|
カテゴリ:「神の子たち」四ノ宮監督
忘れられた子供たち 文部省選定作品(少年向、青年向、成人向) 厚生省中央児童福祉審議会平成7年度推薦文化財(高校生・家庭向) カトリック中央協議会広報部推薦作品 日本映画ペンクラブ推薦作品 日本PTA全国協議会推薦作品 第44回マンハイム国際映画祭 ベストドキュメンタリー賞授賞作品(ドイツ) エコメディア国際環境映画祭1995 Hoimar von Ditfurth賞授賞作品(ドイツ) 第4回地球環境映像祭 社会環境映像賞授賞作品(日本) Encontros Internacionais de CINEMA 1996 ベストドキュメンタリー賞(ポルトガル) 先日、四ノ宮監督の第2作目映画『神の子たち』をご紹介しましたが、 http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200611180001/ 今回は第1作目の『忘れられた子供たち』をご紹介します。 この映画の舞台は、当時地図にもその所在が載っていない村 と言われていた、フィリピン首都のマニラ市北部に位置する、 マニラ湾沿いの巨大なゴミ捨て場、通称『スモーキーマウンテン』。 当時世界3大スラムの1つに数えられていたそうです。 現在そこは閉鎖されていて、そこで生計を立てていた人々は、 『神の子たち』の舞台になった『パタヤスゴミ処理場』などに 移住していると聞きます。 当時、ゴミ捨て場の山の斜面に3000家族、 21000人の人々が、そこで生活していたとの事です。 ※下記は、四ノ宮浩監督著『忘れられた子供たち』より引用 ここは、もともと静かな漁村だった。今から40年ほど前、1954年にこの場所がマニラから出されるゴミの処分場となった。その直後から、捨てられたゴミを目当てに家を作り、このゴミ捨て場の中に住む人々が現れた。 彼らは、ここに捨てられたゴミからまだリサイクルできる物を探し出し、それをお金に換えて生きている。このような”仕事”をして暮らす人たちのことを英語で「スカベンジャー(ゴミを拾う人々)」と呼ぶ。 余談ですが、『スモーキーマウンテン』日本語で『煙の山』と 言われる理由は、いつもメタンガスの自然発火により 煙がたち上っているところからつけられた名称だそうです。 現在は、1995年11月にフィリピン政府により強制閉鎖され、 そこで暮らしている人々は、他のゴミ捨て場に移ったと聞きます。 その1つが、第2作目の『神の子たち』の舞台になった パタヤスゴミ処理場、通称『スモーキーバレー』(煙の谷)です。 前置きが長くなりましたが、映画『忘れられた子供たち』は 四ノ宮浩監督が初めてフィリピンへ行き、 そこでスモーキーマウンテンを見つけ、その後約6年にも渡り 撮影された貴重な映像集です。 その当時の現状が、様々な家族や少年少女を通じて モノクロで撮影されています。(最後の1部分はカラーに変わります) ここでは時々ゴミに混ざって、赤ちゃんの死体や、 病院で切断された手足、殺された人などもころがっているようです。 子供へのインタビューで、 その子供が嫌なことのひとつに上げていました。 「でももう慣れた」という怖い一言も付け加えて。。 (この話は、映画か本かどちらかで語られていました) 汚染された血液がついた注射器も時々ころがっていたそうで、 とても危険極まりないところです。 そこをときには裸足で歩いている子どもたち。 悪臭もかなりのものもらしいです。 四ノ宮監督も、一時期撮影の為にそこに住みつくことを 余儀なくされましたが、体がとても持たなかったそうです。 この映画では、いくらそこから抜け出したくて頑張っても、 このゴミ捨て場から抜け出すことが出来ないフィリピン社会の構造が 少年少女たちを通じて描かれています。 とても考えさせられる映画でした。 ★この映画の詳細は 『忘れられた子供たち』専用HPをぜひご覧下さい。 大変素晴らしいページで感心しました。 http://scaven.office4-pro.com/ また、同名の本も出版されています。 ただし、すでに絶版ですので、図書館で借りるかもしくは、 中古で買うしか手に入れることは出来ません。 私はアマゾンの中古で買いましたが、宝物の1つになっています。 とてもすばらしい本で資料としても優れたものだと思います。 四ノ宮監督がなぜこの地を撮ろうとしたのかその原点が ここには描かれています。 映画とともにご覧になればとても参考になると思います。 再出版をとても希望いたします。 忘れられた子供たち ●『5000人製作委員会』について 先日、次回作『(仮題)天国のこどもたち』(今年撮影終了予定) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月09日 12時56分59秒
[「神の子たち」四ノ宮監督] カテゴリの最新記事
|