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カテゴリ:「神の子たち」四ノ宮監督
●『新作映画・そして僕自身のためのノート』連載第9回目
7月、僕はゴミ捨て場の子どもたちの生活をようやく撮り終え、 一時、東京に戻り映画の編集をしようとしたが、 どうしても自分の彼女のことが気にかかり悶々としていた。 すると、フィリピンに残っていたスタッフの1人から 国際電話が入った。 7人組のJRとクリスティーナがどうやら結婚する予定だという。 僕は撮影を口実に、喜び勇んでフィリピンに戻り、 彼女と家を借り、同居することにした。 12月スモーキー教会で自分の想像を超えていた 「JRとクリスティーナの結婚式」が行われた。 僕は、撮影拒否にあった神父と問題が発生するのがいやで 撮影に立ち会わないことにした。 またこの頃、アキノ大統領退陣を求め、首都マニラで大規模な クーデター騒動があった。 僕は偶然、反乱軍と政府軍の境界地域に迷い込み、 一機の戦闘機が僕をめがけ低空飛行してきた。 僕は全速力で走り、はじめて「死」を覚悟した。 機関銃の玉が僕の背中を掠めたのがわかった。 僕のすぐ前を走っていたフィリピン人ジャーナリストの手が 撃ち抜かれ、血だらけになっていた。 1990年5月、家族思いのエモンが家出したが、 家出先で彼は母に渡すお金を貯金箱に貯めていた。 エモンに聞くと、彼は家出をして3日間何も食えない経験をして、 意識が朦朧となり、知らずに他人の家から泥棒していたことを 話してくれた。 そして、弟ミンショが行方不明になり母が懸命に探してみつけた。 また、JRとクリスの子どもが生まれるが、ゴミがほとんど来ず、 子どもの黄疸の薬代のためにJRは売血しに行くが 体重が減っていたため売れなかった。 3ヵ月後、二人は別居した。 このように貧困とはだんだん人間を人間でなくしていく。 僕はこの悲劇で映画を終わらせたくなかった。 だから僕は待った。 エモンが家に戻り、JRとクリスが仲直りする日まで。 ~以上、四ノ宮浩監督手記、 『新作映画・そして僕自身のためのノート』より転載~ 【1】へ 前へ 次へ ★『(仮題)天国の子どもたち』公式HP http://sensotoheiwa.office4-pro.com/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年02月24日 01時10分02秒
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