カテゴリ:1960年代のウィーン少年合唱団
(初公開2013年5月―再編集2022年8月) ウィーンから、あの子たちがまたやってくる。 本来は3年ごとに来日するはずのウィーン少年合唱団が、嬉しいことに70年開催の大阪万博を避けるために、なんと2年目の1979年に日本に来ることになりました。 それも、1967年に来日したタイマー隊が再来日だそうです。 67年組が帰ってから、ファン友からもらった切り抜きが多くなったので、団員の顔と名前が一致しましたが、何の役にも立たないと思っていたら、この写真に載っている子たちの、何人かが来るってことなのでした。 ファンたちはもちろんざわめいています。 でも、それって、私達をまた翻弄させようとする招聘社のずるい顧客心理作戦じゃないのかしら。 いえいえ、私達ファンの気持ちを思いやってのサービスなんですわ、おっほっほ。 ウィーン少年合唱団ファン向けの音楽雑誌にはこの団員たちが再来日するって。 よし、今回もピンクのワンピースでコンサートに行く!と、ヨーロッパ旅行のための預金をはたいて、安い券を買いました。 このチケットに写っている団員たちが来るのかな。 みんな知らない顔に見えるけれど、自分のドイツ語がどのくらい上達しているのかを確かめるために、またもやミーハーをすることに決めました。←後で二人わかった。 さすがに空港まで迎えに行くことはしなかったけれど、ちょうどオーストリア大使館でウィーン少年合唱団の為に復活祭の催しをするという情報が入って、私も他のファンたちと共に参加出来ました。 派手な振袖を着てきたファンがいたのにはびっくりしましたけどね。 そこまで目立ちたいのかなぁ~、なんて、自分が着物を持っていないやっかみも半分交えて見てました。 その時、目についたある少年にガガ~~~ンと衝撃を受けたのですよ。 あれは、な、な、なんとナプキンを拾ってくれたブハハ、いえ、アントン君ではないですか。 この2年のうちに凄いハンサム・・・いえ私好みの美少年になっていたんですよね。 67年のナプキンの時はおどおどして、頭の中がまっちろちろになっていたけれど、今はそんなことはなくて、ただ、ウッソォ~、と思っただけ。←自分ではもうお姉さま感覚でしたからね。 しかし、今回はナプキンじゃなくてサインを貰ってやるぞっ!!・・・・と意気込んだけれど、気が付いたら手ぶらだった!←人はドジを重ねて学んでいくのです。 なので、声を掛けるきっかけもなくて、遠くからただ眺めるだけだったけれど、心の中ではアントン君のサインを貰うことにはっしと決めた。←勝手に決めるな、迷惑です。だがこの日は、何かまたアホなドジをする前にこの少年から離れる。←賢明な判断でした さて、アントン君のサインを貰うぞと勝手に決めた私は、友人の誘いに乗って何度か、品川プリンスホテルだった高輪プリンスホテルにも行きました。 今回は、あの恐怖のマンフレット君がいなかったので、気が楽と言うか・・・。 ね、いないでしょ~ 貯めた旅行費に少し希望が出てきて、2年後にはそれでヨーロッパに行く計画をしていましたが、この計画を一緒にしている友人Yさんが、69年来日組の中にココという名のペンフレンドを持っていました。いつからどうやってペンフレンド同士になったのか、67年には知り合っていなかったのでわかりません。 でも、この二人はどうやらずいぶん気が合ったようで、私の援護など必要無しで話している間に、こっちはある団員を見て、その容貌に何となく懐旧の情を覚えたのです。 その団員はファンの少女と話していたのですが、こっちは無意識のうちに近づいて、この笑顔…この瞳、フ~ン--------と思っていたら、急に向き直って話かけられました。その時思い出したのですよ、・・・・そう、名犬ラッシーのジェフ少年だぁ。 昔、連続テレビドラマでやっていたアメリカ映画の”名犬ラッシー”。 私は、あのきれいな少年と、その日本語の”吹き替えの声”がたまらなく好きでした。 ね? この二人、何となく似ていませんか? 話が横に逸れますが、このTommy Rettig君は心臓発作の為に55歳で亡くなっていました!映画「青きドナウ」のトニー役のヴィンセント君も51歳で亡くなっていました。ショックですよね~、私の父も52歳で亡くなっています。 さて、もちろんこの二人のジェフ君の世代は全然違うのですけれど、懐かしくなってオヨヨ~ンと近づいてしまったところ、声を掛けられてびっくりして、普通の日本人のように「ノー」と言いながら手を横に振って逃げる気になってしまいました。 「君はココの友人の友人でしょ?」 彼の言うその言葉の意味がわかってもっとびっくり。←聞いてわかるには判るのでした。 でもね、私のドイツ語なんて初めからただの独学なんですから、自分で好きに考えて話す範囲ならまぁまぁですけど、←その範囲ってのが実に狭いんょ「え、何で知ってるのよ。」 「ココが言ってましたよ、きみはドイツ語が出来るって。そこで、この人の言ってる事を教えてくれますか。」 なんだよ、簡単に言ったら私に通訳してくれってことじゃないか。←心の中の言葉 何考えてるか知らない人の通訳なんて、それこそとんでもなく難しいのです。 ↑弁解に事欠いて判ったような理屈をほざく素人狸 それで、この何処から来たか知らない運の悪いファンの子の質問というのが「私の家は漬物やなんですけど、タクワンとか福神漬けを食べた事ありますか」ですって! ウッソォ~ プロの通訳でもないのに 「たくわん」だの 「福神漬け」なんてどうやって説明すればいいのよ。 「悪いけど、たくわんだとか福神漬けなんて言葉、ドイツ語で知らないし、そんなもの、ホテルで出るわけないわよ。」←旅館では出ます。 あぁ、この2年で少年達は美男と化し、私はウィ―ン訛り無しの意地悪パンダ化か! しかしその素直な少女は私の回答で諦めたようにうなづく。←ごめんねぇ、でも無料だから。ところがジェフ少年はニコニコしながら首をかしげて何ですか?って顔。 ありゃ~、こんな顔されたんじゃぁ、しかたなく何とか説明。←マンフレッドの時より質の悪い地獄の始まり 「ん~、それは白くて長い野菜で、土の中で育つ。←彼はなぞなぞかな?って顔-------ん~で、それを洗って黄色くして・・←この時点ではぁ?の顔 (頭ポリポリ)ん~、塩でぇ、(モミモミする真似)美味しくして、もう一つは~、・・・ん、ん、いろんな形で赤くて、野菜で・・・・それも美味しくて、それはこの少女の父が売る。←この時点でジェフ少年はチラッとその少女を見る。君はもうそれを食べたか。」←実際ひどいドイツ語だったらしい あれ、すると彼の笑顔がだんだんくずれて来て、最後には面白そうにケラケラ笑いだした。 この子やっぱり、私のドイツ語、本気で聞いてない気がする 。 私のそんな内心の、カオスに近い困惑状態など知る由も無く、好きな団員が愉快そうに笑うものだから、そのファンの子も嬉しそうに笑う。 で、答えは当然期待できるものではないと構えていました。←だよね。 でも、彼はこの私の内心のピンチに対して、とても気の利いたお返事をしてくれたのです。 「僕はピクルス(彼は”漬けた野菜”と表現しました)は嫌いではありませんがお腹が?????ほどは食べません」 はぁ~、私の言いたい事を察してくれたんだ。 ジェフ君、ありがとう、助かった。 さすが国を代表するウィ―ン少年合唱団の立派な団員だけあるぞ。 偉い、偉い。 でも、この?????がわからない。 当時の日本人の悪い癖は(今も?)相手の言葉を「理解しない」のは失礼だと思っているので、解らなくとも解ったような顔で ”はい” と言いその場をやり過ごす事だったのです。 でも、私は旅行に必須の「解りません」と言うドイツ語だけはいつも練習していて、それはそれは、もうドイツ人の如くとても上手に言える唯一の言葉だったので「今の????ってわかりません」と、無い胸を張って 堂々と言い張ったのでした。 すると彼は両手で自分のお腹を軽く叩き、にこやかにその手を可愛らしくパッと外に開いてみせました。 で、テレパシーのごとくすぐにその意味がピンと来てしまった私は、ウッソォ~と冷や汗を滲ませ、血相を変えながら、思わず手を口に当てて「 おなら ❓ 」とつぶやいてし、しまった、たのです! ヨーロッパでは人前でげっぷをするのはタブーだけれども、健康上においては密かに”屁をひる事” はまぁまぁ許容されていると聞いた事がありましたっけ。←うそです。 しかし、自分の思い違いかもしれない!と思ったその瞬間すでに遅く、感性が良い故に耳ざとくそれを聞き、それが彼の言った言葉の”正しい訳”だと勘違いしたジェフ少年は、「 オナラ 」と上手に口真似をしたので、周りの女の子達は「やだぁ」と体をよじりだしてキャァキャァ大喜び。 あわてて、肌身離さず持っている辞書で必死に調べたら” 破裂 ”のことでした。 「お腹が破裂するまで食べるほどじゃないって言ってるのよ !」と、日本語でなら、ちゃんとした言葉がすらすら出るので必死に訂正です。 そこは何とか切り抜けたけれど、もうすっごく冷や汗でした。 だけど、なんで私にばかりこういう災難がふり掛かるのよ!←自分で作ってる もう、知らない人の通訳はいやだ~! でもこの子、ウッソォ~でしょ、と言いたいくらいに愛想のよい少年でしたね。 私が再来年オーストリアに行きたいと話すと、じゃぁ、僕の国で再会しましょう、とお愛想。 試しにじゃぁ、文通する?と聞くと何の抵抗もなくOKの返事をする。 ウッソォでしょ、この子。 ぜったいウッソォ~。 こんな簡単に来日のウィーン少年合唱団の団員と文通なんて出来るわけない。 でも、ちゃんとアドレスをくれました・・・・フリッツ・シーマークだって。 そうそう、ホテルの近くのボーリング場にもくっついて行きましたっけ。 団員達が自分の番が来るまでの短い間に、ファンサービスをしてくれます。 一番ちびの天使の様なローミラーと言う笑顔の可愛い坊やは、ちょこちょこやって来て、自分の飲みかけのジュースの缶を渡すので、てっきりくれたのかと思って飲み出したら、ニコニコしながらヌッと手を出して、「もう返して」 だって・・・・な、なんだ、こいつは、と仰天しました。 ある時、一番最初のペンフレンドの”ウサギちゃん”が、可愛らしいプチポワンの耳飾りを贈ってくれました。また取り戻すなら、何でその缶を渡してくれたのか今だに分かりませんねぇ。 その前には暇だったのかキリアン君の弟がフラ~っとやって来て、その髪の色が私の好きな鳶色だったので、君の髪、きれいだね、と言ったらおもむろに自分の髪の毛を何本か引き抜いてくれました。一本抜くのにも痛いのに、3本もありました。 ある時は、ロビーがごった返していたので、気分転換に庭に出たあと、エレベーターで階上まで行き、そこから階段で一気に下まで降りていた途中・・・・・・・出会ってしまったのです。ファンからのプレゼントを手にして、下から静かに一人で階段を上がって来る制服姿の団員はアントン君ではありませんか。 わっ、階段、ドドドって駆け下りて、けっこう音が立ってなかったかな、やっだぁ、聞かれちゃってたらど~しよう。 ナプキンの事なんか覚えてるはずないし、そんな事言える語学力までには達していないし、私は上から見下ろし、アントン君は下から見上げ。 「なんで、階段なの?」とそんなことしか出て来な~い。 もどかしいけど、頭真っチロチロのナプキンの事なんて出て来ないよォ。 「え?・・・あぁ、僕、エレベーター嫌いなんです。」 思いもよらない答えに、なんと返せばいいんだろう。 「あなたの苦労に感謝します」←ばっかじゃない。やっぱ、全然上達してない。 アントン君とすれ違う時に言った言葉がそれ。 彼は一瞬きょとんとこちらを見て、それからうなずいた。←キチガイには無難な行為 そうだ、サイン! 後ろ姿もかっこいいアントン君にもう一度声を掛ける。 私が一段上がって、彼が3段下りて来て、←ここですでに別れの曲 用意した似顔絵の描いてあるメモをポケットから出して彼に渡そうとすると、彼は持っていたプレゼントを私に預けて← 一瞬持って逃げようかと・・ ちょっと小首を傾げてその絵をしばらく見ると、クスッと笑って書いてくれました。 うわっ、・・うわわ。 こころを込めたご挨拶を アントン ブ―ハハー それまで一度も耳飾りなどしたことがなかった私は、初めてそんな女の子らしいプレゼントを貰って、それは有頂天でした。 でもそれをしてしばらくすると、どうにも耳たぶが痛くなるので、黒のヘアーバンドに留めて洒落た髪飾りにしました。 自分ではなかなかいいアイデアだと嬉しがって、何処に行くにもそのヘアーバンドをつけて行きました。 さて、ジェフ少年はいかにも元気な都会っ子らしく、頼まれたサインを、いかにも早くてきぱきと済ませ、ファン達と楽しそうにてきぱきと英語で話し、てきぱきと沢山のプレゼントを受け取っていました。 口癖なのか、ヤ―(はい)と言えば済むところを、ヤ―ヤ―と二回言います。 もちろんです、というフライリヒという言葉も、私に返事をするときは必ず二回言ってました。 でも不思議な事にファンと話してもイエス、イエスとは言ってませんでした。 そして箸が転んでもおかしい年頃に掛かっているらしく←まちがいなし、私のヘアーバンドに目をやっては可笑しそうな表情をするので”ウサギちゃん”からのプレゼントだと教えてあげました。 「それは一般的には耳に付けるものです。」 「耳の上でもいいでしょ。」 「アハハハハ」 この気さくな少年はまた社交的な紳士でもあるらしく、愛想の振り撒き方も上手い。 とても綺麗な、でも小鼻の下に毛細血管の薄く浮き出たファンの女の子が、ボケッと突っ立っていた私にジェフ少年のことを伝えに走って来ました。 「私が近づくでしょ。そうすると胸に手をやってブビドゥン、ブビドゥンって言うの。それはいったいどんな意味なの?」 「なにそれ?」 「多分・・・・きっと、心臓の音なのよ。」 「なにそれ?」 「私が近づくといつもそうするのよ。」 「なにそれ?」 と、その女の子は小鼻の毛細血管を更に浮き立てて益々興奮していきました。 64年組の事を思うと、何だか69年組の少年たちはずっこけていたような気がします。 いよいよ帰国の前の日に、ココの友人のYさんがペンフレンドとゆっくり会える最終日だと言うので、今回は←私のほうから自力で、ホテルまでくっついて行きました。 おっと、その前にもう一つ。 このヴォルフガング・ノヴァーク少年はこの69年組のソリストなんですよ。 この動画でも彼の名前がバッチリと大きく出ていますが、あらまっ この画像の制服はドイツ・ライプチヒのト―マス少年合唱団・・・・なんか目茶目茶。 それにね、実際に歌っているのは、実はペーター・イェロジッツと言う69年から75年までのウィ―ン少年合唱団員なんです。 面白いのは、歌ってもいないのに名前を書かれたノヴァークさんがコメントをよこしている事なんですよ。 Wolfgang Nowak Hello, in order to clarify abit of the confusion about the singer: it is definitely NOT Wolfgang Nowak: he who must know this is me, I am Wolfgang Nowak. Though I was the singer of "Blute nur" with Harnoncourt in 1970, at the age of 14. The time this record was produced I was already interested in other things like soccer and girls. 英語だからここに来る人はみんな読めると思いますが、ま、簡単に訳すと 「ハロー、歌い手について誤解を招かないように説明しますけれど、これは決してヴォルフガング・ノヴァークではありませんよ。 それを知っているのはヴォルフガング・ノヴァークで、実際それは僕なんですからね。 1970年のアーノンクールとやった“Blute nur”の歌い手は14歳のボクでしたけれど。 この録音がされた時は、僕はもうサッカ―とか女の子とかの他の方に関心が向いていましたよ。」 この言葉で何だか彼に凄く身近な人間性を感じてしまって載せた次第です。 最後の日のホテルのロビーはファンでごった返しています。 私達が中に入って行くと、Yさんのペンフレンドがすぐに見つかりました。彼はしばらくYさんと話していた後、ジェフ少年を連れて私達の所にやってきました。 今回のウサギちゃんのプチポワンはスカーフにくっついていましたが、ジェフ君はすぐに見つけ、ちらちらとそこに目をやってはまた可笑しそうな顔です。 耳たぶの痛さを知らない彼の無言の問い掛けにはもうノーコメントです。 さて、二人して私達のところにやってきた彼らは、辺りのファンを気にしながら、ちょっと戸惑い気味に、とても心苦しいお願いがあるのです、と言うのです。 私達は顔を見合わせて何だろうとびっくりしました。 ウィ―ン少年合唱団の団員からのお願い? へっ、この私達に? 一瞬頭の中が白銀の世界に陥った。 ぎゃ~ もう、何でも聞いてやるから言ってぇ~、と叫びながらでんぐり返しをしたかったところをぐっと抑えて、たった一言。 「ビッテ(どうぞ)」な~んてお姉さんぶったのでした。 彼らのお願いと言うのは、ファンからの特に気に入ったプレゼントをずっと保管してきたが、すべてをウィ―ンに持って帰れないので、信頼している私達に預けておいても構わないかと言う事だったのです。 友人はすぐに承知して、自分が船便で郵送してあげると約束していました。 私は?←旅行のために節約してるって言うのに ジェフ君は人懐っこい顔で私を見て、その目が期待に輝いているのです。 知らんぷりできないじゃないのよっ←いやと言えない一般的日本人 で、わたしもOK・・・・・・ま、いいか。←これは今でも変わっていません OKの返事をもらった二人は「ダンケ!」と叫んで、すっ飛んで自分の部屋に戻り、しばらくすると手提げの紙袋を抱えて戻って来ました。 二人は私達に袋の中からいろいろなプレゼントを出して見せてくれています。 まわりのファンの子たちはこの”反対の状況”に不審な目を向けています。 へたすると私たちが団員からプレゼントされているように見えますから。 ちょっとバツが悪くなってしまい、日本語で「いいから、いいから」と言いながらひとからげにして柱の陰に隠してしまいました。 翌日、友人は羽田にペンフレンドの団員の見送りに行ったそうです。 そして、ジェフ君が私へよろしくとの伝言をくれたと電話で伝えて来ました。 私はそれを聞きながら、目の前にある大きな紙袋を見てため息をつくのでした。 このページに載せている切り抜きの多くをブロ友のYuichannさんからいただきました。オールドのみんなと共有させてくれてどうもありがとう。 2018年にはファン仲間のmaaさんからこんな動画を教えていただいていました。 最後のフリードリヒ君が歌う「ヨハン大公のヨーデル」のなんと素晴らしいこと。 次は1968年の録画でドイツのバリトン歌手だったヘルマン・プライとの共演。3分35秒からです。 タウチャー君の歌声の美しい事! バルトニック君にちょっとホの字だったのに、この動画ではmaaさんに教えてもらうまでわからなかったわ。 67年から1年経って、更にものすごくハンサムになっていますね。ここで時間が止まってくれていたらいいのに。 この記事へのコメント Melba 2013年04月18日 00:23 まだ書かれていないのではと思いながらも、お立ち寄りしますと、懐かしい69年組の写真。嬉しい。 モノクロの写真、いいですね。 さくっと拝読し、その時に気づきしまた。 この顔マークって…何!? ブログを持っている人だけクリック出来るシステムなのかしらと思ってました 私はナイス。 一旦閉じて、再びこちらに。 おっ、加筆されてますね。 拝読していてドイツ語が話せるっていいなぁと羨ましくなりましたよ。 私の思い出が、モノクロの写真でより鮮明に蘇りました。こちらの写真、いいですね~ ponko310 2013年04月18日 03:45 Melbaさん コメントありがとう。 ね,ドイツ語が出来るといい事沢山ありますよ。 私の母は60歳から英語を習い出して、今では夫と電話で少し会話しています。 Melbaさんも趣味としてかじってみてはいかが。 けっこうやさしいから驚きですよ。 私はドイツ語が大好きです。 Melba 2013年04月18日 17:28 ドイツ語、沢山ある教材で悩むところでもあます。 でも、話せるっていいですね。 ウィーン少年合唱団の団員も母国語で会話されて嬉しかったでしょうね。 耳鼻咽喉科のお医者様になられた元団員さん、優しそうな表情です。 そう言えば、Oskarさんも医師ですね。 写真つきのサイトを以前拝見した事がありますが、当時の面影がありました。 皆様、学業も優秀でいらしたのですね。 ponko310 2013年04月19日 07:57 団員は英語が出来ますが、英語の出来ないファンの話す英語が良く理解出来ないみたいですよ。あはは でも母国語だと、間違っていても何となく想像がつくみたいでした。 ドイツ語の教材はそんなに沢山出ているのですか? 私は世間知らずでしたから、まずNHKの独学から始める事しか頭にありませんでしたよ。未だホビーの程度に留まっています。 アントンさんはやっぱり今でも人好きな雰囲気がしますね。病気も一辺に治りそう。 花残り月 2013年04月19日 20:48 こんばんは(^^) 今回も長いので最後まで読めるかと思ったのですが、途中で美少年の写真、ポン子画伯の絵などがあり、楽しくてアッという間でした。 うーむ、色々と美味しい経験をなさっておいでではないですか!!今更ですが羨ましいです。 そして素敵なお医者様のお写真 こんな方に診ていただきたいです。 ponko310 2013年04月20日 02:17 最後まで読んで下さってありがとっ。 目、疲れました? そう、アントン君のは、ほかのファンに比べたら 経験のうちに入らないけれど、自分で勝手に楽し んでいました。おいしかったです。 私も病気になってこのお医者様に掛からなくちゃ。 あ、喉が急に激しく痛み出しました!!! アントン様ァ~。おたすけをー。 長老純爺 2013年06月01日 10:51 またまた、その記憶力に“唖然!!!” 懐かしい名犬ラッシーのお話かと思ったら、69年組のお話なり、笑いながら、さらに感心しながら拝見させていただきました。 名犬ラッシーのジェフ少年に似ている69年組のメンバーって、56年生まれのAnton Buchacher君かしら? 69年パンフレットのメンバー紹介のページから似ている子を探しました。と、ここまで書いて思い出しました、Buchacherをどう発音するのか、記事にしてありましたね。今日、納得しました。Anton君の将来の希望は技師とありますが、希望は叶えられたのでしょうか? もう40年以上が経ちますね。 Melba 2013年06月01日 12:34 懐かしい69年組のお話や写真ありがとうございます。 合唱界の記事を思い出しました。 日本のファンが団員にラジオを見せた時、プレゼントと思いThank Youと言ったそうです。 元団員さんが「当時の写真がこ~んなにありますよ」と言って手を大きく広げた仕草を思い出しました。ファンから頂いたものも沢山あったのでしょうね。 ponko310 2013年06月01日 21:26 長老純爺様 ジェフ君はフリッツ・シ―マーク君です。 面白い少年でした。 アントン君は耳鼻咽喉科のお医者様です。 診てもらうには遠すぎるのが残念です。 ponko310 2013年06月01日 21:37 Melbaさん そのせっかちな団員は誰だったんでしょうね。 私だったらこのグログに書くのですのに・・ でも、プッ夫クンも大いにやりそうです。 日本に来た団員達はファンからも沢山の写真を送って来たでしょうね。 どうやって保管しているのでしょうねぇ。 長老純爺 2013年06月02日 15:18 アントン君は耳鼻咽喉科のお医者様ですか。 私と一番年が近い、64年組のエーリッヒ・シェリング君の消息はご存知ですか? ゼンガー・クナーベンの中で私が知っている唯一の名前なのです。 ponko310 2013年06月02日 21:23 シャーリング君が72年に来日して天地マリとTV出演したのをご存知でした? 私はTVの音だけ聞きましたがそんな事は露知らずでした。 彼はウィ―ンに近いメートリング出身で当時は家がレストラン経営でしたが今はどうなんでしょうかね。 残念ながらわかりません。 長老純爺 2013年06月03日 10:24 天地マリとTV出演していたなんて、全然知りませんでした。貴重な記憶をありがとうございます。 長老純爺 2013年06月04日 12:30 ブログ記事とは関係がありませんが、5月30日頃から豪雨でプラハが洪水、オーストリア西部、スイス、ドイツ東部及び南部など広範囲に被害が広がっている…、との報道が日本でもあります。 ponko310さんのお住まいは大丈夫でしょうか? 心配です……!! ponko310 2013年06月04日 19:32 そうなんですよ! 毎日ニュースでプッ夫クンと騒いでいます。 チロルから2~3日遅く帰っていたら途中で足止めを喰っていたところです。 それに、プラハやドレスデンに近いバド・シャンダウという美しい街がまた洪水の危険に晒されています。私達のお気に入りのホテルがまた水浸しになりそうです http://www.elbresidenz-bad-schandau.de/de/hotel/architektur-and-historie/historie/ 私達の住んでいる場所は全く安全です。 お気にかけて下さって有難うございます。 長老純爺 2013年06月05日 10:05 良かったぁ~! 安心しました。一日も早い復旧をお祈りいたします。 東京の地から、何も出来ませんが… はっぴー 2013年11月23日 23:13 確かにタクアンと福神漬けをドイツ語に訳すのは難しいですね。(笑) アントン君は耳鼻科のお医者さんになったんですね♪ 元気に活躍されて何よりです。 フリッツ・シーマーク君も元気かな? ponko310 2013年11月24日 00:14 はっぴーさん フリッツとはウィーンで会っています。 プラタ―公園で遊びました。 YUKARI 2013年12月09日 11:39 ケンカ友達!?のマンフレット君は印象に残っています。 そしてアントン君ですが現在はアントン氏ですか、かっこいいですね~。 ちょっとドキッとしてしまいました。 ponkoさんの絵が素敵で、アントン君のサインが美しいのに感動しました。 ponko310 2013年12月10日 01:42 YUKARIさん 毎回嬉しいコメントをありがとう。 写真を大きくすると正にロマンスグレーのカッコいいお医者様って感じ出すね。 私もこの写真を始めてみた時はドキッとしました。 YUKARI 2013年12月10日 21:38 オナラとお腹が破裂するほど、おぉ‐って思いました。 どこで破裂?するかの違い、感覚としてはって。 ponkoさんの訳にもなるほどと思ったので。 ponko310 2013年12月11日 01:24 何しろ、誤魔化すのに必死でしたからね。 性格の明るい少年で良かったです。 後に芸術家になりましたが、私には理解できない作品ばかりです。 yukitake 2015年01月21日 11:44 今回のお話もとっても楽しくて1人、大笑いです。 当時のponkoさんが一生懸命に通訳していたことを考えると、この笑いは失礼だ!と思うのですが、笑顔にならずにはいられませんでした。 沈んだ気持ちも吹っ飛ぶ!(また夢にいじめられたのです…)内容に、この記事を読んで良かった!!…とponkoさんに感謝です♪ ponko310 2015年01月21日 16:50 コメントをありがとう。 今だったら絶対に失敗しないと思うわ。 なぜなら、判らなったら聞き返せるもの。 昔は聞き返すのは相手に失礼だと思っていたからね。 ま、ここは笑いで誤魔化す事にしましょう。 ルカ(72年組)の時は笑いってあんまりなかったから。 ヤマチャン 2016年01月13日 13:31 動画の写真はいろんな時代の珍しい写真があって、興味深いですね。ここは何度か見てますが、これは初めて見ました。 ソロを歌っているのは、私もPeter Jalositsではないかと思ってました。アルノンクールのカンタータのソロの声にとてもよく似てますから。ちなみにご存じかと思いますけど、ピアノはウヴェ・タイマーです。昨年彼の指揮するオーケストラのニューイヤーコンサートもあったのですが、行けませんでした。楽友協会合唱団の指揮者からフォルクスオーパーのたしか音楽監督にまで出世して、すごいですね。69年の20代の彼がそこまでいくとは、想像もできませんでした。アンクルベルガーもたしかモーツァルテウム合唱団の指揮をなさってるのですよね。彼とも交流があるのですよね。ルカといい本当に旧交をあたためあうことができて、いいですね。 ponko310 2016年01月13日 19:24 ヤマチャン 再度訪問してくれる方の為にも、再度の編集は遣り甲斐があるんですよね。 皆と分け合える新しい情報をありがとう。 タイマーさんが何度も指揮者として来日しているのは読者さんのコメントで読んでいます。 仰せの通りアングルベルガーさんはザルツブルグで活躍しています。 日本からの留学生も合唱団の中にいるんですってよ。 旧交はブログを書いて懐かしさのあまりの特攻隊でしたから、向こうも攻撃を食らって慌てふためいたようですが、今は戦い(?!)終わって無事に平穏が戻っています。 昔の若いころの懐かしい思い出を語り合うのはどんな人にも嬉しい事なんだと思いました。 でも、長い間にはお互いに生活の仕方や考えの違いが出来上がっている事に気が付いて、今さら何十年もの時の流れがあったことに深い感銘を覚えざるを得ないんですよねぇ。 こうしてお話し出来るオールドファンの方とも、共有した青春の時間のあったことに感謝の念を抱かずにはいられません。 mari 2016年01月24日 04:50 はじめまして。上のコメントにあるエーリッヒ シャーリングさんについては、随分以前のことになりますが、雑誌「音楽の友」の”懐かしのあの人”みたいな記事を偶然読んだことがあります。お子さんもいらっしゃる良き家庭人となっておられて、保険関係のお仕事とか。私はウィーン少年合唱団の熱烈ファンというわけではなく、雑誌をめくっていて、きいたことのあるシャーリングさんという名前が目に留まっただけでしたので、あまり詳しいことは覚えていませんが、印象に残ったのは変声期を迎えた時、専門家から将来独唱者としてやっていくのは難しいだろうと言われて、そこで音楽家への道は断念した、というくだりでした。天性の美しい声で短い期間活躍できても、それが必ずしも将来の成功へとつながらない厳しい現実を踏まえて、退団する少年たちの将来を見据えるいかにも西洋的な冷徹、合理的なシステムだなと妙に納得しました。でも「普通の人」としてお幸せそうでした。 ponko310 2016年01月24日 06:42 mariさん 初めまして、ようこそいらっしゃいました。 エーリッヒ・シャーリングさんの事を知りたがっているオールドのファンはまだ沢山いると思うので、こんなコメントは特に嬉しいですね。 此処からまた話題が広がっていきますように。 団員の頃に素晴らしいソロの歌声を聞かせていた少年が、変声後に普通の学生になって勉学に励み出すのは8割以上がそうなんだと思います。 変に音楽ばかりにしがみついていないところも現実的なんですね。 私も彼が保険のお仕事に就いていると聞いた事がありました。 日本で素敵なソロを聞かせてくれた思い出の団員が幸せな生活についているのを知るのは何ともほっとする次第です。 親切なコメントを入れてくれてとても嬉しいです。 これからもまたお会いできますように。 越後の雪椿 2016年01月24日 13:21 私もmari様からの情報を喜んでいます。 ’86年ごろの雑誌に家業のレストランを継いだとあったので、今でもレストランを経営されているものと思っていました。 保険関係のお仕事、普通の人として家庭を持ち幸せに人生を送られている・・そう思うとオールドファンの私も幸せ気分になります。 情報ありがとうございました。 以前書きましたが’06年wsk来日パンフレットに彼の事が載っているとのことですが、このネットで探しているのですが見つかりません。残念です。 ponko310 2016年01月24日 18:04 越後の雪椿さん mariさんへの呼びかけに感謝します。 熱烈なウィーンファンではないのにこうしてインフォメーションを下さる方は本当に嬉しいですね。 メートリンクにあるはずのレストランシャーリングをネットで探してみたことがあるのですが見つからなかったのですよ。 持ち主が変わったかやめてしまったのかもしれませんね。 mari 2016年01月25日 09:01 熱心なファンでもない通りすがりのような者が、いきなり投稿することにためらいがあったのですが、温かいコメントをいただき安堵しております。子供のころからの音楽を愛する気持ちと、二人の息子を育てる過程でみえた子供から大人に成長する様々なかたちへの関心、このふたつが交差する所にこのブログがあり、立ち寄らせていただくことになったのかなと思います。ウィーン少年合唱団ファンの友人もない私には、先述の記事を話す機会もなく、心の片隅にとどめてきただけの記憶でしたが、それを喜んで受け止めてくださる方がいてうれしく思います。 ponko310 2016年01月25日 17:54 きゃぁ~、mariさん 何だかその昔、ファンの友人に高輪プリンスホテルで3年ぶりに会った時の様な高揚感を覚えながらあなたのコメントを読ませていただきました。 私が言いたい事はただ一つ!! ぎゃぁ~、仲間が一人増えたぞ~!!!! 此処は別にウィーンファンではない人もかなり来ているんです。 私自身も、もう熱心なファンではありませんし、ただ懐かしい思い出をこうしてみんなと交換出来たらそれこそ嬉しいじゃないですか。 mariさんは理想の仲間の一人ですよ (^^♪ ありがとう、ようこそいらっしゃいました。 tak 2016年09月19日 16:14 こんにちは。エーリッヒ・シャーリングで検索してこちらのブログにたどり着きました。初めてコメントさせていただきます。mariさんがお知らせくださった記事は「ショパン」1993年11月号のものです。昔「合唱界」と言う雑誌があったのをご存知の方もいらっしゃると思いますが、同じ出版社です(現在の社名は「ハンナ」)。シャーリングさんは現在64歳になりますが、もうリタイアなさっていて、お孫さんもいらっしゃいます。スペインにバイクで行かれるほどお元気ですよ。 ponko310 2016年09月19日 21:30 takさん ようこそいらっしゃい。 シャーリングさんの新しい情報に感謝します。 バイクでスペインまで行くのは普通の人でもきついのに、彼の64歳はまだ若いうちに入りますね。 此処にいらっしゃるオールドの殆どの方は合唱界を知っていると思います。 今の名はハンナと言うのですか。 編集長の内藤さんはお元気なのかしら。 彼が仕事をしながら良くパイプをふかしていたのを覚えています。 本当に懐かしい。 takさんのインフォメーションはきっと他のファンの方の役に立つことでしょう。 言葉を添えてくださってありがとう。 tak 2016年09月19日 23:17 はい。内藤さんは、64,67年組のシュベスターだったエリカさんとたしか同じお歳ですから、89歳になられると思いますが、今も総編集長です。因みにエリカさんの当時のシャーリングやスメタナの思い出話が「ハンナ」2014年5月号に掲載されています。また何かの機会にお邪魔させていただいてもよろしいでしょうか? ponko310 2016年09月20日 08:26 takさん 残念ですが2014年の「ハンナ」の記事を読むことは私には不可能です。 不可能な事にはしがみつかない方が楽なので、諦める事にしますが、だれかその記事をネットで見つけてくれたら教えてくださいね。 やっぱり読みたいよ~。 takさん、何かの機会を見つけてください。 門の前で待ってますから。 越後の雪椿 2016年09月20日 17:47 シャーリング君の近況が知ることが出来て彼のオールドファンの私、とても嬉しく思います。お孫さんがいて、スペインまでツーリング!凄いの一言です。 余談ですがオーストリア人の中高年と言えば冬季五輪三冠王のトニー・ザイラー氏が頭にイメージが浮かんできます。今のシャーリング君はどんな感じでしょうか? 古い雑誌はなかなか手に入らなくて読みたくても読めないのですが、日本の出版物は国立国会図書館に収蔵されていて拝観できるのですが、日曜日は休館。今一番行きたい場所なのに私の上京は殆ど日曜日なのでまだ行けてないです。 ponko310 2016年09月20日 19:36 越後の雪椿さん 本当にtakさんの様なファンの方が現れてくれて有り難いですよね。 今度、国立国会図書館に行くチャンスがあったらそのページのコピーを送ってくださると本望です。 あ、無理だよね? トニー・ザイラーさんの事は記事66に載ってますけど、見られた? あ、今見たらもうそこにはあなたのコメントが入っていましたっけ。 でも若い時の彼、憧れだったなぁ~。 今度、64年組のオールドファンの為のページを開く準備をしているんですよ。 記事3を分割して、ファンの方の最近のコメントをそこに持ってこようと考えています。 時間が掛かるけれど、写真を送ってくれた元団員氏もそのページを待ってる筈なの。 でもまず、夕食を用意して、ルカへのお返事を書いてからの話じゃい。 私の友人がこのブログはいっぺんに読み切れないって言っていたけれど、夕食の支度も編集するのもルカへのお返事も一辺に終わらんわ。 だから、すべてに時間が掛かってるの。 夕食を待つプッ夫クンはいつも餓死寸前なのじゃよ。 はい、冗談でした。 越後の雪椿 2016年09月20日 20:56 ponko様 早速のお返事ありがとうございます。 takさんのコメントにあった「ハンナ」2014,5月号、ネットで検索しamazonで見つけたので注文しました。22日届く予定。楽しみです。 ponko様の64年組のオールドファンの為のページも楽しみにしてます。 ponko310 2016年09月20日 22:21 越後の雪椿さん おっ、じゃぁ、もうすぐ読めるんですね。 そりゃぁ良かった。 スメタナ君のファンだったので何が書いてあるのか気になりだしました。 時間があったら教えてくださいね。 tak 2016年09月21日 00:56 越後の雪椿さま シャーリングさんの昔の記事ですが、もしかしたら11月号ではなく12月号だったかもしれません。国立国会図書館に行かれたら、両方見てください。すみません(汗) 越後の雪椿 2016年09月21日 19:46 tak様 情報ありがとうございます。 やはり古すぎてネットでは2000年以前の「ショパン」は見つけることが出来ませんでした。頼みの綱はやはり国立国会図書館ですね。来年2月の平日に上京予定があります。その時丸一日国会図書館で少女フレンド、マーガレット、女学生の友など当時の雑誌を見ていようと思ってます。 越後の雪椿 2016年09月22日 18:03 ponko様 先程「ハンナ」が届きました。 シュベスターだったエリカさんによるとシャーリング君は歌が本当に上手でそれでいて謙虚で皆から誉められても得意がったりしたことは一度もなかったそうです。 ponko様がファンだったスメタナ君は縮れ毛で髪の毛をとかすとき大変で‘シュベスター、そんなに痛くしないで!’と暴れるので‘あなたが動くから痛いのよ!’と毎回大騒ぎだったそうです。 ’70年代初め当時のアイドルだった天地真理の初恋の相手としてTV出演したときのシャーリング君の写真も載っていました。 1994年、フロシャウアー組同窓会、元団員3人と談笑する写真も載ってましたが残念ながら誰が誰だかさっぱり分かりません。みんな40代になっていましたからね。 ponko310 2016年09月22日 19:30 越後の雪椿さん え~っ!! 彼らの40代の写真を見たいですよ~。 私なら判るかもね、イヒヒ。 あなたのコメントは64年組の新しいページに載せますね。 シャーリングさんの事もスメタナ君の事も読んでいてホンワカ気分になりました。 情報を分けてくれてどうもありがとう。 喜ぶ人が他にもきっと沢山いるでしょう。 tak 2016年09月28日 21:34 越後の雪椿さま 「ハンナ」の写真の3人ですが、左からバウムガルトナー(おそらく)スメタナ、ビュヒラーだそうです。 ponkoさんっ 気をたしかに! ponko310 2016年09月28日 21:41 takさん あなたもその写真を見たって事か。 バウムガルトナーさん、スメタナさん、ピヒラーさん。 みんな覚えてるよ。 気を確かにって・・・・えっ、そんなにひどいの? ビール腹で、もじゃもじゃ髭が生えてて、頭はツルッツル、とか。 見ない方が良い? 越後の雪椿 2016年09月28日 22:34 tak様、情報ありがとうございました。 ponko様、私のブログにエリカさん&3元団員の写真を載せました。 大丈夫ですよ。太ってはいませんが、スメタナ君額が後退してますよ。 ponko310 2016年09月28日 22:54 越後の雪椿 さん ひぇ~。 ファーディーの頭がテカテカ? 見るのが怖い! キッ、でも見に行きます! 2022年8月10日 追記 隊の呼び方が変わった動機 今でこそWSKの4つの隊は作曲家の名前になっていますが、1969年までは、それぞれの指揮者の名前で呼ばれていました。 例外があって、アメリカに演奏旅行に行く隊はアメリカ隊と言われたそうです。 1968年にハラ―さんが合唱団に指揮者として加わりましたが、1969年に美術監督のグロスマン教授が、タイマー隊とハラ―隊の団員交換をしました。 ところがこの時点から、合唱団を指摘するときに、前のタイマー隊か、新しいタイマー隊か、前のハラ―隊か新しいハラ―隊かこんがらかる問題が起きてきたそうです。 そういうわけで、グロスマン教授が「これからは4つの隊を作曲家の名前でよぶことにする!」と声明したそうなのです。 でも団員たちはまだ慣れなくて、しばらくは自分たちの指揮者の名前を使っていたそうです。 今の指揮者がどの指揮者の隊を受け持って来ていたかを調べると、64年来日組のフロシャウワー隊が今のブルックナーコアだったと判った次第でした。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。 貴方の失敗ではないのでがっかりなさいませんように。 と言うよりも、オールドの方には楽天ブログのコメントは入れ辛いらしいので、お声が掛かった時は、努力なさってくださったことに心から感謝します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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