カテゴリ:私の猫たち
ウクライナ戦争が味まってもう12日目になりますよ。
その間、どれほどの命が奪われて、どれほどの建物が破壊されて、どれほどの涙が流れたか。 私の困ったへばりつき病が再発して、ここ、ニュース番組と時事放談ばかりにしがみついている毎日です。 もう日本でもドイツと同じニュースが流れていると分かったので、あえてここでドイツの報道を繰り返すことも無いでしょう。 でも私が見ているのは実にラジカルな番組で、派遣記者が生の声と映像を送って来ます。 プーチンの狂気の沙汰が治まる気配は無く、このままどこかに潜んでいるプースケを放っておけば、シリアや中国まで絡んで、第3次世界大戦の原因になるかもしれません。 何と、昨日はドイツ国民の3分の2がこの戦争に巻き込まれる危険性を予測していると報告がありましたが、今日は65パーセント。 あら、ポーランドに避難したウクライナ人を日本で8人受け入れたとこちらのニュースで出ましたよ。 ドイツでは今日で64000人です。 でも今日は気分転換に、悲しいけれど、心の平和を感じるお話を「青きドナウはウッソォだった」ブログから移してきましょう。 (初公開2015年11月15日ー再編集2022年2月23日) 愛猫たちを忘れません 日本にいた時に初めて飼い猫に接したのは、私が3歳のころに預けられていた横浜の伯母の家でした。 昼間は知らんぷりしているくせに、夜になると喉を鳴らしながら布団の中にもぐり込んで来るドラ猫のたまでした。 その喉のゴロゴロが心地よくて、寂しい思いはしませんでした。 私が猫を好きになったのはきっとその猫のお蔭だと思っています。なんせ、三つ子の魂100までと言うじゃありませんか。 日本にいた時に私が飼う猫はいつも捨て猫ばかりでした。 そして一緒に長く暮らせた試しはありませんでした。 なので初めて飼い猫の死に遭遇したのは、ペペとナヌでしたが、その死はまるで神風のようにあっと言う間に来たものでした。 そんな中、クッキーは次第に老いて行く姿を私達に見せていました。 テラスでまったりしていた時に、前の飼い主の来るのを察知して、飛んで逃げ去った昔の美しい猫と、今のクッキーとはまるで別物のようになっていました。 ヨタヨタと歩く姿を目で追う私達の胸には、すでに重く薄暗い不吉な予感が宿い出していました。 日増しに痩せて弱って行くクッキーを見ながら、途方に暮れてとうとう愛猫協会に尋ねてみました。 黙って熱心に猫の状態を聞いていた役員は、そこまで老いているのならこれ以上生かせておくのは酷だと返事をしました。 私達がクッキーに酷な事をしているんですって ⁉ その現実的な言葉が私たちの胸に深く突き刺さって来ます。 確かに見ている私達にもクッキーの状態は辛くて仕方ないのです。 更に言われた事は、既に末期の腎不全なので、毒素が脳に周り、血を吐いたり窒息状態になって苦しみながら死ぬということでした。 それを聞いた時、私たちは恐怖で総毛立ちました。 そんなになるまで愛する可愛いクッキーを私達の元に留めておくのは、非情な我欲でしかないのでしょうか。 けれど、近い将来にその苦しみが来ることは避けられないかもしれない。 肉の落ちたクッキーはまだ協会員の告げた状態まで行っていませんでしたが、私たちは何度も何度も繰り返して話し合い、其のたびに先を考えるのが耐えられなくて話題を変え、そしてまたクッキーを見ては話を戻すのです。 そうしながらクッキーと一緒の何日かを引き伸ばして行きましたが、水さえ殆ど飲まなくなって来たのを境に、これから来るかもしれないその苦しみの前にこの猫とのお別れを決断しました。 幾つかの通りを隔てた獣医との予約の時間が来ると、クッキーが好きだった小さな毛布を出して、痩せた体をそっとくるみました。 プップクンがクッキーを抱いて表に出ると、久しぶりの外の空気が懐かしいのか、毛布から鼻面を出してまるでクンクンと音が聞こえる様に当たりの匂いを嗅いでいます。 大きな青い目を空に向け、まるで、散歩に連れ出してもらったかのような動作で、これから命を奪われに行くことなど知りもしないのです。 満足そうなクッキーを見ると、私達には医院に近づくに従って、本当にこれでよいのかという迷いの気持ちが大きくなって行くばかりでした。 近所の人が猫を抱いて歩いている私たちに声をかけて来ます。 そこに立ち止まってクッキーを見せながら、これから安楽死をさせに行くところだと説明するプップクンの声は途中で泣き声になっていました。 聞いた人が手を口に当てて目を潤ませるの見ると、私たちもとうとう我慢ができなくなり、子供のように二人で涙をぼろぼろこぼしながら歩くことになりました。 もう充分悲しんできたのだから、せめて、お別れの時は心を正していたいと、医院の前で涙をしっかり拭い、お互いに目が赤くなっていないか確かめて、中に入りました。 このような処置の場合は特別な計らいになるのか、待合室には私たちのほかには誰もいなく、すぐに診療室に通されました。 診察台におろされたクッキーは大人しく丸くなっていますが、自分の周りの雰囲気が変わったことになんとなく気が付いたようでした。 私はそのままクッキーを抱き上げて家に連れ戻したい大きな衝動に駆られましたが、口から出たのは、まず麻酔をして寝かせてから薬を打つのでしょうね、という言葉でした。 医者は私の言った言葉に軽い反応を示しましたが、亡骸はこちらで引き取ります、と言うと、すでに用意されてあった注射を、あたかも何事でもないようにクッキーの背中に打ちました。 まるでただの予防注射でも打つような印象を受けたので、私は注射をされたクッキーがそのまま静かに眠っていくのを見るはずでした。 そして、眠って何も感じなくなっている体に打たれた毒薬で私たちから静かに去って行った後のクッキーにお別れの言葉を告げるのだと信じていました。 けれどクッキーは眠らず、間もなく私たちの見ている前でその青い目を大きく剥くと、体を硬直させながらゲェゲェと吐き出したのです。 口から出る泡を見て、安楽死では無かったのかと目の前が真っ暗になり、私は動揺して取り乱しました それはほんの短い間だったのでしょうが、混乱した私が医者に何か叫ぶ前に、クッキーは明らかに酷い苦しみを見せて動かなくなりました。 目を見開いたまま動かなくなった猫に顔を近づけると、眠るどころか少しの息すらもしていませんでした。 医者は弱り過ぎていて麻酔が心臓を止めてしまったらしいと言いましたが、あの苦しみようはその言葉を受け付けませんでした。 あれは本当に麻酔だったのでしょうか。 眠る様に死んでいくはずだったクッキーは、診察台の上で全く知らない恐ろしい顔の老いた猫の亡骸に豹変していました。 私は動かないその猫から決して離れたくなかったのですが、気の弱いプップクンが強引に私を引っ張って診療所から連れ出しました。 彼の行為は私の助けになったのでしょうが、私自身の心の中では、どうにもしようがない後悔が始まり出したのです。 その後悔はまだ続いていますよ。 コブレンツの友人から、老いて病気の進んだ飼い猫を安楽死させたと聞いた時に、その後悔心が安楽死の状態を質問させました。 安楽死と聞くと、必ずその時の状態を聞かずにいられないのです。 友人の猫も吐いたそうですが 「ゲロッと一度吐いただけで、すぐに眠ったわよ。 医者がずっと聴診器で心臓の状態を診て、それから薬を打ったの。 すべてに5分も掛からなかったんじゃないかな。 あれは安楽死だったわ。」 私はクッキーの去って行った時のことをなるたけ思い出さないように心掛けていますが、あの不審なへぼ医者からは遠く離れました。 今は新しい猫たちが来て9年目になりますが(2022年4月に16年目)彼らの健康管理は信頼できる病院にまかせ、ぺぺやナヌの様に自分の家で最後まで看取って行くつもりです。 2005年4月18日 20歳でクッキー安楽❓死 そんなある日のことです。 日毎のクッキーへの後悔の念を和らげてくれた詩を見つけました。 私はこれを何度も読み返し、読み返してはため息をつき、胸に深く伝わって来る言葉からその場面を心に浮かべ、それを信じることにしようと決めました。 そう決めてから逝ってしまった人達への悲しみも大きく変化しました。 これからその詩をゆっくりと、一言一言噛みしめるようにして読むあなたにも、その場面が優しく心に浮かぶ事を祈ります。 そして、私たちをいつか必ず訪れる死の先には、長く抱いていたすべての願いを叶えてくれる場所がある事を信じたいと思います。 虹の橋 作者不明 天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。 この地上にいる誰かと愛し合っていた動物は、死ぬとそこへ行くのです。 そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊ぶのです。 食べ物も水もたっぷりあって、お日さまはふりそそぎ、みんな暖かくて幸せなのです。 病気だった子も、年老いていた子も、みんな元気を取り戻し傷ついていたり不自由なからだになっていた子も、元のからだを取り戻すのです。 ・・・まるで過ぎた日の夢のように みんな幸せで満ち足りているけれど、ひとつだけ不満があるのです。 それは自分にとっての特別な誰かさん、残してきてしまった誰かさんが ここにいない寂しさのこと・・・。 動物たちは、みんな一緒に走り回って遊んでいます。 でも、ある日・・その中の1匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。 その瞳はきらきら輝き、からだは喜びに震えはじめます。 突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。 速く、それは速く、飛ぶように。 ・・・・・・・・・ あなたを見つけたのです。 あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。 そしてもう二度と離れたりはしないのです。 幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、あなたの両手は愛する友を優しく愛撫します。 そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込むのです。 あなたの人生から長い間失われていたけれど、その心からは一日も消えたことのなかったその瞳を。 それからあなたたちは、 一緒に 「虹の橋」 を渡って天国にいくのです。 この記事へのコメント panana 2015年11月28日 11:24 そんな衝撃的な最期の様子を見てしまったら後悔してしまいますね。 でもクッキーは、最期まで家族として大事にされていたことをきっと感謝していると思うし、虹の橋でponkoさまのことを待っていると思います。 ネコは私たちより短命だから、いつかは別れる時が来てしまう。 それでもお互いに、大好きな家族として暮らして行くことが大事なのだと思います。 虹の橋でクッキーが機嫌よく遊んでいる様子が、想像できますよ! ねぎ 2015年11月28日 13:53 たとえ20年と、人間より長くは生きられないにしろ、人間にとっても20年という時間はあまりに長く、人生の四分の一くらいに相当する時間ですから、その時間を共に過ごしたいとおしい存在の死や存在が、意識にへばりついてしまうのは むしろ普通だと思えます。 私だって時間にしたら一年かそこらしか共に過ごさなかった野良猫の安否をいまだに気にかけ、生きていると信じたいです。 安楽死のお話は読んでいてびっくりしました。もう少し眠ってしまうような感じだと思っていたのに。一番驚かれたのはその場に居合わせたご家族の皆様だったでしょう。 こういう選択は、本当に何が正しいのか皆老齢で病気を抱えた犬や猫を抱えるご家庭では、悩まれていると思います。 一つこれだけは言えますが 間違いなくクッキーと伯母様のご家族が、愛情に包まれていたという事実は間違いのないものです。目には見えないものでも、確かなものはそこに存在したと思います。 クッキーは、最後少し苦しかったかもしれませんが、もっと大きな苦しみからご家族が救おうとしてくれた愛情は、確信して旅立ったことでしょう。そう思えます。 ただ、飼い主・・・というか家族としては、もう少し安楽な方法じゃなかったの・・!?とまるで魚の小骨のようにひっかかってしまう気持ち それもわかる気がしました。 ponko310 2015年11月28日 18:15 pananaさん わたしもね、またクッキーやペペやナㇴやミミと虹の橋で逢ったら、そこで昔みたいに鬼ごっこをして、それからみんなとペチェク君やハルハマーさんに会いに行くんだわ。 みんな好きな時代の自分になってね♡ ウッフッフ・・・悪くない考えだな。 ponko310 2015年11月28日 18:41 ねぎちゃん 最後のお別れを思うとペットを飼えないという人に何人も会いました。 でも、生がある以上、死もあるんですよね。 安楽死に関しては人間の間でも話題に上がっていますが、ドイツでは禁じられています。 クッキーの場合、私は今でも元東ドイツのへぼ医者のせいにしているんですよ。 いつだったか、共産国だった当時の東ドイツのドキュメンタリーを見たことがありましたが、それは知能障害のある子供たちの施設で、あまりにも非人間的な酷い状態だったのにショックを受けたことがありました。 そういうことが頭にあったので、クッキーの死に直面して、あれは麻酔ではなかったのかと疑うようになってしまいました。 もし西ベルリンの医院だったらクッキーにも友人の言ったような安楽死が待っていたのかもしれないと・・・・。 下調べもしないで近所の医者に任せた事が悔やまれます。 だから、私は卑怯かもしれませんが虹の橋のお話を信じるのです。 暖かいコメントを本当にありがとう。 poppy-23 2015年11月29日 01:16 ponko310さまこんばんは。 はじめまして。わたしのブログにご訪問、そしてコメント, 気持ち玉をたくさんいただいて、ありがとうございます。 クッキーちゃんのお話、、拝見していて辛かったです。 生半可な慰めの言葉も出なくって、、すみません。 「虹の橋」には、私たちも大層救われました。 我が家ではハムスターが家族になって、、2年という短い命に毎回、お別れのたびに辛くて悲しくて引きちぎられそうになるのですが、その時に思うのは「ワンちゃんや猫ちゃんのように、長い時間を一緒に暮らしてそれで先立たれたら、どんなに辛いだろう」って、思っていたのです。 クッキーちゃんは幸せでしたね~。 そして虹の橋を渡ってからはponko310様ご家族に愛された記憶を大切に養分にして新しい命となってponko310様ご家族のもとに帰って来るのではないでしょうか? 奇麗事ですが、そんな事を信じたいですね。 おかめねこ 2015年11月29日 05:07 飼い主が先に逝くより、最後を看取った方がいい。 身勝手な考えだろうけど。 ponko310 2015年11月29日 09:39 poppy-23さん 此処へのご訪問ありがとうございます。 ハムスターは命が短いのですね。 でも、やはりお別れは悲しいものですよ。 私たち人間の優秀なことは考えることが出来るということでしょうね。 この虹の橋のお話を読んだときは本当に有り難く思いました。 先日も猫たちの検診の時に、安楽死を待つ猫に会いました。 父親について12歳ぐらいの女の子でしたでしょうか、その子と虹の橋のお話をしました。 その子が猫と手術室に入るときにこちらを振り向いて、涙でいっぱいになった目で、一言ありがとうって言った顔が心に残りました。 その子が自分の辛い思いを少しでも和らげてくれたことを祈りました。 ponko310 2015年11月29日 09:46 おかめねこさん 簡単に意をついたね。 確かにペットが残っちゃったら可哀想だね。 そういう事態になった動物に今まで3回もあったものね。 何もしてやれないで可哀想だったわ。 越後の雪椿 2015年11月29日 16:50 ponko様 安らかに天国に行ってもらいたくて安楽死を選んだのに・・ショックな出来事でしたね。でもクッキーちゃんは ponko様ご家族に愛されたことに感謝し天国で走り遊びまわっていると思います。 我が家の愛猫小次郎は8歳です。小次郎が我が家にやってくるまでは10年間で5匹ほど飼いましたが、いずれも1~3年でいなくなりました。散歩に出たまま帰らず。 夫は「俺がネズミ年だから、猫とは相性が悪いから・・」と言っていました。夫亡き後小次郎は長く我が家に居ついています(笑) ponko310 2015年11月29日 19:09 越後の雪椿さん コメントをありがとう。 あなたの言われるように、目をつぶるとクッキーが走り回っている姿がまだはっきりと浮かぶんですよ。 よく家の周りを鬼ごっこをして駆け回ったものでした。 そちらもやはり短いお付き合いの猫ちゃんばかりだったのですね。 御主人が亡くなられてから小次郎君がそこに居ついたのはきっとご主人の代わりにあなたを守るためかもしれませんね。 YUKARI 2015年11月29日 21:56 ponkoさん、ごめんなさい(>_<) 今回はピッタリあてはまる気持ち玉がありませんでした。 人は亡くなると、その人が1番幸せだった年齢に戻ると聞いた事があります。 だったら、クッキ‐ちゃんも今は1番幸せだった時に戻っているんじゃないでしょうか。 それなのにponkoさんがクッキ‐ちゃんの事を、悲しい気持ちで思い出しているとクッキ‐ちゃんも悲しいかもしれない気がします。 そうじゃないょ、って言いたいのに聞こえないのかなって。 でもそんな気持ちの行き違いがあったとしても、また逢えた時に話せば大丈夫。 クッキ‐ちゃんとponkoさんは、またきっと逢えると思います。 私は、そう思います! ponko310 2015年11月30日 04:49 YUKARIさん コメントをありがとう。 あなたも夢があって嬉しいね。 私は大丈夫だから安心してくださいな。 誰か現実派の人がこのページに笑い玉を付けたけれど、笑って聞き流せるっていうのも前向きでいいかもね。 逝ってしまったものをいつまでも惜しんでいないで、記憶に残っている素敵な思い出を楽しんだ方が得よね。 bububa 2015年12月02日 13:51 久しぶりにパソコン開いて見ましたぁ 私は17年一緒にいた猫ちゃんと12年居たワンちゃんとの最後のお別れをしてからもう飼えなくなっています まさに家族の一員ですもの でもいると癒されますよねぇ‥ 居ないと寂しいし‥ って‥いつも淋しい私です ponko310 2015年12月02日 14:48 bububaさん おやまぁ~あなたがいつも寂しいbububaさんだったとは。 お家では犬も猫も飼ってたのね。 でも、両方とも亡くなった年齢を見ると老年を迎えてのことだったのでしょうね。 一度死に目に会うと、もう飼えなくなるっていう人が沢山いるけれど、bububaさんはその人達の気持ちがわかる人なんだろうね。 私は猫に関する限り懲りずに、可愛いからまた欲しくなってしまうタイプだわ。 maa 2015年12月02日 16:09 ponkoさん、どんなに手を尽くしたとしても、死んでしまった後は空しくなるものです。旧東独のヘボ医者のことは忘れましょう。 私の犬は20歳まで生きました。最後は寝たきりだったので、薬やサプリメントで長生きさせたことが、本当にあの子にとっての幸せだったのかしらと思うこともあります。 ムツゴロウさんてご存じですか? 北海道に動物王国を作った人です。ずっと昔彼がテレビ番組で自分の王国の犬を紹介し、そのうちの一頭は年老いて眼は見えない、耳も遠い。でも犬は嗅覚があるので、「自分のにおいのある場所が一番安心なんですよ。そこで一日中寝てるのが日課なんです」と話していました。 年老いた動物の自然なあり方は、今のペット事情ではなかなか難しい。あまりに家族になりすぎたということでしょうか。何が正しいのかわからなくなり、それゆえ何をしても後悔はつきません。 虹の橋で私の犬ゲンさんが走り回っている姿を想像します。妄想だと笑われても、死んだものたちへの哀惜の念とこれからの日々への希望は、そんな気持ちから生まれてくるように思います。改めてどうもありがとう。 ponko310 2015年12月02日 18:16 maaさんのコメントで旧東独の医者のことを考えないように決めました。 近くなので、そこを通るたびにあのクッキーの変わり果てた姿が目に浮かんでしまっていたのです。 虹の橋の詩を信じながら一方では矛盾した考えを持っていました。 ムツゴロウさんの名前は聞いたことがありましたが、どんな人物なのかは知りませんでした。 その動物王国はきっと虹の橋の草原のようなところなんでしょうね。 maaさんが愛犬を失われたことは知っていましたが、私もゲンさんが元気に走りまわっている姿を想うのは励ましになります。 妄想だと笑われるかも・・・ いいじゃないですか、人それぞれですものね。 何かを前向きに思うことで、それが力になって活力をつけられるなら、私たち人間にだけ与えられた能力を活用してるってことになるんだもの。 maaさんの言葉は私にとって発想の泉よ。 私のほうこそどうもありがとう。 yukitake 2015年12月03日 13:33 読ませていただきながら、その時のクッキーさんの気持ち、ponkoさんやプッ夫クンさんの気持ちを思うと涙がとまりませんでした。 自分も昔飼っていた犬とのお別れの日を今でも忘れられずにいます。こちらがどうにか気づいてあげられなければ、何もできずにその日を迎えてしまう。彼からは、素晴らしいほどの愛情をもらったというのに…という、後悔の気持ちばかりが今も残っています。 しかし、クッキーさんには、ponkoさんたちの想いは伝わっていると思います。お別れの日まで何度も悩み考えた想いやそれまでの愛情は、20年もの月日の中で必ず届いていると思います。 今頃、「虹の橋」で、幸せに暮らしていますね、きっと。 私も信じています。 ひろみ 2015年12月03日 15:49 記事を読んで涙が溢れました。 人間の寿命に比べたら短いことも理解して家族に迎えるのですが、別れの時は本当に辛いですね。 ponkoさん、プッ夫さんの気持ちがわかります。苦しむ姿を見てるのは辛いですよね。楽にしてあげたいという思いは当然です。 我が家は3年前にワンコとの別れがありました。動けないだろう身体を引きずり、私の足元に来たり…。家族と代わる代わる様子を見ていたのですが、誰も側に居なかった3時間の間に旅立ってしまいました。ひとりで逝かせてしまった事が心残りです。側にいてあげれなかった後悔はずっとあります。 今、我が家のネコは18歳になります。白髪交じりになり、老いは確実に進行してます。 いつかは別れがやって来ます。その時まで、愛情注いで過ごさせてあげたいと思います。 そして、いつか、私が虹の橋に行った時に気付いて飛びついて来てくれる事を願って。 ponko310 2015年12月03日 18:55 yuitakeさん 思いを共にできて胸がキュンとしています。 貴女にも悲しいペットとの思い出があるのね。 でも、後悔の気持ちばかり残していてはいけないと思うので、今は此処にいる猫どもを、おろそかに扱ってはいません・・・・と言いながら2泊までの旅行は留守番をさせているんですがね。 この記事を最後まで書けたことは、この歳になって人生の冬に入ったからだとも思えます。 クッキーやミミやペペやナㇴの元気だったころの思い出だけが今は楽しく念頭に浮かびますよ。 ponko3102015年12月03日 19:13 ひろみさん 私もあなたのコメントを読みながら、そのワンちゃんの場面が目に浮かんでジーンと来てしまいました。 こうやって一緒に同感できるのも、同じ思いを味わった人間にだから出来るんですねぇ。 私もペペが暖房の下で冷たくなっているのを発見した時は驚きましたが、そのあとずいぶん後悔していました。 でも、動物と言葉の通じない私たちにはやはり限度がありますね。 安楽死を免れる動物たちは、お別れの言葉も告げずに私たちから黙って静かに去っていくんです。 本当はそれが宇宙の自然なんですよね。 ひろみさんのお家の猫ちゃんもあとの何年かを今まで通りに健康でいてくれますように。 maa2015年12月05日 17:01 新着コメント欄に気づきませんでした。古い記事のフォローも見やすいです。でもコメントが多いからワクが足りない(笑) 素敵な動画が追加されていましたね。走りまわる犬が、うちのゲンさんに見えてきました。皆が自分のワンコ、ニャンコだと思っているでしょうね。もうじき命日なので、いい供養になりました。 ponko310 2015年12月05日 18:26 maaさん、前の記事にコメントをくれるオールドファンがいるのでみんなが読めるように付けました。 コメントと言うより、おしゃべりに来てくれるんですよね、みんな。 この素敵な動画も載せることが出来て、みんなの心の癒しになれば心が休まります。 たまのしっぽ 2016年03月19日 20:58 先日は、コメントを残して下さり、ありがとうございました。 安楽死・・・とても辛い選択ですよね~(><)。 私にはまだ経験がないので、軽々しく分かる、なって言えませんが、苦しむ姿を見ていたら、楽にしてあげたいって思うのも当然だと思います。 ponko310さんの気持ちは、クッキーちゃんが一番分かっていると思います^^。20歳だなんて、すごいですよ~^^ ありがとう!って、きっと言っていると思います。 そして、また会おうね、一緒になろうねって、待っていてくれると信じています。 私も、たまさんに、そっちに行く時は、迎えに来てね、ってお願いしました^^。逢えると思うと、ちょっと嬉しい気持ちになります。 でも、ちゃんと探してくれるかな~。 女好きで のんびり屋のたまさんだから、綺麗なお姉さんがいたら、そちらに飛びついて行っちゃいそうな気もしてるんですけどね^^。 きっと、どんな別れになっても後悔はつきないと思います。 でも、その経験があってこそ、今の自分があるのかな~とも思っています。猫さんには教えてもらうことばかりです^^。 辛い経験談を書いて下さり、ありがとうございました。 毛並みが悪くなった猫さんは、9歳の子でしょうか? 生え変わりの時期が過ぎても戻らないようでしたら、獣医さんに相談してみた方が安心かもしれません。 腎不全だとしたら、尿検査の方が先に現れるので、血液検査だけでは分からないかもしれません。 昨年、私のブログを見て病院に行かれた方も、まだ初期の初期で、血液検査に異常はなく、尿にだけ、変化が出たそうです。 http://nekonosain.blog56.fc2.com/(たまのしっぽ) お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでどうぞお許しを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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