カテゴリ:ユークリッドの平行線
ようやく落ち着きを取り戻し、病院のホームページから父へのメールを入力しようとした途端、指先はキーボードに軽く触れたまま止まってしまった。 父に何と書けばよいのだろう。 メールフォームに入力する適切な言葉が見つからず、ただパソコンのディスプレイを眺めていた。陽が陰り始めた部屋の中は薄暗く、画面の中央に浮かんだ真っ白な空欄がやけに眩しい。 立ち上がって灯りをつけると、部屋は瞬く間に蛍光灯の光で満ちた。 おかげで画面に向けて一点に集中していた視線はぐんと広がりを得たけれど、父への言葉を探す思考までもが拡大したわけではなかった。 この空欄を埋めるのは、母の病状、孝之の様子、私も横浜に行く準備をしていること、それから「心配しなくていいからね」の一言。そんなことは分かっている。分かってはいるけれど、それが書けない。父を安心させ喜ばせるような言葉が、どうしても書けない。 「なるべく早く行くようにするから、お父さんは安心して治療に専念してね」 「お母さんも孝之もなんとか頑張っているし、私も横浜に行くから、お父さんも心配しないで頑張って」 言葉だけならいくらでも出てくる。だけど気持ちが伴わない。 照れくさい? そんなものじゃない。 父を安心させなくてはという意識はあるものの、それはどこか義務感でしかなく、父を喜ばせるような言葉を綴るのにひどく抵抗があった。 だいたい子供の頃から、父が好きではなかった。はっきり言えば大嫌いだった。 短気で、いつもイライラして怒鳴り散らかしていた父。休日と言えばパチンコと競馬で、家族をどこかに連れて行ってくれるなんてこともなかった。その上働くことが大嫌いで、母を困らせてばかりいた。父は配管工という職人で、昔は個人で雇われて働いていたので、仕事をした分しか収入は得られなかった。それなのに父は何かと理由を練り上げて、すぐに仕事を休もうとした。母はそんな父の機嫌をとって、なだめすかして現場に向かわせるのに必死だった。 そんな父のことを慕うことなどできるはずがなく、思春期を迎えた女の子が父親を鬱陶しいと思い始めるよりもだいぶ前から、私は父に嫌悪感を抱いていた。 よそのお父さんはみんな、優しくて包容力があって、教養もあって物静かな人に見えていた。どうしてウチの父だけがこんなふうなのだろう。ずっとそう思っていた。 そんな父がひどく上機嫌になる時があった。私が学校で学級委員に選ばれたり、成績表の評価が良かったりすると、父は顔をほころばせ、無邪気に喜んだ。 そういう父を見て、嬉しくなるどころか私は腹が立ってならなかった。 「すごいじゃないか、麻実は」 そう言われるたびに思った。お父さんを喜ばせるために頑張っている訳じゃない、と。私は私のために頑張っているのだから、そんな笑顔するな、誇らしげにしないで、お父さんはお父さんでもっと頑張ったら? それを口にしたことは一度もなかったけれど、鬱陶しそうな顔はしたつもりだった。それすら父には全く通じていなかったみたいだけれど。 父を厭わしく思うようになった原因はもう一つあった。 小学一年生の私が腎臓病ネフローゼ症候群で入院していた一年間、父が病院に顔を見せたのはほんの二、三回だけだった。 入院中、父に会いたいなどと思ったこともなかったので、会いに来ないからといって何も感じなかったし、どうして来ないのか考えたこともなかった。寂しいどころか、怒鳴り散らかす大声のない病院で、かえって伸び伸びと過ごしていた。 しかし一年後、退院して久しぶりに会う父に、どんな態度で接すればいいのか私は分からなくなっていた。なんて声をかければいいのか、何を話したらいいのか戸惑った。父を避けるようになったのは、この頃からだった。 あの時と同じだ。初対面のような気恥かしさと、居心地の悪さ。 メールフォームに何を書き込んでも、気持ちが乗らない。 高校・短大と、私は次第に部活や友達と過ごす時間が多くなり、働き始めてからはますます父と話す機会は減っていった。関わる時間が少なくなった分、父に対する嫌悪感も次第に薄れていった。だんだん忘れていったというか、どうでもよくなっていた。 成人して父のことを許容できるようになったわけではなく、ただ一定の距離を保つことを覚えたに過ぎない。 父に対して鬱陶しい顔を作るようなことはしなくなったけれど、結婚して独立したことだし、この距離は今後も縮まることはないだろうと、縮めたところで何がどうなる訳でもないと思っていた。 私と父は永遠に交わることのない二本の直線のまま。 それでいいと思っていたのに…。 パソコンを前にしていくら考えていたって、にわかに父を気遣う優しい娘になんかになれっこなかった。 父に何かあったら大変だという心配は、父自身のことよりも母や弟、そして私自身が困ると案じているに過ぎなかった。 何もかも父のせいにして、ずっと父と向き合うことを避けてきた。そのつけがいっぺんに回ってきたような、何とも言えない苦さ。 だけど今更どうしようもなかった。 気持ちが込められないまま、まさかそれが父への最後の手紙になるなんてことは露知らず、社交辞令のような言葉を並べてなんとかメールを送信した。 淀んでしまった感情を押し流そうともせずに見て見ぬふりをしてきた私に、この日ついに痺れを切らした神様が風を起こしたのかもしれない。(つづく)
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