庭の南天の実が色づいた
陽をあびて南天の実の赤きこと 青穹(山田維史)
土佐文旦
ところで「麦秋」とは麦を借り入れる初夏のころを言うが、小津安二郎監督の1951年(昭和26年)の作品『麦秋』に「百葉箱」が出てくるシーンが二箇所ある。ヒロイン間宮紀子(原節子)の兄で内科医の間宮康一(笠智衆)が勤務する病院の庭先にそれはあった。小津映画らしい人物のいない百葉箱越しに病院の窓を望む絵である。
その百葉箱だが、現在ではとんと見かけなくなった。昔、昭和30年代ころには学校のどこか片隅に据えられていたものだ。私の記憶をたどると、長野県川上第二小学校の前庭にあった。福島県南会津荒海小学校の前庭、池のそばの花壇の一隅にあった。会津高等学校の中央中庭ではなく北側の中庭に据えられてあった。
・・・映画『麦秋』を観て、これまで何度も観ていたが百葉箱に気をとめていなかったことに気づき、突然、私の記憶にある百葉箱の映像が蘇った。・・・まあ、ただそれだけの話。ここからひろがるわけではない。
ついでながら、このブログ日記で私は、3歳ころから6歳くりまで住んでいた北海道羽幌町の思い出のなかで、戦後間もない昭和26年ころまで、私の周囲(町)に同年代の子供がいなかったと書いた。映画『麦秋』が公開されたのは昭和26年。ここに間宮康一が友人西脇(宮口精二)と碁を打っているシーンがある。戸外から子供が遊ぶ声が聞こえる。すると友人が「この頃は子供が多くなった」と言う。康一が「今日は内はたいへんでね、とても居られたもんじゃないんだ」と応じる。間宮家には康一の小学生の息子のところに大勢の子供達が遊びに来ているのである。
このシーンを観ながら、私の幼年時代の記憶と観察が間違いではなかったと思った。男たちは戦地から帰還したばかりか、いまだ帰還も叶わずに外地にいたのであった。