カテゴリ:青春時代の欧州旅行
1971年に横浜港からソ連のナホトカ港に着いた時からの、ポーランドへの旅日記です。ポーランドのポズナンには私の最後のペンフレンドが住んでいました。
(初公開2013年6月23日ー再編集2022年12月) これは1969年来日当時の国立ポーランド少年大合唱団 -----Poznańskie Słowiki ------本来の名前はポズナンナイチンゲール。 これは1969年に来日したメンバーの素晴らしい歌声です。 この動画とプログラムの写真はブロ友のヤマチャンさんからいただいたものですが、滅多に見つからないポーランド少年大合唱団のファンの方とこうして交流が出来る事、今更ながらとても嬉しく思います。 現在(2012年)のポズナンナイチンゲール少年合唱団 私は当時ドイツ語圏の合唱団にしか興味がなく、この合唱団のコンサートには行きませんでしたが、ヨーロッパ旅行の伴侶の友人Yはこの来日組の一人と仲良くなっていました。何とも情熱的な少年達が混じっていたらしく、ファン友の一人は危うくキスをされそうになったとか。ファン友さん達からいろいろ愉快な話を聞きましたが、合唱団自体に興味がなかったので覚えていません。 そんな、ある日、全く見覚えのないポズナンの人から一通のエアメールが届きました。驚いて、と言うよりも不振に思って封を切ると、ドイツ語で書かれた手紙と、一枚の写真が出て来ました。なんとそこには、「自分は~~(読めん)の兄であなたと文通ができたら----云々。」 と書いてあるではありませんか。 「ポズナンでポン子が退屈して私達の邪魔をすると困るじゃない。←失敬な だから、一緒に行動してもらう為に手っ取り早くペンパルのお兄さんを紹介したのよ。」会社で一緒だった友人Yはケロリとして手紙の種明かしをしてくれました。 手紙には、自分も弟と同じく、年長の合唱団員でしたが、学校の授業で時間が取れない為に今は退団しています、とありました。けれど、送られた彼の写真を見てポズナンを大きく迂回したくなりました。 「ウッソォ~、この人、座頭一の勝新太郎にそっくりじゃないよ~。 わぁ、だめだー、座頭一嫌いなのよ~。 お慈悲だから断らせてよ。」 しかし、私はやはり意地で ”いや” とは言えない性格でした。←日本人の代表 文通は亀の歩みの如しで、私達が日本を出るまでに5~6通の交換もあったかどうかでしたし、ポーランド語など読めないので、名前も言えないペンフレンドです。 ナホトカからハバロフスク行きの列車は4人ずつに分かれた寝台車で、まるで向かい合ったソファーのある小部屋のようでした。コンパ―トメントと言うそうですね。その様な座席の列車は日本にはなかったので、まさにデラックス気分でした。(この写真は借りものですが、これによく似ていました。) 私達のコンパ―トメントはまるで貸し切りのように他に誰もいなかったので、ベットには面白半分に、上で寝たり下で寝たりしましたが、初めからどこに寝ても寝心地は最低でした。 すでに日は暮れていて、駅を離れ出した列車が最初の振動を伝えると、窓からの景色に期待を掛けましたが、表はもう真っ暗闇なだけで何も見えず、たまに寂しげな駅に着いたり、何かの工場の脇を通る事があっても、その雰囲気は薄暗く不気味で、人の気配などは殆どありませんでした。 ガタン ガタ ガタ とひっきりなしに揺れて眠れるものではありませんでしたが、バイカル号の時と同じく、目が覚めた時は明るくなって気分も爽快でした。窓の外の景色は葉を付け出した細い白樺の生えた林がどこまでも続き、うち草臥れた農家らしき建物がたまに目の前を過ぎて去ります。 暇を持て余しているらしい小柄で太った人のよさそうな車掌が私達に美味しいチャイ(お茶)を御馳走しに来てくれました。友人Yがものすごく感激して「ハラショ、ハラショ」とそのお茶を褒めると、そのおじさんは大喜びで、小柄な彼女をぬいぐるみのように思いっきり抱き締めました。私は「ハラショ」の代わりに「ヨッコラショ」と言ったので完璧に無視されました。 さて、ハバロフスクからアエロフロートの国内線でモスクワに飛びましたが、飛行機はこれが生まれて初めての経験でした。今の日本では飛行機に乗ったことが無い人の方が少ないと思いますが、1971年当時では、飛行機はひどく高い交通手段でした。 ソ連の飛行機の中では、乗客に窓からの写真を撮らせないように、後ろでは自動小銃を持った二人の兵隊が厳しい顔で見張っています。ガタガタ揺れる機内は寒く、どこかから水滴が落ちて来たので、傘を差そうかと思いました。スチュワーデスは鼻の下にうっすらと髭が生えていて、髪は上にまとめてありましたが、9時間飛行の最後には乱れて見るも無残な髪型になっていました。ジュースを頼むと「ほら、飲め」という感じで渡されましたが、機内食のデザートでは日本でたま~にお目にかかったようなロシアンケーキが出て嬉しかったです。 モスクワでは外貨稼ぎで強制的に一泊する事になっており、連れて来られたウクライナホテルがあまりにも厳めしい建築物でしたので足が竦みました。 ところが、中に入るとバカでかいだけで、まるでウッソォ~で信じられないような殺風景な造りです。その上、粗末な身なりの得体のしれない人々がその中を雑然と行き来しています。けれど上階にある自分たちの部屋の窓からの絶景には、歓喜の為に腕を振りながらウッソォ~を叫びまくり、窓から落ちる程に身を乗り出してモスクワの迫りくる夕暮れに挨拶しました。 モスクワでは有名な地下鉄を見たり、橋の上からモスクワ川を見たり、そして道端でチャイを売っていたので、たむろして飲んでいるおじさん達に混じって「チャイにしては高い」と思いながらも料金を払い、あの味を楽しみに一口。そして生ぬるいその液体を口に入れたとたんに、べぇ~っと吐き出しました。面白そうにうかがっていたおじさん達はみんなどっと一斉に大笑いです。とんだことに私達はお茶ではなくて、ビールを買ってしまったのでした。ビールとは冷たくて泡が上に乗っているものだと思っていたのですけれどね。 モスクワで完全に一杯喰わされました。 いや、一杯飲まされました。 いや、全然飲みませんでした・・・・なに書いてんだろう・・・・? そして言葉など殆ど通じないまま、その若さと気力とジェスチャーとバウチャーのお陰で、モスクワからワルシャワ経由でポズナンまで無事にたどりつきました。 もう、服はぼろぼろ、髪はボウボウ、髭ももじゃもじゃでした。←うそです←ほんとです ポズナン行きの列車は随分混んでいて空いた座席がなかったので、大きなトランクを入り口付近に置いてそこに座っていましたら、周りからベトナムからの避難民かと聞かれてウッソォ~と言った後でペショっとなりました。 やはりぼろぼろの服とぼうぼうの髪ともじゃもじゃの髭だったからでしょうか。 それでも、必死でベトナムからではないと否定しまくりました。 鈍行列車がポズナンの駅に着くと、出口の近くにいた私達はトランクを下ろすのにひと苦労・・・と思ったら、男の人達がこぞってホームに運んでくれました。 あれはきっとベトナムからではなく、日本から来た訪問客だとわかった時の歓迎のサービスでしたよ。 トランクの底には今の様に持ち運びの楽な小型車輪など付いていませんでしたから、ショルダーバックを肩に掛け、ヒーコラしながら出口に向かって歩き出したとたん、友人Yが黄色い声を出して笑いながら大きく手を振り出しました。その方向からは、赤いバラを持ったすんなりした一人の少年がこちらに向かって駆けて来ます。彼女にとっては仲の良かった団員との懐かしい再会ですものね。そりゃぁ、飛び上がるほど嬉しいに違いないでしょうよ。←実際、撥ねてました。 ”それにしてもオーバーなんだよ” と、彼らの大袈裟な再会の喜びに一人で辟易しているところに、一足遅れて一緒にいた出迎えの方達がゆっくりとこちらにやってきました。さぁ、私にとっては写真でしか知らない自分のペンフレンドに会う初めての時が来たのです。------追っかけの友人みたいに飛び跳ねてはしゃげない私はちょっと白けて、でも内面は少し緊張して------。 まず、最初に近づいたお母様の御挨拶は、なんとドイツ語 です 観光ガイドをなさっているとはペンフレンドからの手紙で知っていましたが、ドイツ語が話せるとは思いも寄らず、初めての外国での、初めての嬉しいドイツ語です。親しみの握手をしてたどたどしく言葉を交わせました。何人かの知らない人達が私達を囲んで微笑んで立っていましたが、・・・でも、------え~、ウッソォ~、勝新太郎が来ていないじゃん~。友人Yが自分のペンフレンドに示したような期待も想いも抱いていない相手ですが、それでもやはり気持は矛盾して、ちょっとばかりがっかりしました。多分学校の授業で出迎えに来れなかったのかもしれないな。そう思った時、・・・・・・ 誰かからそっと一本の紅いバラが私に差し出されました。 ムムっ、座頭一、やっぱりいたか・・・いや、違う、勝新じゃない。 ウッソォ~ そこには座頭一の勝とは似ても似つかない、一人のスラリとした、私の大好きな鳶色の髪の、余りにも 美しい青年 が優しい笑みを浮かべて立っていました。 気持玉数 : 24 この記事へのコメント panana 2013年06月29日 05:18 ponkoさま、とても詳細に憶えていらして記憶が素晴らしいです!! しかも単なる記録ではなく、小説を読んでいるみたいで、いつもponkoワールドに引き込まれます。 『え~~?!それで、それで?どうなったのぉ~~?!』って思いながら読んでいます。 続きも楽しみです♪ ponko310 2013年06月29日 06:11 pananaさ~ん 5時18分ですって!! すごい早起きですね。 こっちは28日野23時6分よ。 テレビのコマーシャルの途中でブログを覗いてみました。 これを書いているうちに忘れていた事を思い出すんですよ。 長老純爺 2013年06月29日 10:42 pananaさんのおっしゃるとおり、いつもながらの小説のような文章に感激しております。 その絶大なる記憶力と美貌(?)に感服です!!! みりっち 2013年06月29日 14:31 初めまして。 やっちです。 ponkoさんのブログはとにかく写真が綺麗ですね。 臨場感があります。 ponko310 2013年06月29日 15:23 長老純爺さん 美貌ですか・・今の若い方の持っているそれですね。私も欲しいと切望する奴ですね。 でも、まあ、他の女性の美貌を見ていれば(例えば奥さまの)満足出来るポン子です。 キッ、もちろんレズじゃありませんよ。ただ美しいものが好きなだけですっ 麗しきみりっちさん コメント、うれしいですよ~ 写真もネットが大いに手を貸してくれるので編集が楽しくなっています。 デジカメも買ったのでこれからの写真は自分で撮れそうです。 また来て下さいな。 take 2013年07月05日 06:37 おはようございます! ようやくコメントを入れることができそうです(夜中に何回かトライしながらも 途中で眠ってしまいました~。文章を書くのが苦手なもので・・。本日は夫は休み、朝ごはんもゆっくり、お弁当の支度も高速バス停までの送りもありません~) ブログを拝見して 一番に感じたことは その記憶力と文章です(私には両方ともにありません) 思い出も鮮明、とてもいいめぐりあい(ハプニングも含めて)あったのですね~。 これからも楽しみにお邪魔させていただきます~。 ponko310 2013年07月05日 07:33 Takeさま お忙しいのにコメントまで下さって有難う。 過去の事ですから制限はありますし、強く印象に残った事だけですよ。 書いているうちに思い出す事も沢山出て来て嬉しくなってしまいます。 骨休めに遊びにいらして下さいね。 大歓迎します。 みりっち 2013年07月18日 22:19 そうですか、私と同じデジカメなんですね。 どの写真がponkoさんのデジカメなのか区別がつきませんね。写真の選択も編集も上手いなって思います。 ponko310 2013年07月19日 03:03 みりっちさん 御褒めの言葉はすごい励みになります。 努力した甲斐があります。 嬉しいです。 はっぴー 2013年11月24日 22:40 どなたかも書いてましたけど、 ponkさんのブログは写真の美しさに毎回感動です。 旅のお話、ナホトカから、いや横浜港を出港する時から読ませてもらいました。事細かな記憶力に脱帽です。 ponko310 2013年11月24日 23:12 はっぴーさん 半年前の記事ですが、10年先に読んでも良い過去の思い出です。 歳を取る毎にこんな懐かしい思い出が大切に思えて来ます。 これを書こうと思った時、こんなに細かく思い出すとは思いも寄りませんでした。 YUKARI 2013年12月13日 15:12 勝新太郎さん(゜▽゜) お慈悲を~って、ponkoさんも座頭一になってますょ(ぷぷっ) ponkoさんの文章を読ませていただいていると、今まで知らなかった国や人の素敵なところを感じられて楽しいです。不思議と団員の皆さんの事も身近に感じられます。 ponko310 2013年12月13日 18:07 YUKARIさん やだぁ~、私も座頭一になってるって! 顔が違っても言葉が通じると更に身近に感じる外国の人達です。 ここはまだ共産圏で、素朴でつましい人達の生活を感じます。 私も贅沢には慣れていませんでしたので、別に違和感もありませんでしたがね、へへへ。 yukitake 2015年02月23日 11:13 寝台車での移動には憧れを持っています。 昔、友人と寝台列車での旅行をしたい!ということになり、計画を立てたのですが、いつの間にか脱線してしまい、新型の新幹線で行く!という旅行にいつの間にか変わってしまいました。その旅行も楽しかったですが、いつか寝台車には乗ってみたいです♪ 昨日のことですが、ponkoさんのブログの中にある写真のようなパイプオルガンのある会場でコンサートを聴いて来ました。 ponkoさんも昔、独唱をした…とお話ししていたので、こんな感じだったのかな?と彼女達の歌声をドキドキしながらききました。ウィーン少年合唱団とは違いますが、彼女達のソプラノも素晴らしかったです。 ponko310 2015年02月23日 18:26 yukitakeさんがコメントを入れてくれたお陰でまたこの記事を読んでみました。 先のコメントにも書きましたが、10年先に読んでも私には新鮮に思い出せます。 寝台車ってロマンティックに聞こえるけれど、実際はホテルのベットとは比べ物になりませんよ。若い時は面白かったけれど、今は懲り懲りって感じです。 何でも若い時に経験しておくべきですね。 こんなパイプオルガンの合唱コンサートを聴いて来たの? そりゃぁ~、印象に残ったのでしょうね。 あの音を想像すると私にもあなたが素敵だと思った感じが伝わってきますよ。 ヤマチャン 2016年03月14日 18:13 ポズナンの動画載せてくれてありがとうございます。かなりの合唱ファンの方でも知らない方が多いので、このブログで紹介してもらえるのは、本当にうれしいです。69年はウィーンも素晴らしかったけど、この合唱団もとても素晴らしかったので、なるべく多くの人の耳目に触れられたらな~と願ってます。 ponko310 2016年03月14日 20:02 ヤマチャン こちらの方こそこんな素敵な動画をアップしてもらえて感激です。 此処にはボーイソプラノの美しさを理解している人が来てくれるので、この合唱にもきっと心がポワ~ンとなること請け合いだわ。 ポーランドはまだ国際化していないので、この合唱団はポズナン独特の水準を保ってくれるでしょうね。 yuichann 2018年11月15日 20:20 ponkoさん こちらにお邪魔します! 国立ポ-ランド少年大合唱団 懐かしです! あの歌声大好きでした。ここでまた聴けるなんて感激です。当時は共産圏の国、女性2人で良く行きましたね!凄いです!! ponko310 2018年11月16日 00:59 yuichannさん 此処にきてくれてありがとう。 この記事に最後のコメントが来て、また読み返したのが2年も前だったのですよ。 再度読んで幸せな思い出に体がホクホク暖まりました。 この合唱団はよくベルリンに来て大聖堂で歌ってくれるのですが、最近ずっとご無沙汰しています。 共産圏だったとはいえ、東ドイツやソビエトよりもそれを感じませんでしたし、何しろアホで怖い物知らずの若さでしたからね。 ここら辺の記事を読み直すと、青春とはどれほど素晴らしかったかつくづく身に染みて感じます。 ブログ玉が17にもなっているところをみると、後で知り合ったオールドの方かなと心が弾みました。 yuihann 2018年11月18日 18:54 青春、若さとは素晴らしいものですね。本当に素敵な青春時代を過ごされたのですね。今でも! ponko310 2018年11月18日 20:52 若さの素晴らしさは本当に感じますね。 歳を取らないと実感として解らないものでしょう。 今の若い方とお共出来るときはそのはつらつとしたエネルギーのお相伴に与かっています。 青春の思い出は嬉しいものですね。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでどうぞお気を悪くなさいませんように。それでもコメントをくださる方にはここから感謝したします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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