「民族」観から発生する差別や偏狭な愛国主義を吹き飛ばしているようである。何も言わずに、彼の実力が、世界の数多の民衆の敬意を引きつけているのだ。これは本当に凄いことだ。