カテゴリ:1960年代のウィーン少年合唱団
(初公開2013年4月12日+5月3日+2018年12月31日ー再編集2022年8月) ウィーン少年合唱団1967年組の来日日程が決まりました。 昭和30年(1955年)の冬に、初めて日本に来て歌ったウィーン少年合唱団は、男の子が高音で歌うなどということを知らなかった日本国民をとても驚かせたそうです。 そういう私だって、1963年のディズニー映画の「青きドナウ」を見るまでは、男の子だけの合唱団があって、あんなきれいな声で歌えるなんて知らなかった。 そりゃあもう、ショックでしたよ~‥‥で、ひどく夢中になりました。 翌年、初めて本物のウィーン少年合唱団をバスの窓の中に、ちらっと遠目で見られましたが、本当にきれいで気品のある姿にますます夢中になりましたね。 昔、九州の67年組のファン友さんが言っていた言葉が今でも印象的です。 「私、ウィーン少年合唱なんて知らなかったけれど、学校の帰りに駅で電車に乗ろうとしたら、セーラー服を着た外国の男の子たちが下りてきたの。外国の子供なんてその時初めて見たけれど、それがあんまりきれいだったのでボーっと見とれていたのよ。あとでそれがウィーン少年合唱団だってわかったんだわ。」 悩み多き反抗期で、夢中になれる理性的なものにぶつかる子供は運が良いのかもしれません。 その後、私は何とかその合唱団にお友達を作り、ウィーン少年合唱団の来日するまでの3年を待ちに待って、ようやくその少年に会えると思ったら、来るのは他の隊でした。 本当にがっかりでしたが、それにも負けず、今度こそは念願のコンサートに行く、親の出る幕ではないと、ぺったんこの財布をはたきでたたいて何とか券を手に入れました。 初めて見るウィーン少年合唱団の舞台はあまりにもまぶしくて、よく覚えていませんが、そのコンサートには願望のピンクのワンピースを着ました。 似合っていたかどうかは疑問ですが、それを1971年のヨーロッパ旅行にも持っていきましたよ。 肝心のピンクのワンピースの級友は、緑のスーツを着て、コンサートに同行してくれました。 この時はプログラムを買うという観念もなかったので、団員の顔も名前も全くわかりませんでしたが、見れなかった64年組の分までいっぱい拍手を送ったので、 後で見たら手のひらが心地よくヒリヒリと真っ赤になっていましたぁ。←マゾか。 この記事を書いた2013年にはブログに載せられる67年組の写真などなかったので、こんな代理のイラストを載せていましたが、ブロ友さんが増えるに従って、写真などもいただき、ありがたくここに使わせていただきます。 この写真、背まで綺麗にそろっているけれど、この頃はウィーン少年合唱団員になるには容姿までも考慮されるって、いい加減な噂を聞いたことがあって、健気にも信じていましたっけ。 演奏会のあとの団員を乗せたバスが、コンサートホールから出発する時も、64年組の時と違って、私はずいぶん近くで彼らを見ることができました。←おっ、ミーハーに傾きだした! あの64年組の沢山の熱狂ファンのお姉さま達は、団員のいなかったこの三年の間に、燃え上がった心の炎の抑制力をしっかりと御身にお付けになられた御様子でございましたのよ。 私は誰にも押しのけられもせず、一度も蹴飛ばされもせず、団員の座るバスの窓の下に立って(あの時の様に同じ目線ではなく、チッ!)まさに静かに厳かに慎ましく、真面目な顔つきの団員達を見上げながら、他のお姉さま達と共に、手をチロチロと振ってお見送りしたのでござぁ~ますわ。 オッホッホ~、ホント、ヨございましたわね~、オッ~ホッホ~ そしてまだ完璧ミーハーでなかったポンタンは、いとも満足げに即、帰宅の途に就いたのでした。 その頃は、いい子の級友たちは、少女雑誌などを買わない悪い子になっていたのですが、日本のファン友からタイマー隊の何枚かの切り抜きをいただき、何人かの団員の名前を覚えました。 けれどナイダー隊の私の”ウサギちゃん”(←生まれて初めてのペンフレンド)がいない来日組なんて、コンサートとドイツ語会話の練習相手以外の興味は-----ありません だってぇ? ウッソォ~ また、ある時はピンクのワンピースの級友と懐かしい品川プリンスホテルに赴きました。 そうなんです、当時はまだ品川プリンスホテルと言う名前でした。 高輪プリンスホテルに変わったのはそのあとです。 ホテルの前には、決まって大勢の若い女性ファンがたむろしていましたが、64年組の時のような熱狂的な雰囲気はありませんでした。 ファンの中の一人は、パンダの顔に似た、「ウィ―ン訛りの達人」のちょっと年上らしい女性でした。 どこかのおバカさんがその人に、私もドイツ語をやってると軽率な告げ口をしたらしく、私を見つけるとそそくさとやってきて、「あのねぇ、あなた、ウィーンでは ”犬が好き” ってなんて言うのか知ってる?」と、敵意に燃える口調でキッとこちらにパンダ眼を向けて聞いてきました。 こっちはドイツ語で会話などした経験は無に等しく、必死で文法を考える時間・・・・ 犬=フント すき=ゲルン+動詞=ハーベン=一人称に変化 「え、と、イッヒハーべフントゲルン、でしょ」←圧倒されて素直に答えるが完璧に日本語的発音 「私、今、ウィ―ンでって言ったのよ。」 「?・・・・・・・・・・・・・・??? 」 ウッソォ~、❕ 何で私がそんなんで試されなくちゃいけないのよ そのウィ―ン訛りパンダは、私をさげすんだ目で一瞥すると、にやにやしながら言いました。 「教えてあげるわね。 イーアーフンギャーッて言うの。」 ウッソォ~、そんな汚いドイツ語、聞いたことないよ~ 私は猫がしっぽを踏まれてギャッと叫んだような、その耳障りな言葉を苦笑で無視し、さらにそのパンダも無視し、友達と切り抜きの交換などをして気を紛らわしました。 あっ! その時、団員達のバスがどこかから戻ってきました。(ひょっとして教会?) バスから降りた少年たちは先生の許可でバラバラに散ると、いつものごとく群れ集まるファンのサインに快く応じ出しました。 (後記:2019年11月 その当時の合唱団はこんな時間を持ってくれたのですよね。) そのウィ―ン訛りパンダ女性は私の近くで、一人の団員をすっかり占領してペラペラと何やらひどく楽しそうに話しています。 私の出る幕ではないどころか、周りのみんなも一歩退いてそちらを敵視です。 ネットで今頃になって知るのだけれど、こういうのが「占領パル」とか、後に言われたのかな。 それにしても、あのペラペラはうらやましい~、ねたましい~。 そしてついに彼女の口から出た❕ 「イーアーフンギャー」 もちろん私はそんな言葉が通じるはずはないっ、と確信しているので、全身を耳にして(←と言うより、全身そっちに移動させて)聞いていると、その少年は「イーオー」とにこやかに答えたのでした。 ウ、ウッソォ~、な、なんだ、いまの不気味なやりとりは! ”イーアーフンギャー” に ”イーオー” だって! あれが賢く理性あり、我が敬愛するウィ―ン少年合唱団の会話言葉。 キャー やめてぇ でもそれが現実で、その現実を確かめるために(そこまで執着するか)、いつかウサギちゃんの写真を見せたオスカー君を探し出し「イーアーフンギャー」 と言ってみました。 すると彼は、はっきりと解らないという顔をしたのですっ! はっ、こ、この子こそ本物のウィーン少年合唱団員なのです。 私はちゃんとしたドイツ語で「私は犬が好きです」と言い(←ホントは猫の方)、オスカー君は 「イーオー」ではなく、 「イヒ アオホ (僕もです)」ときちんと返しました。 無事に一件落着。 この動画は時間が前後しますが、67年組の飛行場での動画が12分29秒から見れます。 これは当時からバッチリと追っかけをしていた純ミーハー友人から後日談として聞いた話しなのですが、合唱団と同じ日本旅館に泊まり込んだ時に、なんと偶然、ふすまを隔てた隣が団員達の部屋だったそうです。 彼女が電話で、一緒に来れなかったオスカー君の熱狂ファン友人にそれを知らせると、ぜひ彼を電話に出してくれとしつこくせがまれたそうです。 彼女は隣の部屋にいたオスカー君に電話に出てくれるように頼みました。 するとオスカー君は受話器を受け取ってから、もう、足の先がぶるぶる震えるくらい背伸びをして、自分たちの敷居から一ミリとも出ないように頑張っていたんですって。 なんて紳士的で規律に従順な少年なんでしょう。 でも、それを他の団員がくすぐったりしてからかっていたとか… ホント、見たなかったなぁ~・・・・・・・オスカー君と電話で話したオ-ルドの方、出てきてぇ~。 これも余談なのですが、ウィーンでキリアン君のお父様に会ってお話した友人が、高見エミリーちゃんにはすべての団員たちが夢中になっていたということを聞いたそう。 なんか、わかる気がしないでもないんだわ。 だって、みんな思春期近い男の子だものね。 ・・・きれいな少女には憧れるんだろうな。 さて、この日はそんなドイツ語のハプニングなどで、干し大根の様にぐったりとなり、友達とホテルのレストランで お茶を飲んでから のんびりと軽く食事を取っていました。 イーアーフンギャーの野暮いウィ―ン訛りをコケにしながら、とろりとしたデミグラソースが美味しくて 料理に舌包みを打っている最中に、タ、タ、タ、と靴音も軽やかに入って来たのは、だ、だ、団員たちなのでした。 な、なんと、彼らは私のすぐ後ろに席を取りました。 あまりの急激な出来事だったので、気持ちがたまげ狂って、デミグラソースをテーブルクロスに飛ばしてしまいテーブルナプキンが椅子の下に落ちてしまいました。 私の前に座ったピンクの友達もカチンカチンに畏まっています。 私のお尻の下のナプキン、なんか ”おしめ” みたいでカッコわる~。 わざわざ高級ホテルにまで出向いて習った女学校のテーブルマナーでは、”落としたナプキンはそのままにして、ウェイターに知らせる事”、と習ってる。 でも、そんな事したら団員に ”見られそ~” でカッコわる~。←すごい思い上がり 体を曲げて取るのもカッコわる~・・と思いながらウジウジしていると、私の目の前にスッと、そのテーブルナプキンが現われたのです! ひゃ~~~~~。 ”カッコわる~” の私に、”カッワいい~” 団員が、そのナプキンを差し出していました。 ぐわ~ん。 突然 ”カッコわる~” から ”バツわる~” に変身した私は、その少年が軽く会釈しながら渡してくれたナプキンを “ハハァ” と両手で大層に恐縮していただき、思わず日本語で「どうもすみません」と言ってしまい、それを、ちり紙よろしく、そこそこに折りたたみ、あわただしくデミグラソースの付いた口を拭ったのでした。 「今の、アントン・ブ―ハハーよ。」 と友人は小声で言います。 (こっちを向いて笑っている少年です) この人はブーハッヒャ―と言えないのでブーハハーです。 たまには、ブハハとも言いました。 それを聞いてブハハと笑っていたのですが、このテーブルナプキンの事があってからは意を正しました。 (後記:これはこのページにいただいたコメントで明らかになったのですが”40年間のブーハッヒャ―”が、実は一秒たりともブーハッヒャ―ではなく、世間で言うブーハハ―はそのままブーハハ―で良かったのです。ブハハの友よ、わるかった。 ブハハと笑って誤魔化そう。ただし、2つ目の”ハ”は犬がハッハと息を切らせる音です。) 「ねぇ、アントン君て、ちょっとプックリな感じのいい子よね。私の “ウサギちゃん” もあんなだったのかな。」 「やあだ、ぜーんぜん、顔ちがうわよ。」 と、その時レストランの外から、一人の団員の名を呼ぶ女の子の声が。 一度ならず、2度3度と(いや、もっとしつこく)長く引きずるような甘く切ない声で、ある年長の団員を呼ぶ声が聞こえてきたのです。 ピンクのワンピースの級友はその少年を目線で教えてくれました。←ホントに知らなくてわるい 本当はぐるりと振り向いてバッチリと見たかったのですが、そうもゆかず、わからないようにうかがうと、その少年はちょっと赤くなったような顔で、うつむき加減にひたすらナイフを動かしていました。 不愉快な表情ではなかったので、きっと内心嬉しかったのかもね。 きっと、知っているファンのきれいな女の子だったのかも、と、わたしの野次馬根性は大いにいたずらな想像力を高めるのでした。 けれど、姿の無いその悩ましい呼び声には、ファンとして実にバツが悪かったです。 私が舞台で初めて見たオペレッタは「バスティアンとバスティエンヌ」でした。 このレコードはグロスマン指導で1958年の録音ですが、コラ役のアルトがインパクトありすぎ。 そして人気のマンフレット君がバスティエンヌの役になってこの歌を歌いました。 舞台のマンフレット君は、バスティアンに振られて悲しみのためにオイオイと泣くのですが、観客はドッと笑います。 泣いているのに笑うなんてひどいと思うのですが、その泣き方があまりにも可愛らしいので、私も笑いました。 マンフレット君の歌声は覚えいていないのに、彼の演技がひどく印象に残ったことは確かです。 ピンクのワンピースの級友は、コンサートに行ったものの、またベンチャーズに戻ってしまいました。 けれどホテルに出向いて、ファンと顔見知りになり、その中に、マンフレット君と文通していると言うファンがいて、私に通訳を頼んできたのです。 私はウサギちゃん一途でしたから、タイマー隊の誰とも友達になりませんでしたし、ただ一人オスカー君に、お守りのように身に着けているウサギちゃんの写真を見せる機会があって、知っているよ、と答えてくれただけで、もうすっかりご満悦でした。 しかしその時はオスカー君を知らず、後で知らないお姉さまに「あなた、オスカーのペンフレンドなの?」と怖い顔で聞かれたので、その名前を覚えたのでした。 ナプキンを拾ってくれたブーハハ君も、ファンの間にいると誰だか見分けがつかないくらいです。 通訳を頼んで来た女の子は、特に大勢のファンが集まっている場所に向かいます。 「マンフレットはこれよ」とファンの群れを指しました。 見えないんですよ~、それに無理やり割って入ることなんてとんでもはっぷん。 また、あのパンダに目を付けられるのも嫌ですしね・・・・・って、パンダは何処じゃ。 私たちはしばらく、他の団員達の様子を見学し、その時空きの出来たオスカ―君に出くわしましたが、言葉が出てこなくておろおろしました。 こんなだからウサギちゃんが来日しなくて本当に良かった。 言葉がもっと出来たら、オスカー君に、来れなかったウサギちゃんの事をもっともっと聞きいてみたかった。 付き添いの少女にせっつかされて、再びまたマンフレット君のところに戻ると、サインのほとんどが終わっていましたが、ファン達はただ側にうっとり、ほんわか、うるうるとくっついているだけのようで別に誰かが彼に話しかける様子もありません。 そこでその女の子をファンの間から前に押しやって(完璧な”お姉さま”でしょう?) 「君はこの少女を知っていますか。この人(彼女)はあなたの文通相手です。」 とこれ以上もない日本語訛りの混じったひどく単純な初級ドイツ語で聞きました。 その時、また新しいファン達 (←大抵組になって来る)が増えて、またもやそれぞれがサインを求めて来ました。 マンフレット君は差し出されるサイン張が増えると、やれやれという顔つきになりましたが、ちらっとその少女に目をやると 「僕は沢山の方からお手紙をいただいて、彼女の事は覚えていません。」 と何の表情も見せずに答え、そのまま下を向いて黙々とサインの続きを始めました。 そこからルンルンと楽しい会話が始まって、夢見るパラダイスに行けると期待していた単純な私はウッソォ~の心境になって、唖然としました。 その唖然とした自分の心境をひたすらに隠して、その子にはマンフレット君の言葉をもう少し柔らかい訳で伝えたけれど、(だってそ~んな事、もろに言えないでしょォ)そのドライな返事を直接聞いてしまった私はその少年の態度に腹が立ちました。←若い若い。 頭の中がエメンタールチーズになった私は←今はもっとスカスカ 「いくらなんでも忘れた、なんて直接いうもんじゃないでしょ。うそでもいいからにっこり笑ってこんにちわって言えないの」 と言いたかったのが、会話能力もないために、すべて省略になって、出てきた言葉が 「Du bist häßlich.(君はみにくい)」だったのでした・・・・・ ここでベートーベンの”運命”が流れる~ マンフレット君は、手を休めて急に顔を上げると、信じられないという様な表情でしばらく人の顔を見ましたが、←テキノカオヲキオクシタカ!? その表情が仮面のように変わって再びゆっくりうつむくと「そんなことは分かっています。」らしい事をブツブツと口の中でつぶやいて、またサインを始めました。 いやぁ、悪い事をしちゃった。 反省、反省、反省・・でも、遅すぎ。 あとはもう、取り付く島もない・・・とはこの事。 彼はサインが済むと、さっさと他の団員のところへ行ってしまいました。 ↑ゲルハルト・レーナー君 そして、その団員と頭を寄せ合って何やら小声でコソコソ話していましたが、二人そろって一瞬チラッとこちらを見た。 その表情を見て何かヤバイ、と思ったら、案の定。 その後の残りの時間中( ←大して長い時間じゃなかったけど)私達は何かにつけてその2人から睨むような顔をされていました。 後で知ったのですが、「醜い=へスリヒ」 と言う言葉を知らない相手にぶつけるのはとんでもなく失礼な行為だったのです。(夫に聞いたら「お前ねぇ」と呆れてた) 人一倍人気のあったキリアン君はそんな思いも寄らない言葉を受けて、そりゃものすご~く自尊心を傷つけられたのでしょうね。 さて、ちゃんと通訳もできなかった事については申し訳なかったのですが(ここでもう、ウッソォ~って言っておくけれど)その女の子はマンフレット君に手紙を書いただけで、お返事をもらっていなかった事を後で知りました。(何でもすぐに信じる性格はまだ持続している。) その人が後に彼と文通できたのかわかりませんが、キリアン、キリアンとかなり粘ってたから結構成功したかもね。 あの時の事がどうも気にかかって、なん日か後でまたホテルに行き、だぁ~れも (←強調)取り巻きのいないタイマー先生がいたので、「私はマンフレット・キリアンとけんかをしました」とドイツ語で話しかけました。(またもや何という幼稚な表現なのよっ。) 先生はその意味がわからなくて、にこやかな表情で何か聞き返してくれたのですが、今度は私の方が理解できず、とうとう親切に通訳らしい人を呼んでくれてしまいました。 そこでちゃんとした日本語で訳を話すと、(あぁ、やはり母国語はホッとする。)先生はさも面白そうに私にウィンクして、その通訳らしき人にマンフレット君を連れて来てくれるよう頼みました。 別にファンでもなかったのに、ドキドキして来ました。←未だに謎の心境 時を置くことなく、スラリとした紺のセーラー服の見覚えのある少年がその人と一緒に現われました。 この記事へのコメントこんな感じだったかな。 あくまでもこんな感じで現われました まるで何か悪い事をして、職員室に呼び出しをくらった生徒みたいな感じでね。 おかしなことにそれを見たとたん、動悸が治まった。←ポンタン、居直ったか 通訳を通してうつむき加減に私の言い訳を聞いていた少年は、顔を上げると、まだ"あれ"を覚えていたような感じで 「僕はもう、気にしていませんよ」と、照れくさそうに声を小さくして、あの時の睨むような目つきをすっかり無くした良い表情で答えてくれました。 この時、ホテルのロビーの柔らかい光の中で、初めてこの少年の上品な美しさに気付いた。 「君はきれいな少年だよ」 ”ごめんね”の気持ちを込めて、一生懸命考えた、たどたどしいドイツ語でそう返したとたん、横で熱心に経過を眺めていた通訳らしき人も、タイマー先生も同時に大爆笑。←ったくゥ。 当のマンフレット君はちょっと困ったような、ニヤニヤ笑いを浮かべながら、私に更に低い声で何か言って握手を求めてきました。 彼が何を言ったのかぜんぜん解りませんでしたが、そんな事はどうでもよくて、なんとなくバツが悪くなった私は他のファンに目もくれずドキドキしながらそのまま帰路に就いたのです。 めでたし、めでたし 今考えてみたら、こういう感情の交わったウィーン少年合唱団の団員との最初の触れ合いはこのキリアン君だったのかな。 67年組のほかの団員とはただ「見た、通りすがった」だけ、みたいな事で終わったもの。 あ、それからウサギちゃんを知っていると頷いてくれたオスカー君は今(2013年代です)耳鼻咽喉科の執刀医として活躍なさっていられるんですよ。 動画の初め、31秒ぐらいに出ている方がセールマン氏です。 そしてネットで見つかったマンフレット君とブーハハ君も、今はこんな素敵な紳士になっているんですから。 元タイマー隊のアレキサンダーさんが見つけて下さったぁ~。 1968年にドイツのクイズショーで出演したタイマー隊、私達の知る古き良きウィーン少年合唱団そのもの。 歌声は勿論の事、なんと素晴らしい立ち姿でしょう。 もちろんここには、67年に退団した団員はいませんし、69年に来日した新しい顔も見えます。ジェフ少年はまだこの隊に参加していませんでした。 ドイツ・イギリス演奏旅行が14歳のアレキサンダーさんにとって最後になりました。 そしてその秋に、彼はバルトニック君とワインベルガー君と共に、アウガルテンでの5年生を終了したそうです。 気持玉数 : 38 懐かしのファン 2013年04月13日 00:23 1967年来日組には特別な思い入れがありましたので懐かしさと羨ましさが交錯しました。 公演会場以外でも団員とお目にかかる事ってあるのですね~ 地方在住の私には…考えられないです。 コンサート終了後に団員の乗り込んだバスのお見送りを遠巻きに見ているだけで精一杯。 それが69年来日組の時です。 花残り月さんのサイトで拝読していましたが、新たに分かった事は、お友達はキリアンさんと、あの時点では文通に至ってなかったのでしょうかしら。 当時は大勢のファンからお手紙を受け取られていたのでしょうね。 確か少女雑誌に人気投票なるものもありました。 タイマー先生、粋な計らいをしてくださいましたね。ちゃんと真摯に向き合ってくれて。最後は二人で握手 素敵です。 再び団員とお会いできるなんて、宿泊先とか事前に分かるものなのですか? 本題とそれますが、少し気になりました!! ponko310 2013年04月13日 03:29 あはは・・69年組の時の懐かしのファンさんがちょうど64年組の私だったのですよ。 初めての時はただ遠くから見るだけって・・ね 私はドンな方でしたので合唱団のインフォメーションはみんな友達が教えてくれました。 電話があって、今日は何時に何処どこってね。 私はドイツ語が少しできたので、重宝だったのかもしれません。でも67年組の時はあの通りの語学力でしたからね、へへへ。 69年組にはエピソードのペンフレンドがいましたし、72年組では近隣の地方にも呼び出されて面白半分に出かけました。 ファンの中には招聘先とコネがあって、事前に宿泊先のチェックをしている人もいましたよ。 そういう人たちが仲間同士で連絡し合っていたのではないかしら。 私達、当時に知り合っていたら良かったですね。 もっとも私はずっとオネエサンでしたけれど。 そのマンフレット君の友達の様に、ファンの中には少し吹聴して近づいてきた人もいました。 今はファンの会とかがあって、団員と正式に会えるみたいですね。 懐かしのファン 2013年04月13日 15:21 ご返信ありがとうございます。 67年組はテレビと少女雑誌を眺めていただけです。そう、書かれていましたが、私もテレビの前の特等席で、ほわ~っと彼らの歌声を聴いたのがスタートでしたから。 合唱界を購入したのが69年来日組の時からでしたが、そこでいち早く来日予定組の情報を得ました。 来日メンバーの紹介とか、64年来日組の現在の写真も掲載されていてシャーリングさんを知りました。 この方が伝説の・・・ 合唱界には、ファンの文通相手を希望する記事もありましたが、どなたとも交流を持つ機会はなかったです。 当時お知り合いになりたかったです。 でも、私が教えて頂くばかりですね。 もしお知り合いになられていましたら、国内でお目にかかれましたね!! 憧れの横浜で♪ ponko310 2013年04月13日 23:06 私も67 年組の放送をテレビで見ましたよ。 でも、64 年組での放送みたいには覚えていないのです。 だめだなぁ、過去の人は。 でも67年組の時にもっと言葉が出来ていてあなたと一緒に団員達に会えていたら、今はもっと懐かしい思い出が語れていたでしょうね。 当時あなたが今の元団員の方とお会いしていなかったのが残念です。 でも、これからその方と良い思い出を作って行くのも悪くはありませんよね。 その方はまだ、当時の日本の事をまだよく覚えていらっしゃるのかしらね。 ジェミニ 2013年04月13日 23:54 おじゃましま~す☆ 何年組とかあったなんて 知らなくてビックリ こんなに詳しくていらっしゃるんですね この後 ウィーンの森合唱団とかでしたっけ 2匹目のドジョウみたいなプロモーションがあったのを覚えてます ピアノの先生が 当時ウィーンに行ってらして 私も行きたいです って言ったら 「そうね クラッシック音楽を勉強する人なら 一度は行きたいところね」って。。。 実は マンフレッドに逢いたくてとは とてもいえませんでした(笑) 何も知らずに のほの~んと過ごしていた少女時代のいい想い出です。 ponko310 2013年04月14日 04:56 ジェレミさん のほの~んとした少女時代っていいですよね。 素敵だと思うものに、純粋に心をときめかす事が出来て。 大人になるにつれて、色々な悩みや苦しみが混じって素直に喜べなくなったりして・・・ 子供って良いなぁって思います。 猫も子供も大切に守ってあげたいです。 花残り月 2013年04月19日 21:12 何度読んでも可愛くてほっこりした気分になります。 いじらしーい(^^) 当時のポン子さんはそれどころではなかったんでしょうけど。 本当に仲直りが出来てよかったですね。 ロマンスグレーのおじさま、素敵 顎が割れているのはハンサムの証拠ですね(^^) ponko310 2013年04月20日 01:48 よっ、花残り月さん。お出ましぃ。 確かに、あの当時はそれどころではなかったような気がしますけれど、今なんか、何があってもシラ~っとなってますから精神的には健康的ですよ。 男性は年を取るごとに味が出てきますねぇ。 女性はそれ以上に魅力的になっていくけれど・・・ でも、私達夫婦は立派に反比例してます。 Melba 2013年04月25日 00:02 ponko様、何度読んでも楽しく思わずニンマリです。 仲直りの記念撮影とかされなかったのでしょうか? 当時の写真、見たかったですね~ 団員さんもですが、ponko様のお写真も ponko310 2013年04月25日 00:59 Melba様 67年組は何故か写真を撮らなかったような気がします。 なにしろ、結婚と同時に、殆どすべての思い出(手紙も)を処分してしまったのです。私のウィ―ン少年合唱団の思い出は72年組で終止符が打たれるのですよ。悲しいかな・・・。 Melba 2013年04月25日 17:09 1972年組の記憶が曖昧であり何か書かれていないかとサイトを調べてみました。 検索サイトに 『ウィーン少年合唱団 1972』と入力しますと、72年来日組の大変興味深いブログを拝読する事ができました。 ブログの名前やURLを記載してよいものかどうか分からなくて、このような形で失礼します。 宜しければご覧下さればと。 直ぐにお分かりになるかと思います。 既に拝読されてましたら、 ごめんなさい。 「ホテルのロビーの柔らかい光の中でこの少年の美しさに気付いた。」 この時の光景は、ponko様の脳裏に焼き付いておられるのでしょうか。 カメラがなくても記憶で描かれますね。 ponko様の似顔絵、素晴らしいので記憶を手繰り寄せてその光景を描くこともでき羨ましいです。 ponko310 2013年04月25日 18:12 Melba様 わざわざインフォメーションを有難う。 あのブログは3月に読んでいます。 いずれここにも載せたいので承認をたずねるつもりでした。 合唱団の通訳だったなんて羨ましい限りですよね。 マンフレット君だけでなく子供はみんな汚れない美しさを持っていませんか? 人生の悩みや苦悩を知らない時の子供時代はみんな輝いていると思います。 ponko310 2013年04月27日 00:59 Melbaさんへのプレゼント 仰せの通りあの時の光景を描いてみました Melba 2013年04月27日 13:58 ponko様 ありがとうございます。 お時間がかかったのではないですか? その場にいなかった私ですが。。。 イメージが強く伝わってきました。 Melba 2013年05月04日 15:10 ponko様、昨夜こちらにお立ち寄りしましたら、既に更新されていて可愛いイラストにニンマリです。 イッヒ アオホは英語のme tooですか? ドイツ語全く分からないので、想像で読んでいます。 ナプキンのお話、微笑ましいですね~ 何度読んでも、mufufu 私もアントン・ブ―ハハーさんだと思ってました 少女雑誌にはそのようにカタカナ表記で書かれていたような!? 或いは自分で勝手にそう思い込んでいたのかも。 では、マンフレッドorマンフレート? セールマンorゼールマン? 発音が分からないのですが…。 プチドイツ語講座、リクエストしてもよろしいでしょうか。 ドイツ語で、「あ、そう」と聞こえる時があり意味も日本語と似ていると聞いた事があります。 読みたい本は英語の出版をしていないので購入をためらっていますが。。。 ドイツ語、勉強しようかしら。 ponko310 2013年05月04日 18:03 Melbaちゃん キャー、やだ、ブーハッヒャ―の編集やり直しよ。 プッ夫クンに読ませたら”ブ―ハハー”ですって! これ、今からやり直すわ。バツワル~。 読みなおしてみてね。 これでお解りかと思いますが、私のドイツ語は未だに自作自演なのです。 Manfredの発音は書くとマンフレッドになるのですけど、ドとはっきり発音せずにトゥとドゥの中間です。 舌の先を上の歯の後ろに軽くあてますが殆ど聞き取れないくらいの発音です。 Seelmannはドイツではゼ―ルマンで訛りのあるオーストリアではセールスマン、 あ、まちがった、セールマンです。 あ、そう=Ach,so これはドイツ語で、ああ、そうなんですか。 悪い言葉じゃないですから、使っても良いです。 ドイツ語、面白半分にでもなさってみたら? 応援しますよ。 Melba 2013年05月04日 20:20 ponko様、早速コメントに返信ありがとうございます。 緑色の修正記事も面白くてセールマンさんの発音なるほどです。 今回思い切って聞いて良かったです。 謎のままでしたから。 また、何か疑問がありましたら質問してもよろしいでしょうか。 ドイツ語の学習は、ponko様が応援して下されば心強いですね~ あとは私の気概ですが… ponko310 2013年05月05日 00:42 Melbaさん 私が応援しても良いのですね。 よし、気軽にどんどん質問してください。 でも、後で悪かった・・・なんて言うかもよ。 てか、プッ夫クンがついているから大丈夫か。 私はあなたの気概を信じますよ。 これをきっかけにブログも始めては? 私にできた事が他の人に出来ない訳ないはず。 お互いにがんばりましょ~ 長老純爺 2013年05月08日 14:35 こんにちは 私のブログをお読みいただき感謝しております。 ponko310さんの記事には毎回感心させられております。 その子細な表現力と文章力に、読むたびに私の完敗が思い知らされるようです。ドイツ語の勉強も三日坊主で終わってしまった私です。 これって、嫉妬と言うのでしょうか? でも負けませんよ、67年組のパンフレットは手元にあり、メンバー紹介のページや写真もあるのですから!!! そんなことで威張ってどうするの?(…ですよね) これからも楽しい記事を楽しみにしております。 五月晴れで、ツツジが満開の東京より ponko310 2013年05月08日 20:36 長老純爺様 いや~だ、完敗とか、嫉妬とか わたしの記事はそんな事を言っていただけるまでの高い段階に達しておりませんから長老純爺様が何をおっしゃられても頭の上をスーッと通り越していきますよ。 けれど67、69年組はともかく、64年組のパンフレットをお持ちですね。 お気をつけなさいまし! キッ、私の念力をご存じないでしょう! 長老純爺 2013年05月09日 10:16 お~怖っ!お~怖っ! 皆の衆(って誰?)バリアーを張りめぐらすのじゃ!! 異国からの念力に用心せよ!! よいか、64年組をお守り通すのじゃ!! ponko310 2013年05月09日 17:45 わっはっは バリアじゃと?! 我が威力にはそんなものは通用しないわぃ。 オッ、プッ夫クンをバリアに引き込んだか。 あ、64年組が変色、変形、変態。 いらん、いらん。直ちに退散じゃぁ。 ひでっち 2013年05月26日 09:38 ponkoさま ウィーン少年合唱団の大阪公演に行ってきました。 「天使の歌声」堪能しました。 アウガルテン宮殿、行きたいと思っていてまだ行けてないんです。焼き物とあわせて、アウガルテン宮殿、気になる場所です。 やはりライブはいいですね。 心洗われました。 「花は咲く」「ふるさと」のあまりに澄み切った 美しいハーモニーにぼろぼろ涙があふれて大変でした。 質の低下? 私は初めてライブで聴くので、比べるものがありませんので、それはそれはすばらしい歌声でした。 ますますウィーンへの思いは高まった一日でした。 ponko310 2013年05月29日 18:25 ひでっち様 ウィ―ン少のライブ、行ってらした。 一言、”うらやましい!”です。 涙の出るほどの感動、私も嬉しいです。 頭の芯にズ~ンと刺さるあの美しい歌声が思い出の中に蘇って鳥肌が立ちました。 韓国人カぺルマイスタリンの良い評判も聞いていますし、とても安心しました。 古いウィ―ンの伝統を継いでくれる大切な少年達ですね。拍手を送ります。 アウガルテン宮殿は絶対に見るべきです。 私は重要な接待室に置かれてあった日本のピアノを見つけた時は足が震えましたよ。 Melba 2013年07月02日 19:39 ポンコさん、私、出会いました!! "ホント、ヨございました" 人形を見ましたよ。 なんだか嬉しくなりコメントしますね。 ponko310 2013年07月03日 00:16 キャハハ、感激の出会いですか ホント、ヨございましたわ おほほほ・・・ みりっち 2013年07月18日 22:47 Ich mag Hunde. ponko310 2013年07月19日 02:56 みりっちさん わかっちょる、わかっちょる はっぴー 2013年11月23日 23:01 見つけました♪67年組だぁ!(笑) オスカー君、懐かしいです。 彼が夢に出てきたことがありました。 夢の中で私は英語で会話していました。(^^; 実際にお会いして話ができたponkoさんが羨ましいです。 今も「オスカー賞」なんて言葉を聞くと彼の事を思い出します。私もブハハー君だと思っていました。(^^; ponko310 2013年11月23日 23:56 はっぴーさん 私のブログはみ~んな非常に過去のものばかりなので、書きあげた当時にすぐに読まなくても良いって言うのが長所でしょ。 今日読み返してまた、楽しみました。 あ~っ、いくらなんでもブハハ―はひどい。 YUKARI 2013年12月09日 00:41 ピンクのワンピースを着てコンサートに行けた少女のponkoさん、よかったなぁ~。 ponkoさんの描かれたスケッチの少年がかわいくて、またあまりの上手さに驚きまくっています。 ponko310 2013年12月09日 02:18 YUKARIさん 御褒めの言葉を嬉しくいただいちゃいますよ。 いつかこの絵も描き直したいと思ってるんですけど・・。 YUKARI 2013年12月10日 12:45 ponkoさん、コメントにお返事をありがとうございます。 会話の中にイ‐ア‐フンギャ‐を入れ込んだパンダ女性は、ponkoさんを意識してのだったのでしょうか。 お聞きなさいよ、みたいな(違いますかね) ナプキンを拾ってくれたアントン君、王子様って彼のような少年なんでしょうね(日本人じゃイメージが) ponko310 2013年12月10日 18:46 YUKARIさん 確かに当時はドイツ語など話せる若い子は希でしたから、その人が私の事を小癪に思ったのは間違いありませんね。 でも、私のブロークンなドイツ語など彼女の足元にも及びませんでしたよ。 彼女のドイツ語を羨ましいとは思いましたが、妬みはありませんでしたね。 多分ウィーンで生活していた帰国子女だったのかもしれません。 アントン君ですけど、最近の日本の少年って洗練されてかっこよくなってますよ~。 昔はひどいのばっかりだったなぁ、鼻水たらしてたり・・。 Melba 014年08月10日 16:16 久しく離れていましたが、昨日から過去の記事も拝読していました。 あっ、キリアンの横顔!!! エンジェルの??? 追記されていますね~ セーラー帽の雰囲気は横顔もniceですね。 思い出しましたが、手持ちのレコード,PHILIPS「荒城の月」ジャケットに団員の横顔があります。 あの団員がキリアンでは…との声もあるようですが。。。 こらの写真を拝見する限り似てないような気も致します。 このレコードを手にするたびに誰かしらと思う私です。 ポンコさん、時々加筆してくださっていたのですね。 ありがとうございます。 ponko310 2014年08月10日 19:13 Melbaさん そうなんです。 過去記事とは言え、その各過去記事をもっと完璧にしたいので、編集のやり直しはしょっちゅうしています。 更に、思い出したエピソードもありますしね。 この記事のアクセス数が一番多くて、今日で1036回にもなっています。 私は誰か、キリアン君が懐かしくて何回も繰り返して見ている方達がいるのだと思っているんですけれどね。(だってアクセス数の割にはブログ玉が少な過ぎる~) コメントもブログ玉も無いけれど、その方達が昔の私と同じだったと思うといじらしくなるので、ま、認容します。 Melba 2014年08月10日 21:08 コメントのご返信ありがとうございます。 過去の記事を拝読する事ってあまりないので追記された時は、どこかで周知して下されば、再びお立ち寄りしてコメントをしますよ。追記記事へのブログ玉もネ67年組の時は、少女雑誌に団員の人気投票があり、確かキリアンは1位だった記憶があります。その時の雑誌は手元にないのですけど。 ヤフーの知恵袋にもそれに関する質問を偶然見つけビックリしました まさに懐かしの来日組です。 ヤマチャン 2014年08月26日 12:50 67年組メンバーで、断トツ人気だったキリアンとこんな素晴らしい思い出のある人は、そういないでしょう。そういえば当時りぼんという雑誌で、来日前の人気予想がでてて、ヨハン・ウォルストバウワーがNo.1となってましたが、ふたを開けてみたらキリアンが圧倒的人気でしたね。 69年組のフリードリッヒ・シーマークといううメンバーは、高校の友達の彼氏と文通をしていて、確か75年にその文通相手の家に遊びに来てました。私は会いたかったけれど、遠慮してしまいました。友人が、声変わりしてたけれど、歌をうたってくれて、きれいな声で素敵だったと言ってました。懐かしい思い出です。 アントン・ブーハハやキリアンの現在のお姿が見られるなんてすごいわ~!キリアンの大ファンだったというmadam.fさん羨ましがるだろうな。この方も高輪まで追っかけをしていたそうなので、すれ違ってるかもしれませんね。今は合唱ファンではないそうですが、おりにふれて、思い出すそうです。パリ木のメンバーとペンフレンドだったそうです。ほんとうに皆さんが羨ましいです。 ponko310 2014年08月26日 23:47 ヤマチャンさん 久しぶりにここにコメントをいただいて飛び上がって喜びました。 あの当時を語れるなんて、大切な懐かしい思い出仲間なんですよね。 りぼんやマーガレットやなっつかし~。 いやぁ~、キリアン君との思い出は楽しいものじゃなかったですから「素晴らしい」とも「うらやましい」とも言えないんですよ。 あんなドジ話で懐かしい記事が一つ書けるなんて自分の失敗に 感謝しています。 実は今でもまだ、当時のキリアン君のファンが多いのでびっくりしています。 コメントはありませんが、マンフレット・キリアンでググって此処に来る方がもう何人もいらっしゃるんですよ。 やっぱり、思春期時代の清らかな思い出って幾つになっても大切ですよね。 そのmadam.fさんからもコメントがあれば嬉しいんですけれど。 私は地味で引っ込み思案ですから、きっと気がつかれていなかったと思いますけれど。 今でも昔のファンの方とお友達だなんてそっちの方が素敵ですね。 フリッツが日本に来ていたんですね。 75年には私はドイツに来ていたので全然知りませんでした。 いつだったか思い出してドイツから彼に電話した事があったのですが、今は交流は全然ありません。 矢張り引っ込み思案のせいですね。てへへ。 どうぞ、気軽にまた遊びに来て下さいな。。 こと 2015年06月21日 00:49 最近この記事を目にして、67年組という懐かしい言葉に、半世紀近く前のことを懐かしく思い出しました。 67年組のときは雑誌を買い、切抜きをし、夢中になって日々を過ごしましたが、融通が利かない親のために公演には行けずじまいでした。その時のことは,いまだに残念でなりません。 72年組のときは、知人が団員と文通していたこともあり、一緒に団員のバスに乗って遊園地?に出掛けたり、宿で指揮者の方と触れ合ったり出来たのですが、感動は今ひとつでした。これが67年組なら一生の思い出になっていたことでしょう。 最近になって、当時憧れたハンネスヴルストバウアー君の現在のお写真をホームページで拝見し、年月の経過をしみじみと感じたところです。でも、新たに67年組の映像を観たことがないので、一度観てみたいという想いも強くなりました。どなたかアップしてくださると嬉しいのですが、、、。 先週来日60周年記念コンサートの最終公演に行ってきました。 久しぶりに懐かしい野ばらを聴き、改めて当時を思い出しました。そのころのファンの方とウィーン談義をしたいですね。 ponko310 2015年06月27日 00:35 ことさん ようこそいらっしゃい。 こうやって、オールドファンの方がいらしてくれるのを心待ちにしていました。 此処には何人かの67年ファンの方がいらっしゃいます。 私は67年組で、ことさんがなさっていたのと同じ事を64年組でやっていました。 ただ単に懐かしいの一言です。 まぁ、72年組の時はバスに乗って・・・、ひょっとしたらnatalさんと一緒だった方ですか。 それとも、gilmannさんが言っていた方かな? 72年組と接触のある方に出会うと特に心が躍ります。 ルカとはまだそのお話をしていませんが、きっと何か覚えているかもしれませんね。 皆さん、結構昔の憧れの団員達を見つけていられるんですね。 私はハンネスさんが判りませんでしたが、彼は今車椅子の生活をなさっていられるんですね。 Pipi Langstrom 2015年09月10日 11:52 当時団員たちと,雑誌の取材やらで一緒にいる機会のあった高見エミリーさんは。現在あのお騒がせ元首相鳩山由紀夫氏の弟でやはり政治家の鳩山邦夫氏の妻となり、子供さんも立派に育てられ、その責を果たしているようです。残念ながら体形も当時の?倍ほどの貫録になられていますが。 ponko310 2015年09月10日 17:01 Hallo, Pipi あ、あの可愛らしかったエミリーちゃん。 当時の愛らしい団員たちと同様、我々も年と共にみんな体型が変わっていくのかもね。 ましてや日本の食べ物は美味いからなぁ。 彼女の姿は他のブログで見た事があるわ。 貫禄はあっても未だに美人よね。 meme 2016年12月29日 13:43 初めまして。 昔を懐かしんでくぐっていたらこのサイトに巡り合いました。 私は耳が聞こえないけど、好奇心旺盛で、団員は欧米顔のスマートさで綺麗やし「天使の歌声」ってどんなもんだろう?って、母にねだって妹と3人で大阪のフェスティバルホールへ連れて行ってもらったんです。 67年組で、当時小学5年だったと思います。 音楽、声は全く聞こえなかったけど、晴れやかな舞台にキラキラ目を輝かせていました。 母に聞くと、綺麗な声だったそうです。 記憶ではオペレッタは、ソプラノがマンフレッド・キリアンさん、アルトが確かロベルト・アラーさんだったように感じます。 キリアンさんと仲が良いのがアラーさんで、いつも一緒だと、雑誌に書いてありました。 帰りは裏口でバスが止まっていましたので、待ってみました。お姉さんたちが多かったのを覚えています。 その中の一人のお姉さんが、団員の結びつきに何か、貫録を出していたように思いました。 当時は、ヨハン・ウォルストバウワーが可愛いと思っていましたが、キリアンファンが多いそうでした。 声が良いのでしょうか? でも、兄のヨハンは弟のクリスティアンに比べて引っ込み思案のようなイメージです。 キリアンさんは何か冷たいイメージがしました… 見るだけのファンでしたので、写真を見て想像していました。 少女フレンドでは、ウォルフガング・フラドキーさんがモデルの高見エミリーにぞっこんだったと書いてあり、色々思い出されます。 サイトで懐かしさを頂きました。 皆さん凄い追いかけっこですね。 ありがとうございました。 ponko310 2016年12月29日 22:16 memeさん 懐かしい記事へのコメントを下さって感謝します。 久しぶりに開けたら文字の配列が変わっていたので、編集し直すことが出来ました。 memeさんは耳がご不自由なのですね。 でも、代わりに目や感覚でものを受ける印象はきっととても鋭いものがあるのだと思います。 団員と結びつきが出来たファンが貫禄を出していたという場面が目に浮かんで笑ってしまいました。 忠誠の約束が無い限り、誰が誰と友達になっても自由だと思うのですが、団員もすべてのファンと交際をする余裕が無いので決まった人になってしまうのでしょうね。 高木エミリーさんにはほとんどの団員がぞっこんだったみたいですよ。 友人がキリアンさんのお父様と話すチャンスがあって、そう聞いたそうです。 でも、もう50年も昔の話ですから、彼らは忘れてしまっているでしょうね。 上の写真にバスの窓でコレッコ君と写っているロベルト君がいますね。 67年組とは殆ど接触が無かったので、こんな思い出しか書けませんが、memeさんの思い出に共感するファンの方もたくさんいらっしゃることでしょう。 ハンネス君やクリスティアン君の名前が出るだけでも懐かしい気がします。 ek 2017年07月15日 20:45 Ponko様 懐かしさに駆られてこのお部屋にお邪魔してしまいました。 今日、親友とライナーさんと言う名前のメンバーのお話しをしていました。なんだかゲアハルト・ライナー君の事が懐かしくなってしまって…結局の所 友人の言っていらしたライナーさんと私が思い出していたライナーさんとは別人だったのですが、67年組の来日時 数回、ウィーンファンの友人に会う為に(ウィーンファンのお仲間とのおしゃべりが楽しくて)彼等の宿泊先を訪ねた事がありました。友人が自分のペンフレンドとおしゃべりしていた時、その輪の中にゲアハルト君がいました。 PonkoさんはM.Kさんとの事でゲアハルト君にちょっと違う印象をお持ちの様でしたが、彼はとても優しくて明るくて愛らしい団員でした。 友人が私がファールナーさんと文通していると紹介してくれた時、「僕、彼を知ってます」って言ってくれて、会う度に必ずにっこり笑って挨拶してくれました。自分のお友達がいない時は、そばに来て話しかけてくれました。とても気持ちの良い少年でした。 ファールナーさんへの手紙にゲアハルト君との事書いてしまいました。「貴方に会えない寂しさをゲアハルト君が埋めてくれました」と。 もしかしたら、帰国後 ゲアハルト君とその事話してくれたかもしれません。 ファールナーさん「彼にお礼を言いましょう」って書いてきてくれましたから。 ponko310 2017年07月15日 22:18 ekさん きゃぁ~、ペンフレンドとのおのろけじゃ~。 ファルナーさんの優しさにはとろとろに溶けそうよ。 それにしてもゲァハルト君の笑顔はきっと素敵だったでしょうね。 私は怖い顔しか記憶にないんよ~。 ま、自分で招いた失敗だったからね。 団員にもてたエミリーちゃんだったなら睨まれないですんだかもしれないな。 こうなると美人のファン達がうらやまし~。 ekさんは私よりもずっと多く団員に会いに行っていたのかな。私は2~3回ぐらいだった気がする。 言葉も出来なかったし、どの団員からもにっこりされなかったし(記憶にない)、ウィーンはウサギちゃんだけで充分だと思っていたから。 でも、あなたが言うようにそばに団員がいて、ファンがいるあのホテルでの雰囲気がとっても好きだったわ。 あなたから此処にコメントが入って、また思い出に浸っています ek 2017年07月15日 22:31 Ponko様 私のいい加減さをつくづく感じています。 ごめんなさい。 ゲアハルト君はライナーではなくレーナー君ですよね(汗)。 今 手紙読み直したら… もう駄目!暑さと年齢から来ているボケといい加減さで…穴に入ってしばらく頭冷やしてきます。 ponko310 2017年07月15日 22:58 ekさん オールドの方なら名前を間違ってもみんなわかっているから大丈夫。 レーナーとライナーは似ているものね。 おっと、いい加減と言っても、私のいい加減さに影響されちゃだめですよ。 tack 2017年07月19日 23:08 ekさんのコメントにつられて来ちゃいました。天下のマンフレット・キリアンさまに向ってhäßlichと言い放ったのは世界広しといえどもponkoさんくらいだろうなあ。いやぁ笑わせてもらいました~ でも仲直りできて良かったです! ロマンスグレーの写真はさすがダンディですが、最初見たとき久米宏かと思いましたわ。うふふ。 ponko310 2017年07月20日 05:19 tackさん 早速、久米宏さんの画像を検索してしまいました。 はぁ~、似てる? 似てるかなぁ~。 どうも判らんわ。 でもこのキリアンさんの写真、本人の許可を無くして載せているので、何とかtackさんから一言伝えておいてね。 でも、ここまでの年齢なら載せてもカッコいい歳よね。 ルカはまだ私との思い出を胸に留めていてくれていたけれど、キリアンさんはあのひどい言葉を言われたことは覚えていないと思うわ。もしおぼろげにでも覚えていたとしたら申し訳ないって言っておいてね。何しろとんだ阿保だったもんで。 tack 2017年07月23日 20:31 今よりもっと若いときの久米さんが超マジ顔でポーズをとると、こんな感じだったのですわ、奥様っ。 えっと、私はMキリアンさまと、大昔(縄文時代くらい)に数回手紙のやりとりをしたことがありますが、現在は全くコンタクトはありません。聞くところによると、当時のファンのおひとりで今でもお付き合いをなさっている方がおいでになるとかで、その方がこのブログを読んでいらっしゃるかもしれませんね。 ついでに言ってしまいますが、私は一度ウィーンで22歳のマンフレットに会ったことがあります。ところがですね、彼は私と文通したことなんか全然覚えていなかったのです。彼は結構筆まめなので、色々な人と文通していたらしく、その中で私は相当印象が薄かったのでしょう(いいんです、一人でも生きていけます。 byくまのプー太郎)。忘れっぽいのかもしれないから、ponkoさんから言われた言葉も覚えていませんよ、きっと(変な慰めかた・・・)! ponko310 2017年07月23日 21:07 凄い!! すでに縄文時代にMキリアンさんと触れ合いがあったなんて~。 そして(多分)ウィーンで会った22歳の彼はカッコ良かったでしょうね。 あはは、でも会った時にあなたもペンパルだった事、彼に忘れられていたのね。 私の場合はあの変な思い出は消えている方がいいわ。 それにしても、あの大人気のキリアンさんが筆まめで日本の熱心なファンにお返事を書いていてくれたなんて、健気で愛しく思えますね。 そんな昔から今でもお付き合いのあるファンがいるのなら、素敵な事だわ。 例え遠く離れていても、思春期の恋の相手は一生の憧れなのかもね。 ek 2017年08月07日 19:21 tackさん、そんな古い時代にマンフレッドさんとお手紙交換なさっていたとは…。あの皆の憧れのソリストさんと…。そしてお会いしたなんて素敵です!マンフレッドさんは日本のファンを大切に思ってお手紙を書いてくださっていたんですね。彼は世紀を渡ってご活躍だったのですね。私も石油関係の仕事をしていたものですから、彼の従事なさっていた役職、ファンとしてなんだかとても嬉しかったです。でも、tackさんが今はコンタクトがないのは非常に残念です。仕事場の皆に自慢したかったな~(笑)。「私の知り合いが彼のお友達だったんです」って。 Ponkoさんがおっしゃっる「思春期の想いは一生の憧れ」よくわかります! 正に私がそうなんですもの。 たとえ 遠く離れていても…。私の場合は離れ過ぎ…。 竪穴式時代と21世紀位の距離かな~。いや~もっとですね。 Ponkoさん!マンフレッドさんは素敵な方ですね。 ponko310 2017年08月07日 22:00 ekさん え? そんな古い時代にって、と言ってもマンフレットさんは1967年で、ヴォルフガングさんはもっと前の1964年でしょ。 うふふ、考えたらあなたの方がもっと古いじゃないですか。 実はそれを言わせたかったな。 それにしても、ヴォルフィ―さんはあなたの一生の友達だったんですね。 何だかしみじみしますよ~。 ek 2017年08月07日 23:48 Ponko様 だってtackさんがキリアンさんと縄文時代にお手紙交換なさっていたって言ってらしたから…。 そんな太古から?!って(笑)。 私なんて昭和39年ですよ。たかが53年前ですよ~って言っても、もう昭和は一昔前ですね。 はい、私にとってヴォルフガングさんは永遠の天使です。あの柔らかい笑顔で微笑まれたら…ずき~んと完全にハートを射抜かれてしまいました。 でも、正直に言うと私のハート一つだけじゃないのかも(笑)。 だって、今でもいろいろずき~んとする事ありますもの。 Ponkoさんもそうですよね?きっと皆さんも。 ponko310 2017年08月08日 00:21 ekさん あ、そうか、縄文時代の話ね。 tackさんもキリアンさんもネアンデルタール人に近かったんだ。 どうやってコミュニケーション取ってたんだろうね。 考えたら可笑しくなったわ。 ekさん、調子に乗ってまたヴォルフィ―さんのおのろけが始まりましたね。 此処は公開の場ですよ。 抑制しなくてはなりませぬ。 それにまぁ、キュンのハートをそんなに持っているなんて、まるで4つの胃のある牛みたいじゃありませんか。 疲れるので私がキュンするのは72年組だけにしておきまする。 他の方はエネルギーの続く限り勝手にあちこちでキュンしててください。 tack 2017年08月08日 06:31 ekさん&ponkoさん 知らない間にコメント欄がこんな展開になっているとは。ただいま石器時代にタイムトラベル中なので、なかなか21世紀とコンタクトできません。戻ったらキリアン兄弟その後、についてご報告しますので、宜しく。 ponko310 2017年08月08日 22:28 tackさん あ、あ、あ、あなたはい、い、いったい、ど、どこにいるんじゃい。 キリアンさん兄弟って!! キリアン兄弟のその後って、わぁ~。 石器時代まで戻ったのね。 報告が楽しみだから無事にここに戻って来て下さい。 まさか、私のあの67年の失敗は黙っててくれたよね。 ek 2017年08月08日 23:17 tackさん タイムトラベルですか? 縄文時代を通り越して石器時代まで? あ~なんて素晴らしいんでしょ。 時代を自由に操れるtackさん、石器時代までとは申しません。せめて、53年前まで私をお供させてください。Ponkoさんもご一緒なさいますよね? Ponkoさんは途中の72月で下船ですね。 えっ~、独り用のマシンだから無理? それなら、早く現在に戻って来て、キリアン兄弟さんのお話聞かせてくださいね~! tack 2017年09月04日 01:04 石器時代の調査も無事に完了し、ようやく戻って参りました、というのはもちろんウソでっす。用事でオーストリアの西の方に行ってました。 ekさんのコメントを読んで、タイムトラベルでみんながそれぞれの時代で途中下車する様子を想像して楽しくなりました^^ しかし現代にちゃんと帰って来れるのかな~?ぞわ~ さてキリアン兄弟の話ですね。始めにおことわりしておきますが、前にも言った通り私はもう彼らとコンタクトはありませんので、お話しできるのは80年代半ば頃までのことです。キリアンファンの皆様がっかりさせてごめんなさい。 77年に初めてウィーンに行き、マンフレットのペンパルだった女性とキリアン家を訪ねました。彼らの家には日本からのお客様が多かったようで、私たちが行ったとき、近所の人から「キリアン家に来たの?」と聞かれたのにはちょっと驚きました。お母様はあいにく不在でしたが、お父様が(お母様の)手作りのケーキや飲み物で歓待してくださいました。日本旅行の写真などはきちんとアルバムに整理されていて、ご両親の几帳面な性格が窺えました。 マンフレットさん達はその頃にはもう実家を出て、ウィーン市内のアパートに住んでいらっしゃいましたが、お父様が連絡を取ってくださり、遂に二人と会えることになったのです。 あ~ここまで書いてなんか疲れたので、続きます。 ponko310 2017年09月04日 02:17 tackさん あ、わざと終わらせてる。 ポテチの袋を開けて匂いを嗅いだとこまでじゃん。 早く疲れを取ってよ~。 ポテチ食べたぁ~イ。 ek 2017年09月05日 05:42 tackさん 長旅からお帰りなさ~い。 お待ちもうしておりました。お疲れのところありがとうございます。 キリアンご兄弟の事 ドキドキしながら読ませていただきました。 わぁ~ご近所の方にも知られるくらい彼等を求めて訪れる方々がいたなんて…。あら、彼等を求めてなんて書き方変ですね。ごめんなさい。 キリアン家のお父様お優しい!歓待してくださりご連絡してくださったなんて。さぁ~ご兄弟登場!それで?それで?もうワクワクドキドキです…えっ~<続く>ですか…!?あら~ お疲れとって早く <続き>のお話ししてください。 ドキドキワクワクしながらお待ちしています。 キリアンご兄弟のお話のみならず、縄文時代や石器時代のお話 タイムトラベルでの出来事もお話いただけたら嬉しいです。 Ponkoさ~ん ポテチもう一袋用意してお話の続き楽しみに待ちましょう。 私も今日 ポテチ買い出しに行って準備してお待ちすることにいたします。 ponko310 2017年09月05日 07:49 tackさん ポテチの袋が開いたままなのよ~。 しけっちゃうよ~。 ekさん、ウィーンの友人が3年目前にWSKの郊外のコンサートでエンゲルベルトに会ったんですってよ。 きゃ~、でしょ。 SMSを入れたけどまだ連絡が付いてないんですって。 きゃぁ~よね。 あなたのポテチも美味しそうね。 ek 2017年09月05日 08:47 もう駄目~! tackさんにキリアンご兄弟のお話聞かせて頂く心の準備していたのに… Ponkoさんのウィーンのお友達 親切すぎる。 レーブルさん、マルシャートさんに続いて エンゲルベルトさんまで登場なんて! 「ek!しっかりするんだ~落ち着くんだ~」って自分に言い聞かせています。 あっ!きっとこれはtackさんが私の為にタイムマシンを貸してくださって、Ponkoさんのお友達がパイロット(タイムマシンも操縦はパイロットで良いんですよね?)で私を乗せてくださってあの時にタイムトラベルさせてくださっているのかもしれませんね。 そうしたら Ponkoさんはキャビンアテンダントで同乗? パイロットさん、重くないですか? なんて…ごめんなさい。自分勝手に想像してドキドキしちゃって。 まずは、皆さんがおまちかねのキリアンご兄弟のお話 聞かせていただかなければ。 tackさん ありがとうございます。よろしくお願いいたします。 ponko310 2017年09月05日 15:04 ekさん 気を早く持たないでね。 まだ連絡が付いていないんですもの。 遠い昔の団員達を現在に引っ張り出して来るのは容易な事じゃないんだわ。 タイムマシンも旧式だし、想いの時代に到着しないかもよ。 ま、ポテチの香りを楽しむうちが幸せかもね。 tackさん、カムイから眠り姫に変身してるのかも。 ek 2017年09月05日 19:31 Ponko様 もちろん、そう簡単にタイムトラベル出来ない事は理解しております。 ただ 懐かしいお名前が出てくるだけで、心臓が激しく…。慌て者でごめんなさい。 tackさんはSleeping Beautyに? どこの国の王子様かは存じませんが、どうかtack姫を目覚めさせてください。 私、今日 ポテチ買いだめして来ちゃいました。 袋は開けずにお待ちもうしております。 ponko310 2017年09月06日 00:42 ekさん もうダメ、私達完全に時代を逆戻りして60年代に戻っちゃてるわ。 あの頃、あななたたちとこうして騒ぎたかったな~。 tack 2017年09月06日 01:36 ひゃあ~すみませ~ン。じらしているつもりは全然ありません。ponkoさん、わざと終わらせたわけじゃないぞ。時差ぼけなのに仕事が始まってしまってホントに疲れていたんですぅ。関係ないけどドイツのポテチの袋はなかなか開かないね。日本のは簡単に開くのに。 ekさん、石器時代でWolfgangさんを知っている方に会いましたよ。なんて書くともう眠れなくなっちゃうかもね。 キリアン兄弟の話の続きは明日書きますが、ご期待にそえるようなものじゃないかも・・・ ponko310 2017年09月06日 04:37 tackさん そうだった。 あなたは地球の反対側から戻ったばかりだったんだっけね。 ごめん。ごめん。 仕事が順調に片付けられますように。 私は開かないドイツのポテチの開き方を発見したのじゃ。 ハサミじゃよ~、ウッキッキ。 ekさんは今頃泡吹いてひっくり返ってるかな。 ek 2017年09月06日 09:17 もう駄目~!tackさ~ん、完全に心臓に良くない!と言っても決して悪いことのショックではなく 余りの嬉しさにです。 ヴォルフガングさんとお別れして(なんだか元彼みたいな書き方しちゃいました。奥様ごめんなさい)もうずいぶん年月が経って、彼が思い出の過去の人になりそうな六年目に次々 彼に関わる方々が登場してくださって、ワクワクの毎日のところに、石器時代のヴォルフガングさんをご存知の方とtackさんがお会いしたなんて聞いたら…キュン死です。しばらく ミサ曲でも聴いて、心鎮めています。 でも requiemにならなくて良かったです。 ぜひ、ぜひ キリアンご兄弟のお話とその方とのお話聞かせてください。 もちろん、まずはtackさんのお疲れがとれてから。 えっ~ 永遠に疲れはとれないなんておっしゃらないでくださいね。 まずは 皆さんおまちかねのキリアンご兄弟の事だけでも! よろしくお願いいたします。 どこの王子様か存じませんが、tack眠り姫を目覚めさせてくださってありがとうございます。 tack 2017年09月08日 00:07 私を目覚めさせたのはおとぎの国の王子様じゃなくて、スキヤキの匂いです。私の場合、食い気が絶対勝ちます。ストックホルムで食べたスキヤキ美味しかったなぁ・・・ あ、はい、キリアン兄弟の話続きます。 お父様はマンフレットとゲアハルトに連絡を取ってくださった上に、私たちを車で彼らが待っている場所まで送ってくださいました。ekさんの言う通り本当に優しい方なんです。私はすっかりファンになってしまいましたよ。 話は逸れますが、お父様はこの当時お仕事の傍ら大学で博士課程の勉強をしていらしたのです。後年大学で教鞭を執られていました。 さて、待ち合わせの場所に着くと、マンフレット様、ゲアハルト様のご両人が揃って目の前にお立ちになっているじゃありませんか。私はもう頭の中が空っぽになってしまっていたので、初対面の挨拶で何を話したのかさっぱり覚えていませんが、お父様がしっかりフォローしてくださいました(ホントに色々お世話になりました)。お父様はそこでお帰りになり、残された4人で散歩することになりました。ちょー緊張しましたが、ふたりはさすがにファンの扱いには慣れていて、スマートにエスコートしてくれたんです。 上のコメントでmemeさんが、マンフレットは少し冷たい感じがすると仰っていましたが、たしかにフレンドリーなゲアハルトに比べると、少し無愛想な印象は受けましたね。だってあんまり笑わないしー。こわ~(そういえばオペレッタでもクールな演技だったよな~ブツブツ) どこをどう歩いたかさっぱり分らないのですが、気がつけば4人でドナウ運河に沿った道のベンチに腰掛けていました。マンフレットのペンパルの女性(Kさんとします)はordnungsliebendな方で、合唱団関係の切り抜きを自分で製本して持参していました。 tack 2017年09月08日 00:59 それをマンフレットがじーっと見ている写真があります(家のどこかに。たぶん)ゲアハルトはといえば、そっぽ向いてKさんと談笑しています。サービス精神旺盛ですのよ、彼。 この後の私の記憶はすっ飛んでいて、次の場面は突然プラター遊園地に変わります。 続きます。 追伸: ekさん、Wolfgangさんをご存知の方は 一緒に仕事をしたFさんです。もうおわかりですよね~ ponko310 2017年09月08日 01:42 おりゃ~、これを読むキリアンファンの方達は信じられないだろうな~。 77年じゃまだ素敵な若者よね。すんごい体験、すんごい思い出、もう想像して自己満足してます。 ek 2017年09月08日 05:43 tack様 お疲れのところありがとうございました。 でも、眠り姫を目覚めさせてくださったのが、素敵なM王子ではなく、すき焼きだったとは…。 ルカさんみたい。 素敵なお話ありがとうございました。素敵な長文をドキドキしながら読ませていただいて、 あ~キリアンさんのお父様も素敵だな~って…ファールナー家のお父様の笑顔で頭に浮かんできてしまって涙です… お父様のご連絡を受けてご兄弟揃って待っていてくださったなんて、お二人がいかにお父様をご尊敬なさっているかが判りました。 tackさんのお話を読み進めているうちに、一際キラキラ輝いている一文が。もう視線がその一文から離れなくなってしまいました。 tackさん!ありがとうございます!はい、どなたの事が判りました。 嬉しい一文 本当にありがとうございます! アルバムの中のヴォルフィーに私の喜びを伝えます! まずは落ち着いて…キリアンご兄弟 なんだか場面が浮かび上がってきます。ご兄弟お二人のそれぞれの姿 私が想像するお二人にぴったりです。 真面目なちょっと堅物なお兄様、優しくって心遣いをなさる弟さん。 あ~いいな~。 素敵なご兄弟です tackさん 本当にありがとうございます! 嬉しくもう眠れません!ってもう朝です。 朝だ 朝だよ~って大声で歌いたくなる素敵な朝です。 ありがとうございました。 また いろいろお聞かせください。 ponko310 2017年09月08日 06:35 余計な所に顔を出してすみません。 でもこんな嬉しそうなコメントが入って、このブログをやって良かったと思える一瞬です。 ワタシャもう嬉しくって、ヒヒヒ。 tack 2017年09月08日 19:29 ponkoさん、私もekさんの喜びがブーメランになって返って来て幸せな気持ちになりました。 キリアン兄弟は当時22歳と20歳だったのかな。そりゃあ、ふたりとも素敵でしたよ。マンフレットはアラン・ドロンが好きだ、と言ってましたっけ。どうして?と聞いたら"Verbrecher" だからと。ウ~ンどういう意味に解釈したらいいんだろう。ご本人もヘルムート・ベルガーというよりも、アラン・ドロンタイプかな。 ponko310 2017年09月08日 21:55 tackさん ふ~ん、マンフレットがね~。 そう言えば、72年組のプレフェクトも川崎の散歩の時、アランドロンは良くない噂があるって言ってたっけ。 ちょっと崩れた感じがカッコいいと思う時期だったのかな。 そうだなぁ、仕事であそこまで上がるには正直で真面目一方じゃだめだものねって、どういう意味に解釈されるかな。 ek 2017年09月09日 11:39 tackさん、Ponkoさんそしてこのブログに感謝です。 この数日 年甲斐もなく 胸をときめかせ、ドキドキした日々を過ごさせていただいております。 ありがとうございます! でも…私のいだいていた真面目で堅物なマンフレットさんが一夜明けたら、Verbrecher? アラン ドロンさんもヘルムート ベルガーさんも素敵です。(もちろん外見しか存じ上げませんが) 人間皆 罪人です。 家族の為 仕事の為そして自分の為に小さな罪を犯す事だってありますよね。 人間は弱い者です。でも その弱い人間一人が、時には別の人の永遠の心の支えになっている事が沢山ありますよね。 私も沢山の方々に心を支えていただいています。 改めて感謝です。 そう感じさせてくださったマンフレットさんありがとう! tack 2017年09月12日 22:32 キリアンご兄弟のお父様は今年の6月にお亡くなりになったそうです。 謹んでご冥福をお祈りいたします。 ponko310 2017年09月12日 23:26 お聞きしていたあの優しいお父様がお亡くなりになっていたなんて、本当に残念な事。 私も心からご冥福をお祈りします。 ek 2017年09月13日 13:12 マンフレットさんのお父様のご逝去の報に驚いております。 tackさんのお話を伺ってお父様をご想像していたばかりのお知らせ…。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 yuka 2018年12月30日 15:06 姐さま 急きょのアップをありがとうございます! 年末の忙しさから、束の間の逃避を求めて姐さま邸にお邪魔したら・・・・・・・・・ ギャ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!! す、凄いッ!!!!! あの頃の顔、顔、顔・・・。 記憶の底にずっと眠っていた原風景の中にあるWSKが一瞬にして蘇りました。 登場のシーンから後ろに手を組む所作、歌い方、歌声、礼のしかたなど全てが胸キュンキュ~~~ン、これです!これです!これですよ! 「Myウィーン少年合唱団」は・・・(*´Д`)ハァハァハァハァハァ ちょっと深呼吸💦💦💦 端正な顔立ちのオスカーさん、人懐っこい顔のオブランスキーさんなど、お馴染みの面々を探しては目をハートにして見つめました♥♥♥♥♥♥ で、気になることがひとつ。 後列左から2番目の天使さんはキリアンさんのようにも見えるし、違う方にも? もしご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。 遅くなりましたが、何よりもアレクサンダーさん(オブランスキーさんのこと?)のご厚意に感謝いたします。 yuka 2018年12月30日 16:33 姐さま 何度も失礼します。 先ほどの、後左から2番目の方はキリアンさんではないようです。 どなたかは分かりません(´・ω・`) ek 2018年12月30日 20:30 Ponkoさんそしてオブランスキーさん 素敵なプレゼントをありがとうございます! 遅れたサンタさんのプレゼントであり 早いお年玉であり、一年の締めくくりにこのお部屋にものすごい贈り物を届けてくださり ただただ感動です。 あの並び方 後ろに手を組む懐かしい姿 あ!あの子 名前は ?えーっと そうそう彼だ!やだーあの時と同じまるで天使のよう!(あの時なんですから当たり前ですよね) そうそう彼はいつもあんな顔して歌ってた!まるでミーハー気分。 ドキドキしながら歌声を聴いて さらにドキドキ! yukaさん 私には彼はヴォルストバウワーさんに見えてしまいました。 でも、悲しいかな 最近 さらに視力がダウン。(お仲間の彼女なら分かるかしら? 眩しすぎる素敵なプレゼントに、さらに目が眩んで....。 あの懐かしいドキドキを本当にありがとうございます。 越後の雪椿 2018年12月30日 20:36 ponko様 5月に母、10月に姉を亡くし肉親ロスで少々元気をなくしておりponnko様のブログもいつも読み逃げをしていましたが、懐かしいタイマー氏&懐かしい何人かのメンバーの映像に元気をいただきました。 半世紀も前のなのに映像の美しさに驚いています。 ponko様、一足早いお年玉、ありがとうございます! ponko様にとって来る2019年も素晴らしい年でありますよう願ってます。 ponko310 2018年12月30日 20:45 yukaさん ふと開いた記事がこれだった。 あなたの驚きが伝わってきます。 これは1968年の撮影ですからマンフレット君はもう変声していたのかもね。 綺麗な映像が見つかって本当にオールド達は運が良かったね。 ponko310 2018年12月30日 20:50 ekさん また嬉しい動画が見つかって良かったですね。 懐かしい顔ぶれが此処で見れるなんて本当に驚きました。 みんな、なんて可愛かったのかしら。 やはり蝶々が・・・・。 ponko310 2018年12月30日 20:57 越後の雪椿さん お姉さまとお母さまをお亡くしになっていたのですか。 それはお気を落とされていたことでしょう。 どうか時間が心を癒してくれますように。 この懐かしい少年達があなたに元気をくれたこと、良かったです。 どうか胸の内の冬を乗り越えて、明るい春が来ることを。 yuka 2018年12月30日 21:57 ek様 姐さま おしゃっているのはウォルストバウワー弟さんのことですか? 私は最初お兄さんのことばかり考えていました。 お兄さんにしては少し幼いかなと。 今はだんだんと弟のクリスチャンさんに見えてきました(#^^#) そしてもうひとり、前列右から3番目の方はキリアン弟さんのようにも見えます。 これは私の希望的観測でしょうか? 動画を拝見したらついつい気になってしまって、ウルサくてすみません。 yuichann 2018年12月31日 13:37 ponkoさん 凄く懐かしい映像有難う御座います!アレキサンダーさん貴重な映像有難うございます! 来日しなかった団員もいましたが、半世紀前にタイムスリップしたみたいでした!ジェフ少年やノヴァック君の姿が見えませんでしたがp onk oさんが言われる通り編成替えをしたのですね。カールタウチャー君のソロも懐かしいです。手を後ろに歌う姿がとても良い! また、来年も宜しくお願いします。 ponko310 2018年12月31日 19:25 yukaさん その通り、ブーハハ君の右にいるのはキリアン君の弟ですね。 後列左から2番目はやっぱりクリスチャン君で良いのよね。 うるさくないから聞きたい事は聞いていいんじゃないかしら。 ponko310 2018年12月31日 19:30 yuichannさん 私も後ろ手の少年達をとても懐かしく思います。 私達だけじゃなくて、他の国のオールド達も同じ思いを抱いているみたいですよ。 でも、団員としては随分きつかったみたいですね。 しかしこれに比べると今のウィーン少年合唱団は何しろ朗らかだわ。 Joku 2018年12月31日 20:15 Ponkoさん こんな素敵なクリスマスプレゼント動画をと思っていましたら、爆破警告!警告だけでほっとしています。 少年達もお疲れ様でした。 負傷された修道士の方の回復をお祈りします。 ponko310 2018年12月31日 20:21 Jokuさん 戦争が無い国、と喜んでばかりいられない時代になりましたね。 やはり厳しい国境管理は有った方が良いのかもしれません。 しんのすけ母 2019年01月01日 22:58 あけましておめでとうございます。 オールドファンにとっては何よりも嬉しいお年玉、しっかと頂きました。 69年組の懐かしい顔、顔。 当時、ソリストはノンビブラートと思い込んでいたので、彼のソロは私にとっては衝撃でした。 今日、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートが中継されていましたが、64年組のカペルマイスターとして来日された、H・フロシャワーさんのインタビューがありました。 なんと、来日時の64年組の写真が紹介されていましたよ。 ご子息も合唱団の団員だったとか。(とても可愛い写真も紹介されていました。) 思いがけないウィーン少との出会いにテンションが上がっていたのに又々お年玉頂いて、もう頭の中はウィーン少だらけになりお正月早々嬉しい!! うまく言葉になりませんでしたが、今年も宜しくお願いいたします。 Pfirsichchen 2019年01月02日 03:30 Ponkoさん、明けましておめでとうざいます。 今年もよろしくお願いします。 昨日はお蕎麦、今日はお雑煮を、ちゃんと食べましたよ。おせちはないけど。 なんか懐かしい動画ですねえ。それにしても、古いのに画像がきれいでびっくりです。しかもカラーなんて。 憧れのキリアンさんがいないのは残念だけど、弟君がいるから嬉しい。 上の段、右から2番目はエンゲルベルト君ではないですか?以前に話題になったのも彼でしたっけ?これは誰?ってので。 yuka 2019年01月02日 19:08 姐さま、皆さま、ハッピーニューイヤー! ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート(NHK放送)にフロシャウアー氏が親子二代で出演されましたね。 息子さん(ダニエル氏)のWSK時代のお写真が映され、現在からは想像できない(失礼、失礼、失礼)その美しさに驚かされました。 後列左から2番目の方は私もクリスチャンさんだと思います。 キリアン弟さんはこの翌年に初来日となるわけですけど、彼に限らず、この年頃の顔立ちや体型は1年間での変化が大きくて、特定し辛い場合がありますね。 ponko310 2019年01月02日 19:36 しんのすけ母さん 2019年、あけましておめでとうございます。 カール君のビブラートの歌声を聞いて、私もよくこんな風に歌えたもんだったと・・・。 私もニューイヤーコンサートの中継を見ましたよ。 息子さんのダニエルさんがお父さんのように合唱団員だったことも聞いていました。 彼のバイオリンを弾く舞台姿、すぐに分かりました。 ドイツでは休憩時間にその内容が違っていたので残念です。 越後の雪椿さんが再放送の時に写真を撮ってくれるのを期待するばかりです。 ダニエルさんの団員姿を見たいから。 ponko310 2019年01月02日 19:54 Pfirsichchenさん よっ、新年おめでとう。 お久しぶりの書きこみが嬉しいですね。 ウィーンにいながらちゃんと年越しそばを食べて新年はお雑煮でしたか。 私はもう、すっかりこちら風で、せっかく友人からおそばを頂いたのに年末は揚げパンで新年はごく普通の朝食でした。 私もおせちが無いので、今日は友人から頂いた海苔で美味しいおにぎりでも作りましょうか。 私もこの古い動画にはびっくりしてすぐにオールド達に知らせることにしました。 これを知らないでいる69年組の他のファンには何と言っていいか。 あなたにはキリアン君の弟さんだけでもきっととても懐かしくて嬉しかったと想像しますよ。 上の段はエンゲルベルト君かな。 私は後列の右から二人目がそうだと思うのですが、違う? そうそう、記事134のイチゴを摘んでしゃがんでいる写真がそうでしたっけね。 ponko310 2019年01月02日 20:06 yukaさん きゃはは、ダニエルさんね。 彼も団員時代はバタフライだったのね~。 でも、それはそれでいいんじゃないの? みんなが成長してもあんなに美しいままだったら、世界中の女性が、パコラバンヌの乙女達のようにサウナでは失神してばかりいるでしょうからね。 そうよね、この歳のヨーロッパの少年たちは1年でかなり変わってしまう。 毎日見ていれば違うけれど、私も2年ぶりに見たイェトミール君があんなに逞しく成長していたのにはビビったものね。 Pfirsichchen 2019年01月02日 22:17 Ponkoさんが「リヒャルト君の右横にいるのは誰かしら。」と書いてたので、エンゲルベルト君じゃないかしらと書いたんだけど。上の段、右から2番目の少年のことでしょ? 私は「上の段」、Ponkoさんは「後列」と書いてるだけで、同じことだよね???うん? ところでニューイヤーコンサート、こちらは休憩時間は日本とは違う放送だけど、その代わり、コンサートの前にAuftakt zum Neujahrskonzertという、撮影の裏話みたいのをする番組があって、そこでダニエル・フロシャワーさんが何度も出てきましたよ。あと、今回はNHKも撮影に参加していて、スタッフの方たちもインタビューされてました。 M.T. 2019年01月02日 23:20 Prosit Neujahr ! (タイミング外してますが) なんだかメチャ忙しくて、せっかくの動画をまだ拝見していないのですが、これからゆっくり過去進行形で楽しみたいと思います。とりあえずありがとうございます! Ponkoさん、パソコンでTwitter見られないとのことなので、こちらに書き込ませてください。12月16日分のコピーです。 今年(注:2018)の元日、ウィーンから中継されるニューイヤーズコンサートの真っ最中、美しい音楽が心地よくあろうことかついウトウトしてしまったワタクシ。ハッと気がつけば画面には日本のファンに向けてメッセージを送るダニエルさんの笑顔のアップが…!一気に目が覚めましたよ。 それをお父様のフロシャウアーさんにお話したところ「今度はあなたを起こさないように気をつけなさい、とダニエルに言っておきましょう」 以上のことをツイートしました。 フロシャウアーさんの写真もupしたので、ご覧になりたい方は @giveMtakeU にアクセスしてください。お待ちしております。Ponkoさんにはどうにか送る方法を研究します。 ではこれからたーっぷり69の歌声に浸ります。 追伸 :今年は居眠りしなかったぞ。大好きなパパ・フロシャウアーさんが出演しているんだもの ponko310 2019年01月02日 23:43 Pfirsichchenさん そうそう、同じ少年の事。 エンゲルベルト君の右横はトルマ君だと自信あるんだけど。 こっちの休憩時間には何を放送していたんだろう。 忘れたわ。 ponko310 2019年01月02日 23:58 M.T.さん ツィーッターが見れないと愚痴をこぼして良かったです。 今また、このリンクにアクセスしてみましたがエラーと出ました。 でも他のオールドの方がM.T.さんのツィッターを見れると思うので愚痴はこぼしてみるものですな。 私の方は息子にでも聞くかなんなりして何とか読めるようにしてみます。 フロシャウワー先生はユーモアがあって楽しい方なんですね。 これからもコンタクトを続けて下さいな。 それにしても去年だってドイツでは休憩時間に他の画面を流していましたぞい。 1964-1967 2019年01月03日 00:05 ponko 様 違うところにも来させて頂きました。ほぼ69年組の映像懐かしく拝見させて頂きました。(64年組が好きだって言ってたくせにっていわないでくださいね・・)お顔は懐かしく思い出せるのですがお名前がでてきません、まずいですね。69年のパンフレットをお持ちの方がいらっしゃいましたら照らし合わせて見て頂けると嬉しいです! 私のわかる範囲では、キリアンさん、フラドキーさん、ヴルストバウアーさん兄は、帰国後夏には退団されていますのでここには出ていらっしゃいません。ノヴァックさん、ヴァインベルガーさんは他の組です。後列左側には、クロメチェックさん、ゼールマンさん、ドーブリンガーさん、前列左から2人目はビカンさん、前列右から5人目から右へ、プファンドルさん、ブーハッハさん、キリアン弟さん、あと雑誌に亀の子コンビと書かれてあった仲良し2人組だと思います。違っていたらごめんなさい。 タイマー組は、67年夏に数人退団したので新編成にして、その後ソリストが足りなかったのでノヴァックさんに移動してもらったとかいうことです。 Joku 2019年01月03日 01:07 Ponkoさん 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 こちらではオペラ座150周年で、オペラ座内の様子の映像でした。日本の実家から、NHKではフロシャウワーさん息子さんが出ていたよと連絡がありました。昨年の休憩中はワーグナーの建築メインにウィーン観光で楽しかったです。 ponko310 2019年01月03日 02:30 1964-1967さん やっぱりオールドファンだけあって詳しい情報を嬉しく思います。 日本公演の後にすぐ卒業した団員達が誰だったのか、もう切り抜きももらえなくなっていたのでよく知りませんでした。 あなたの示した団員は全員解りますが、どうも亀の子コンビの事も知らない程度のほどです。 ponko310 2019年01月03日 02:37 Jokuさん 新年おめでとう。 ウィーンのオペラ座は150周年で私も映像を見ました。 芸術家の生涯の曲でバレーの踊りが入っていましたよ。 会場には着物姿の方達も沢山いましたね。 凄い、去年の休憩中の場面まで覚えているなんて。 私は大抵、ボケ~っとしながら画面を見ているみたいです。 たまにドラゴンちゃんと遊んでたりして。 maa 2019年01月03日 14:01 ponko様 懐かしく、そして美しいコーラスと映像で感動しました。こんなに鮮明な姿の67年組に再会できるなんて、長い月日を忘れてしまいそう。69年には来日できなかったアレキダサンダー君も、まだここでは歌っていますね。 何枚かスクショしてみました。それでもわからないメンバーもいます。リヒャルト君はフロシャウアー隊だったから、ここにはいないかもしれない。 カバー写真はグンナーR君とクラウスH君でしょうか?私も69は記憶が怪しいのです。 亀の子コンビのヒントは、ponkoさんのイラストで紹介されているウォルフガングH君の項目を読んでみてね。 KAZU2205 2019年01月03日 14:06 ponko310さん あけましておめでとうございます カラーで美しいお年玉をありがとうございます 私も一瞬 67年組のハンネスさんかと思いましたが 弟のクリスチャンさんでしたか、、、 甘えん坊でかわいいクリスチャンさんは、やっぱりお兄さん似の美少年へと成長しましたね ponko310さんのブログで貴重な映像を観られるのは、私の元気の源になっています 介護関係の仕事も勉強も、まだまだ頑張ろうと思っています なかなか書込みできないかもしれませんが、今年もよろしくお願いします。 ponko310 2019年01月03日 17:49 maaさん そう、カバー写真はまさに彼らですよね。 グンナー君って本当に天使みたいだったなぁ。 亀の子コンビが分かりました。 二人とも亀を持っていたからだったんだわ。 自分で編集していて、すっかり忘れているの。 でも、懐かしいもう一つのリンクは、オールドへのプレゼントね。 みんなコメントばかりみに来るから、本文に新しいびっくり箱が届いているのを此処で教えなくちゃ。 ponko310 2019年01月04日 00:23 KAZU2205さん このブログが少しでも、大変なお仕事の合間の気晴らしになってくれることを願っています。 書き込みはみんなとおしゃべりがしたくなった時に気さくになさって下さいね。 コメントの中に元団員の名前を目にするだけでも、ドキドキする人が此処には来ているはずですから。 1964-1967 2019年01月04日 01:14 ponko様 maa様 懐かしい映像第2弾を有難うございました。しかも、私の大好きなヨハン大公のヨーデルを歌っているので更に嬉しかったです!亀の子コンビの由来もわかって良かったです。カバー写真は私も、お二人のご推察の通りだと思います。 yuichann 2019年01月04日 17:13 Frohes neues Jahr! ponkoさん素敵なお年玉有難うございます。今年も素敵な年になりそうですね! ウイーン・リング・アンサンブルのニューイヤー・コンサートに行ってきました。ウイーンの香りが漂う素敵なコンサートでした。ダニエルさんのバイオリンも素敵でしたがライナー・キュッヒルさんのバイオリン凄いです。(当然ですね)9人の演奏者の表情が皆素敵でした!皆さんのお顔が良く見える席で、楽しみました。 今年も宜しくお願い致します!(ブログを楽しみにしています) ponko310 2019年01月04日 20:08 1964-1967さん 記憶違いの方が記憶が無くなっているよりも優れていますよね、うふふ。 また何か思い出したら教えてくださいね。 ponko310 2019年01月04日 20:14 yuichannさん 素敵なコンサートを楽しまれた雰囲気が伝わってきます。 あのバイオリンの済んだ音色はうっとりしますよね。 あ、うっとりしていたのはすぐ目の前のハンサムな団員さん達に見とれていたからかな。 少年達とは違った大人の雰囲気が胸にグッと来ますよね。 はい、今年も何とか記事を書きます。 maa 2019年01月04日 21:16 ニューイヤーコンサートは世界100か国でライブ放送されているそうですね。休憩時間には各国で趣向を凝らした挿入番組を作っているのかもしれない。日本ではフラシャウアー先生とダニエル楽団長とのお話が微笑ましく、フロシャウアー先生がお元気そうで嬉しかったです。 国立歌劇場は日本に来ると15000円から60000円くらいしますよね。本国ではもう少し安価で入場できるのですか? 一度はあの中に座ってみたいです。ぱぱぱの歌のついでに三人の童子までやってくれたら、この動画がもっと楽しい物になっていたわ。 でも最後のほうで聴かれる『芸術家の生涯」はponkoさんの好きな曲だって、思い出しました。 ponko310 2019年01月04日 22:08 maaさん 世界っていったい今は何カ国あるんだろう。 と、おもってネットで調べたら196か国ですって。 その半分がウィーンのニューイヤーコンサートを生放送しているのね。 国立歌劇場は私もじっくりと鑑賞してみたいわ。 71年に二回も入っているけれど、両方とも友人のご両親の招待だったのでどのくらいの値段か分かっていませんでした。 今考えたら、そういう軽薄な若さって、怖くなります。 舞台裏の場面を見ながら、装置や音響、照明などの仕事についていた元団員達がいたのを思い出しました。 パパパの歌のついでじゃなくて、代わりに3人の童子っていうのはどう。 そして芸術家の生涯の曲にはバレーじゃなくてウィーン街の朝の昔の風景を見たかったな。 WSKのあの曲をレコードを初めて聞いたとき、あの半音の部分の物悲しい歌声にひどく胸キュンしちゃったのよ~。 yuka 2019年01月05日 12:00 姐さま maa様 私もパパパの後、3人の童子君登場をちょっと期待しちゃいました^^♪ 1964-1967 2019年01月06日 13:53 やはりオールドファンの方に助け舟を出していただきました。皆さんのおっしゃる通り、第二アルトコレッコさんのお隣はリヒャルトさんでした! 彼は本来はアングルベルガー組(元フロシアウアー組)ですがこのツアーの時はタイマー組に来てもらったのだそうです。バルトニックさんも大人っぽくなられて、一年経つと皆変わるのですね、わかりませんでした。 maa 2019年01月08日 20:34 ponko様 最初の動画のほうに、ルドルフB君からコメントが入っていましたよ! Leise rieselt der Sdhnee も素敵で感激です。 どこかのTV局や制作会社の倉庫に、まだ眠っている映像があることを期待しましょう。 リヒャルト君はフロシャウアー隊という先入観がありましたが、このクラスで歌っていた時期もあるんですね。雑誌で見た小さかった印象が強いので、こんなに成長した姿はジンときます。 ponko310 2019年01月08日 22:10 maaさん ほんとだ、ルドルフ君からのメッセージです。 元団員もこんな動画の出ることが嬉しいのね。 あんな昔の動画が見つかること自体が驚きなのに、そこに元団員のコメントが入るなんて、すごく素敵よね。 どうせなら全員のコメントが入らないかな。 でもインターネットをやっていない人もかなりいるかもね。 69年に来たフリッツもリヒャルトと一緒にフロシャウワー隊にいたのよ。 リヒャルト君、来日できなかったけれど素敵に成長してたね。 2019年1月10日 ウィーンとは関係ないけれど偶然、テルツの素敵なアルトの少年の動画を見つけたので貼っておきます。 カエルの歌でカエル役がエイドリアンの小さいときにそっくり。 ウィーンであれテルツであれレーゲンスブルグであれ、どんな素晴らしいソロでも合唱でも、私にはやっぱりドイツ語圏の言葉で歌われる少年合唱が一番ホッとします。 yuichann 2019年01月13日 19:51 ponkoさん テルツのカエル役(エイドリアン君に似ている)の少年、一生懸命 カエルになりっきて歌っているのが、可愛いですね。アルトの少年もとても上手!(カエルの鳴き声が日本と違うんですね!面白いです。) ponko310 2019年01月13日 20:39 yuichannさん また来てくれてありがとう。 コメントにお返事をするのは楽しいですね。 テルツのカエル少年、可愛いでしょう? 今どんな風に成長しているのかしらね。 本物のエイドリアンはスマートな14歳の美少年になって、声もすっかり変わってしまいました。 日本のカエルはケロケロですが、ドイツのはクワックワッと鳴いています、あはは。 ブログ更新してなくてごめんなさい。 yuichann 2019年01月14日 16:45 ponkoさん ドイツのカエルの鳴き声の方が音楽的に良いと思うのですが?楽しんでブログを見せて頂いています。クロメチェック君とゼールマン君の間にいる少年は誰ですか? ponko310 2019年01月14日 22:26 yuichannさん ドイツのクワクワよりケロケロのカエルの方が可愛いね。 え? セールマン君の両隣がクロメチェック君とドープリンガー君じゃないの? yuichnn 2019年01月15日 11:17 ponkoさん、そうですよね!間違えてました。 クロメチェック君とヴォルストヴァウアー君とのあいだに居る少年は、後のカペルマイスター ペーターマルシック君ですか? ponko310 2019年01月15日 19:14 yuichnnさん あの顔つきはそうでしょうね。 1年後に来日した時は背が高くなってアルトになっていましたね。 みんな髪の毛がふさふさだったのにね。 https://kaernten.orf.at/tv/stories/2580291/ はっぴー 2019年02月11日 13:45 久々にお邪魔しま~す。 こちらは今日も雪です❄ お家で過ごしながら67~69年組の動画が観れるとは‼オブちゃんに感謝です✨ Vielen Dank! キリアン(弟)君やココさん、オスカー君にビツァン君、グンナー・ロミナー君、ソリストのカール・タウチァー君までは把握できたのですが、その他の団員は怪しかったかな。足早に過ぎた年月を感じました。(^^; でも歌声は最高‼ 良い休日を過ごせました。 ponko310 2019年02月11日 20:14 はっぴーさん 外の雪の景色を見ながら暖かいお部屋の中で大好きなタイマー隊の動画を見るなんて、ちょっと贅沢。 今頃になっても、こんな動画が見つかって嬉しいですね。 オブちゃんに乾杯。 ryo 2019年11月28日 01:11ponko様 この動画です。オスカー・セールマンだ!この子も美少年でしたね?派手じゃないけれど、控えめな感じの子だと思っていました。耳鼻咽喉科のお医者様になったのですね?私、難聴気味なので、治療してほしいです。オスカー君に治療してもらえるなら、喜んで耳を差し出します。この動画、何年ごろでしょうか?少年時代の時の美しさを留めていますよね?それにしても、音楽の道に進まなくても優秀な人材をどんどん輩出して、ウィーン少年合唱団恐るべしです。 ponko310 2019年11月28日 01:48 ryoさん 動画の年代を見ると2013年とありますね。 私もセ-ルマン先生に診てもらいたいです。 ミュルナー先生もいいですね~。 ベルリンには元団員の産婦人科の先生もいらっしゃるとか・・・名前は判りませんが、絶対に行きません。 Yuichann 2019年11月28日 10:14 Ponko さん 此方にもお邪魔します。久し振りに此方のブログを読ませて頂きました。オスカー君執刀医凄いですね。アントン君もお医者さんでしたよね? 昔の団員達の活躍する姿が見られて大変嬉しいです😊ベルリンに産婦人科のお医者さんがいるのですか?何とも凄いですね。 皆んな優秀なのですね! ponko310 2019年11月28日 19:21 Yuichannさん さ~て、此処に来たコメントのお蔭で私も久しぶりに6年前の記事を読みました。 あんな事、書いていたんだと腹を抱えて大笑い。 でも、読者の方はまだ私のブログを知らなくて、ブログ玉なんて殆どついていませんでしたね。 やっぱさびし~、でもま、自分が楽しきゃ、それでいいんです。 ・・・ん、読んだ人の笑い玉が付いたらもっと楽しい。 ek 2019年11月29日 01:42 泣き言を言うなとお思いなさるなPonko様 あのスマートでキリリとした少年オスカー君が耳鼻咽喉科のドクターになられていたなんて! もちろん このお部屋にも以前お邪魔したのですが、その頃は足跡も足音も残さず、失礼してしまってました。 なんだか、賑わってますね。 あ~ぁオスカー先生が私の主治医だったなら、手術執刀医だったら私の人生は変わっていたかもしれません。私の主治医はオスカー先生ではなく、おがた医師でした。もちろんおがたー先生も最善尽くしてくださいましたが、オスカー先生だったら「我が人生から歌をうばわなかったかも?」あら?そんなこといったら まるでおがたー先生が最善尽くさなかったみたいではありませんが。おがた先生ごめんなさい。 先生のお陰で普通の生活出来ているんですものね。 こんな話をしたいのではなく、ウィーンの 団員は皆さん優秀と言いたいのですよね。 ponko310 2021年03月29日 18:08 ekさん 今頃になって気が付いたんだけれど、ここの記事のあなたのコメントにまだお返事を返していなかったのね。 2013年5月の記事で、まだブロ友さんも2~3人しかいなかったかな。 ブログ玉もコメントも今に比べたら淋しいくらいだった。 でもね、ずっと後になって読み返してみると、高輪プリンスホテルでの時代が蘇って来て、懐かしいやらおかしいやら。 ekさんもこの記事の頃には私のブログに気が付いていなかったのでしょうね。 でも声をかけてくれて本当に良かったと思います。 これからも、どこかのお部屋にポコっと顔を出して下さいね。 そこからまた古い新しい話題が生まれてくるかもしれません。 1964-1967 2021年05月09日 13:09 ponko 様 集合写真のある所を教えて頂いて、maa 様のところからこちらに来たのですが、昔の記事にすっかり読みふけってしまいました。何度読んでも楽しいし、67年組の来日中の様子がよくわかって興味深かったです。色々と、すごいですね。通訳までさせられたとは、大変でしたね。67年組も本当に懐かしいです。 それともう一つponko さんのブログで楽しみなのは、季節の移り変わりを書いて下さる事です。日本とは違う自然の様子が、綺麗に紹介されていてとても楽しく読ませて頂いています。これからも、また書いて下さいね。今は森が緑になってきれいなのでしょうね。いいなぁ~。 ponko310 2021年05月09日 17:50 1964-1967さん 嬉しいお声が掛かって幸せ気分でルンルンです。 私も時々、気が向くと自分の記事を読み返しますが、まるで他人事のように、こんなことが書いてある~、なんてゲラゲラ笑う事がちょくちょくです。 忘れてしまっているんでよね。 私の住んでいる町はベルリンのお隣で、ドイツの首都には森の中の道路を通り抜けて行くのです。 カッコいいでしょ~。 だから季節の移り変わりは否応にも見せられることになります。 WSKの記事だけでなく、自然や生活の記事にまで目を通して下さるファンの方がいらして下さるのは本当に嬉しいですね。 井戸端会議の仲間が欲しくて立ち上げたこのブログの目的が叶った気がしています。 どうぞ、どこの部屋でも、覗いたら声を掛けて下さいね。 そこでもきっと何かまた新しい話題が出るような気がします。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。 貴方の失敗ではないのでがっかりなさいませんように。 と言うよりも、オールドの方には楽天ブログのコメントは入れ辛いらしいので、お声が掛かった時は、努力なさってくださったことに心から感謝します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[1960年代のウィーン少年合唱団] カテゴリの最新記事
|
|