カテゴリ:青春時代の欧州旅行
(初公開2013年6月15日-再編集2023年1月6日) 東ドイツ・ドレスデン-ロストック 1963年の映画「青きドナウ」で憧れたウィーン少年合唱団から初めての手紙が届き、ウサギちゃんと呼ぶことにした少年と文通が始まると、もう学校の宿題などそっちのけで、ただもう返事を書く事だけに気がそそられてしまいました。私はその時の、宿題をしないで学校に行った日々の怖い夢をいまだに見ます。( この下の写真はただかっこいい場面なので、無責任に張っただけです。) (追記:2015年5月10日です。下の maaさんのコメントで、この子達が来日組の団員だった事が判明しました。この時期は右の団員に思春期のニキビが‥‥ あまりかっこいいのでモデルかと思っていた。 この動画にいる2012年代のシューベルトコアのソプラノの団員達でした。) 念願の文通が叶ったことで授業にも熱が入りませんでしたが、成績は何とか学校の平均点を保っていたのが不思議です。ウィ―ン少年合唱団パワー・・・とでも言いましょうか。←勝手にせい 暇があるとドイツ語の教科書を開いて(理解できようができまいが)中を覗き込んでいましたが、ある日、ドレスデンの少女と英語で文通を始めた級友が、その子のボーイフレンドが少年合唱団の団員らしいと話してくれました。64年組の切り抜きをもらい受けては狂喜していたので、教えたくなったのでしょう。 級友の文通相手は、自分のボーイフレンドは東ドイツで最も優秀な聖歌隊の団員だと自慢していたのです。当時は日本は東ドイツと国交がなく、ヨーロッパでは有名な、その合唱団の名は、私達には全く無名でした。ドイツの少年合唱団はレーゲンスブルクしか知らなかったので、興味が湧いて住所と合唱団の学長の名前を教えてもらい、早速そのルドルフ・マウワァースベルガー氏に手紙を出しました。 間もなくある少年から、ネクタイ姿の写真の入ったエアメールが届きます。学長はきっと気を利かせたつもりだったのでしょう。 「僕はドレスデン十字架合唱団(今の日本のファンの間ではドレスデンクロイツ)の団員ですが、変声して今はバリトンを受け持っています。マウワァースベルガー教授が、君と同い年の団員が良いだろうと、僕に君の手紙を渡してくれました。」 ウサギちゃんからの手紙が来た時のように大騒ぎするでもなく、「バリトン」の文字を読んだ時は、ソプラノの方が好きなのにと、すっかり失望の塊になっていました。 けれど彼はものすごく優秀な少年で、私の最悪なドイツ語を丁寧に誘導してくれたおかげで、文法が少しは立ち直ったようでした。 彼らの合唱団も、憧れの寄宿制だと知り、胸をときめかせたものです。この学校兼寄宿舎のクロイツギムナジウムは選ばれたエリート達の集まりでした。 筆無精な”ウサギちゃん”とは対照的に、この少年はやたらと筆が立ち、演奏旅行中の列車の中でも、熱心に報告同様の手紙を書いてくれましたが、そんな時の文字は列車の振動そのままに、飛んだり曲がったりして、せっかくの名文をだいなしにしていたのでした。←そういうのは書かなくてもいいんだってば 彼等がウィ―ンでコンサートをしたことがありました。 私の最愛のウサギちゃんがウィ―ン少年合唱団員のペンフレンドであることなど露知らずの彼なので ”ドレスデン十字架合唱団のウィ―ンコンサートは大成功の内に終わり、我々のウィ-ン少年合唱団のレベルを超える合唱団である事を示した” とか言う様なウィーンの記事の新聞の切り抜きを、わざわざ丁寧にも自分の手紙に同封して送りつけ、私を大いに不愉快にさせたのでした。←そういうことだって書かなくたっていいんじゃよ。 でも思い出のためには、じゃ。 すでにベルリンの壁が出来ていた後ですが、この合唱団はかなり西側の招待で自由主義の国に行っていたようです。東ドイツが外貨稼ぎに使ったのかもしれません。 当時の彼の見たルツェルンの街です。 ウィーン少年合唱団を崇拝する私の、このアホのような偏見が一変したのは、彼からの音楽のクリスマスプレゼントでした。 変声前の彼が独唱するバッハの”優しくも愛らしき”のテープと、ドレスデン十字架合唱団の歌うドイツ民謡のレコードです。文通はしていたものの、その合唱団の歌声を聞いた事は一度もありません。そして、日本のレコードの綺麗なジャケットに慣れていた私は、このレコードが届いた時、まず「ウヒ―、やぼったい」とがっかりしました。←若き日の偏見、深く反省しています。 それでもプレイヤーの針を新しく換えて、緊張しながらこのレコードに針を置き、流れ出す歌声を聞いた時には、年長の団員達のテノールやバリトンの混じる重々しい合唱の響きの中に漂う、渋みのある大人の趣向を感じてちょっとはお姉さんになった気分でした。 (注; これはこのレコードに入っている曲でありません) 彼が青年期に入る年頃になって←はぁ?、同い年じゃなかったけ? 「僕は今、夕暮れの月を見上げて、同じ月を見る遠い国の君を想っています。」 なんて言う手紙を書き出すと、ウサギちゃんと同じ精神年齢の私には重すぎて 「同じ月でも周っているから、お互いに見る場所も時間も違っています。」と可愛げのない偏屈な文章を書いては、なんとか返事をおろそかにしていました。(はい、女性らしい雰囲気とはかけ離れていますから。) 「僕の国では18歳でまだバージンの女の子は、頭が弱いか、よっぽどのブスで男の子にもてないのです」と言う内容が書いてあった時は当然破裂しました。。。。 国柄の違いとは言え、当時の日本の女子高校生はバージンで当然でした。 でしょっ でしょっ 当時の女子高校生だった皆さん、そうでしょっ 指揮者のマウワァースベルガー氏が病床に伏した時は彼が臨時の指揮を取り、合唱の指導をしました。 そうすると、彼の周りには綺麗な取り巻きの女の子達が集まるようになって、彼は自慢げにそんな女の子とのツーショットまで送って来ました。でもその頃の私は、ウサギちゃんの変声の知らせで、もう胸と頭がいっぱいだったので、そのほかの事は一切どうでもよかったのです。 1971年に東ドイツを訪問した時は、彼はバルト海沿岸にあるロストック大学の神学生になっていました。 初めに訪れたポーランドで予定が狂って、約束した日から何日も遅れてしまい、知らせる手段もないまま、私達はひっそりとした早朝のロストックの駅に着きました。 大きな重いトランクを持ち、セピア色の古い建物のあちこちに垂れる、長く大きな真紅の共産党の垂れ幕を物珍しげに眺めながら、なんとか彼の住所にたどり着くと、幾つかの名札の一番下に彼の名前がみつかりました。 まだ、ものすごく早かったのですが、構わずにベルを押しました。建物の外に立つ私達には何の物音も聞こえず、誰も出て来ません。そこでまた押しました。けれど何の反応もありません。友人Yと顔を見合せ、また押しました。ちょっとしつこかったかな。居ないのかとも思いましたが、また何度も押しました。←やっぱりしつこい 15分以上も経った頃でしょうか、途方に暮れ出しそうになっているところに、戻って来たらしい背広姿の若い青年が私達に声を掛けてくれました。 状況を話すと 「彼は多分まだ寝ているのでしょう。 しばらく私のところで待ったらいいですよ」 その人は親切に3階の自分の部屋に入れてくれ、コーヒーまで出してくれました。 ポーランドのコーヒーは挽いた豆がコップの底にあって、ジャリッと一緒に飲んでびっくりしましたが、この人の淹れてくれたコーヒーはとても香りが良くて美味しかった。これはず~っと、ずっと後に(10年ぐらい後に)知った事だったのですが、当時の東ドイツではコーヒーはもんのすごく貴重な嗜好品だったのです。←心からその人に再会したいと願っています。 日本に興味があった方なのか、扇子が壁に飾ってありました。しばらく日本の話題で時間を潰していましたが、寝ていた彼がもう目を覚ましたかもしれないと、私だけ下に降りて見に行くことになりました。 彼の名札のあるドアの前に立つと、ちょっとだけ緊張して、思い切ってベルを押します。しばらくして中からかすかなで音がして、「だれ?」という寝ぼけた声とともに、古い木製のドアが開きました。 この記事へのコメント 長老純爺 2013年06月16日 11:10 夢見る乙女と美少年の物語…。続きが楽しみです! きっと旦那様も美少年だったことでしょうね。 残念ながら私の中には、このドレスデン十字架合唱団の記憶がありません。60年代に来日したパリの木の十字架少年合唱団は聴いた覚えがあります。やはり変声期後の少年を含めて、低音部もしっかりハモッていた事がブログを読みながら思い出しました。 ponko310 2013年06月16日 19:29 日本ではドレスデン聖十字架合唱団だということらしいですよ。 70年代の、私がドイツに渡ってしまってから来日しているみたいです。 ドレスデンまで3時間も掛からないのに灯台もと暗しで、まだ聞いていません。 プッ夫クンは写真を見ると確かに美少年でした。 残念ながら、時は過ぎ去り今は現実ブー中年でロマンの影も無し。 私も負けずに平行線を辿っています、キッ! Melba 2013年06月18日 22:14 本日お立ち寄りしますと、カウンターが2000、拝読しますと、ponko様ワールドが広がっていましたから。 ドレスデン聖十字架合唱団の歌声は聴いたことがないのですが、こちらでの紹介で興味を持ちました。 いつか公演に行けるといいなぁ。 ponko310 2013年06月18日 23:46 Melbaさん、お久しぶりです。 私も合唱団のファンの方と一緒にまたドレスデンで聞きたいです。 すっごく素晴らしい合唱ですよ。 Rinanan 2013年06月20日 01:40 わー🌼 青春ですね(*´▽`*) 合唱をしているペンフレンド、ほしいものです(^v^) 自分も合唱をしていますので。 …大学生にしてバージンな私は、彼らにとっては頭が弱く不細工なのですね(笑) ponko310 2013年06月20日 02:51 Rinananさん 青春ですよね。 これ書いていて楽しいですもの。 何とか合唱団のペンフレンドを見つけてください。 バージンについては、お国柄でしょう。 日本は慎ましく上品な国なのです。 日本女性は手の届かない高貴な真珠よ。 Rinanan 2013年06月20日 19:09 続きが早く読みたいです(^^♪ やはり、国によって違いますよね。 日本人が海外の男性に憧れるように、日本女性に憧れたりするのでしょうか? YUKARI 2013年12月12日 03:21 知らない団員さんの手前の少年がかわいいです。 それから「同じ月を見ているよ」的なセリフに対するponkoさんの切り返しが、そうか~!って納得して感心しました。 ponkoさんは頭の回転が速いですね。 ponko310 2013年12月12日 03:33 YUKARIさん へぇ~、私は後ろの少年がカッコいい。 頭の回転と言うか、屁理屈というか・・。 YUKARI 2013年12月12日 06:39 やっぱり(ニマッ) ponkoさんはカッコイイ!って書かれていたので後ろの少年だと思っていました。 プッ夫さんが昔は素敵だったって事はponkoさんは面食いですね(ニマッ) ponko310 2013年12月12日 07:34 YUKARIさん 私は絶対に面食いではありませぬ。 もし面食いだったら鏡など見れんわ。 maa 2014年09月20日 10:14 Ponkoさん こんにちは あわて者のmaaでございます。 一番上のかっこいい写真は、右側(奥)が2008年に来日したことのあるグレゴール・アイゼンフート君、当時11歳でしたが。本当に美しい少年で「シャーリングが来た・・・」と思ったほどでした。youtubeに動画もあります。ドイツではyoutube見られないのですか? 手前の子はうつむいているのでわかりにくいですが、たぶん今年来日したファビアン君だと思います。2~3年前の写真かな。最後のステージで先生が「卒業生を紹介します」と言って14歳になる団員に労いの拍手を送りましたが、ファビアン君もその中の一人でした。 ponko310 2014年09月20日 19:38 maaさん へ~、この綺麗な少年達の存在感がこれでようやく出て来ました。 実はこの子達、ただのモデルかなと思っていたので、どうもありがとうございました。 YouTubeはドイツでも見られますが、ある決まった音楽の動画はGEMAという協定で見られません。 タダで聞かないで買え、というケチなドイツ根性なんですよね。 シャーリングの名前が懐かしく聞こえました。 舞台で卒業生を紹介しますって、その時はもう変声の時期になってしまっていたのですか? ウヒ~、ちょっと寂しいですよね。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでどうぞお気を悪くなさいませんように。それでもコメントをくださる方にはここから感謝したします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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