カテゴリ:1960年代のウィーン少年合唱団
2023年1月12日 木曜日
去年の今日の事、いつも真っ先にコメントを入れてくださっていたブロ友のekさんがあっけなく急死なされてしまってから、丁度1年が経ちます。まだ把握していません。 2013年から始まった私の ブログに、ekさんが初めて声を掛けてくださったのは4年近くも経ってからでした。そのきっかけは1964年組の日記です。そのekさんの最初のコメントはこの新しいブログでは記事【39】に載っています。 ek 2017年02月11日 16:25 ponkoさん 初めてコメントさせて頂きます。 以前よりponkoさんのお部屋にお邪魔させていただいては、我が人生 最良の日々に想いを馳せておりました。 いつもはこっそり拝見させていただいてはそっと失礼していたのですが、64年組への皆様の熱い想いに つい指を動かしてしまいました。 私が64年組の公演を聞いたのは、4月の横浜文化体育館です。今のようなコンサートホールではなくパイプ椅子が並べられた体育館でした。 友人と「どうしても行きたい!」とやっと手に入れたチケットは残り僅か数枚の時でした。 あの感激は今もはっきり覚えております。 それからと言うもの、寝ては夢 起きては溜め息の日々。 そして その年のクリスマスからメンバーの一人と文通をはじめてました。 あれから50年 今ではお嬢さん達や奥様から可愛いお孫さんの写真をいただいたり、年月の長さをつくづく感じております。 今回のponkoさんの記事に懐かしさが込み上げて、彼が遠い昔(?)に送ってくれた演奏を聞き返したいと思っています。 こうして 沢山の方々が64年組を思ってくださっていること 次回の奥様への手紙に書き添えたいと思っています。 きっと 彼も喜んでくれる事でしょう。 64年組の公演は本当に素敵でした。 合唱 ソリスト 素晴らしい歌声がまだ胸の奥で響いています。 そのコメントをいただいてからしばらくして、その文通相手のメンバーが、ヴォルフガング・ファルナーさんであり、彼がすでに癌でお亡くなりになっていたと知ったのでした。今回は大切だったファン友を偲んで、そのページを編集します。 (初公開2017年03月18日ー再編集2023年1月12日) 64年組と文通をしていた人がいた 女学生の頃、私の憧れの64年組にファンレターを出すなんて、自分にはそんな大それたことなどは考えも及びませんでした。 ウィーン少年合唱団とはすっかりご無沙汰になっていたころ、初めてPCを手にし、ブログをやりだしてその64年組の記事を書いてから、何とフロシャウワー隊の元団員と、当時からお手紙のお付き合いをなさっているという方からコメントが入ったのです。もちろん文通だけでなく、64年組の元団員と結婚なさっている方だって、かの有名なシャーリング氏やピューリンガー氏と再会なさったオールドファンの方だっているんですけれどね。でも、元団員の懐かしいその方が書いたお手紙の一部を読ませていただいたら、自分に来たわけでもないのにとても親近感を覚えてしまいました。 これはekさんのコメントだったのですが、どうしても本文の方に載せたくなってしまったのでOKをいただいてきました。 ek 2017/03/08 17:11 Ponkoさん 早々にお返事ありがとうございます。彼からの手紙の抜粋です。 1993年.12月の手紙より 「1994年は特別な年です。30年前日本を訪問した事をはっきりと覚えています。クリスマスの数日前、ロスナー・レオポルト、ハルハマー、スメタナと会って、この記念をどう祝うか話し合いました。僕達は全てのメンバーとアウガルテンで祝おうと決めました。住所を集め、電話し この企画の発起人のフロシャウワー氏に報告しました。きっと上手くいくでしょう。この事はまたお知らせしますね。」 1994年の手紙より 「前の手紙に日本旅行30周年記念の集会について書きましたね。大成功でした。僕達全員とフロシャウワー氏、レーゲナーメル氏、エリカさんとタウチュニッヒ博士とアウガルテンで会いました。フロシャウワー氏が日本で撮った短いフィルムを見て、素晴らしかった時について色々話しました。また近い将来皆で会おうと決めました。写真が届いたら送りますね」 1995年の手紙より 「僕達の集会の写真約束していたのに遅くなってごめんなさい。まだ約束期限有効ですよね? 日本を訪問して30年後、僕達はあの30年前と同じように合唱団の写真を撮りました。1枚目ソプラノサイドー1列目左から・・・・・、2列目・・・・ 2枚目アルトサイド・・・・、フロシャウワー氏はピアノの前に、レーゲナーメル氏とエリカさんは合唱団の前に座っています」 1人1人の懐かしい名前が書かれていました。また近い将来皆で会おうと決めたのに…‥そうですか……ハルハマーさんお亡くなりになられたんですか……来月7日、 彼も日本で言う七回忌です。また長くなってしまいました。 憧れの64年組にいた元団員の方と50年もの長い間お付き合いが続いているなんて、とても素敵な事じゃんかぁ、とワクワクしながらそちらの方ばかりに気を取られていて、最後の言葉の意味を良く呑み込まないまま、この記事を書き始めていました。 ekさんの【39】の二度目のコメントでは、「彼からのお手紙を最初から読み返していたら寂しくなってしまった」事が書かれていたので、それを「日本演奏旅行の回想でメランコリックになってしまった」と言うルカ(1972年組)の気持ちや、思い出の記事を書き終わって現実に戻った自分の複雑な気持ちと重ね合わせて、ekさんの寂しい気持ちも過ぎ去ってしまった輝く青春への郷愁だ~、などと勝手な解釈をして自己満足な共感を楽しんでいました。 去年だったか、ウィーンのメル友のお話の中に、大分前だけれど音響技師になった64年組の元団員の方をラジオ放送の録音があるコンサートで見かけたと、その方のお名前が書かれてあったので、ekさんの2度目のコメントを読んだ時に、あ、あの方かなと、その元団員のお友達が誰だかほんのりと察することが出来ました。 これはその音響技師の方が手掛けたCDです。 CD Hersteller: ORF Radio Wien Tontechnik: Ing. Wolfgang Fahrner そこには懐かしい64年組のファールナーさんの名前がありました。 雑誌の切り抜き写真で見ていた、いつも優しい笑顔の彼が頭に浮かんで、私の大層なお気に入りの団員のひとりだったことが思い出されます。 そして編集を進めていたうちに気付いたekさんの最後の言葉…… 「来月7日 彼も日本で言う七回忌です。」 え、ちょっと待ってよ ! 七回忌って、なに、 いったいこれは何のことなの 。 思い掛けない文字の書かれたこの1行を何度も何度も読み返しました。 この意味を頭の中で把握するのが怖いのに、把握してしまった心の方がその文字を読み返すたびにどんどん沈んで行くのです。 だって、いただいたekさんのコメントには、私よりも若くして先に逝ってしまった、来日組の三人目の元団員の方の悲報が暗示されてあったのですから。 呑み込みの鈍い頭でのほほんと書いていたこの記事ですが、今新たに編集し直すために私はekさんとの直接のコンタクトを求めました。 ekさんのお話の中のファルナーさんは音楽について熱く語られ、自分の後輩たちが日本公演をする度に、ekさんに必ず「公演に行きましたか? 感想は?」とお尋ねになられていたそうです。ekさんは日本の合唱団で歌っていられたそうですが、彼女の定演での取組曲には彼がウィーンからいつも丁寧なアドバイスをしてくれていたとか。当時(多分1970年かな)友達←私もいました。と一緒にウィーンの森少年合唱団に会いに地方まで行くことを書いたら「存分に楽しんできてください」と言う言葉を送ってくれたそうですが、彼はきっと、日本でファンが自分達に会いに来てくれた時の嬉しさを忘れていなかったからでしょうね。ファルナーさんは日本での演奏旅行の間も日記を付けていたのか、来るお手紙が日本にいた時と同じ日付に重なると、1964年の今日は何処にいましたと、そこにいた場所の名前が書かれていたんですって。当時11歳の少年がそこまで日本での思い出を大切に保管していたかを想像すると、その健気さに胸が苦しくなります。ファルナーさん、私達だって、64年組の少年達の事、今だって同じぐらい大切にしていますからね。 ウィーンフィルのニューイヤーコンサートにも音響技術で彼の名前が画面に流れていた時かあって、ekさんは思わずテレビにかじりついてしまったそうですが、私だってきっと同じ事をやっていたでしょうよ。 お話を伺いながら、なんて素敵な友情だったのかと胸がキュンとしています。ファルナーさんの訃報は、ペチェク君やハルハマーさんの時のように、余りにも突然な悲しい知らせだったので、いまだにかなりショボンとはなっていますが、ekさんが1974年のウィーン旅行で体験した彼との思い出をお話してくれるそうなので新しい楽しみが湧いています。 気持玉数 : 20 この記事へのコメント hinda 2017年03月18日 05:39 お久しぶりです。 ekさんのコメントを読んで、すぐにファルナーさんだと分かりましたが、亡くなられていたとは.....残念です。ご冥福をお祈りします。寂しくなりました。 ponko310 2017年03月18日 07:12 hindaさん、お久しぶりです。 hinnaさんはすぐに彼だとお分りになったのですね。 でも本当に、自分より若い元団員が先に亡くなってしまったという知らせは空しいです。 何だかやるせなくなってきました。 ek 2017年03月18日 08:08 Ponkoさん 私の拙いコメントをこの大切な場所で記事として扱って頂いた事 大変恐縮いたしております。 Wolfgangさんからの手紙を通しての私の想い(喜怒哀楽)を、Ponkoさんがこんなにご理解くださっている事 感謝申し上げます。 「1964年」今日本では毎日のように、この年が話題になっています。そう、東京オリンピック開催年として。日本中がこの年を懐かしんでいる中、私の心には「この日の為に~」と歌ってくれたフロシャウワー隊の歌声の方が懐かしく深く刻まれています。「1964年」は私にとって忘れえぬ感謝の年。 そして こうしてPonkoさんがFahrnerさんの事を記事にあげてくださった3月18日は、彼らが日本(羽田)に降り立った日。 ますます記念すべき日になりました。 ma 2017年03月18日 16:55 ブログ玉に「悲しい」はないんですね。 長く生きていれば避けられないことですが、元団員の訃報は悲しい。思い出なんて何もないけれど、64年組はウィーン少の原点だから決して忘れません。 私の名前も虹の橋メンバーに混ぜておいてください。 ponko310 2017年03月18日 19:15 ekさん あなたのコメントのお陰でオールドファンのページがまた新しく出来たのですよ。 また一つみんなのお喋りのお部屋ができたんですね。 64年組のオールドファンの気持ちはみんな共通するところがあると思っています。 だって一番心の繊細な思春期の最中だったんだものね。 みんな音楽の都から来た64年組の美しい声の美しい少年達に夢を描いていたんだと思うわ。 3月18日は64年組が来た日だったんですね。 故意にこの日を選んだわけじゃなかったのに、オールド達のフロシャワー隊はやっぱり何かの糸で繋がれていたか。 ponko310 2017年03月18日 19:23 maaさん ブログ玉に「悲しい」がないのは前向きに行こうよって言う意味があるのかもしれないね。 生まれてきたものは必ず死んでいく。 だから私は虹の橋の向こうの国にもっと素敵な場所を用意したんだ。 あそこには心から嬉しくなる笑顔だけが待ってるよ。 すべての人が愛しく迎えてもらえる場所なの。 その場所に入ったらもう、樂しいことしか存在しないから、笑いジワがいっぱい増えるんだ。 ひぇ~、考えてみたら私のウィーン少年合唱団の原点って、ディズニーのピーターパンだったんだわ。 越後の雪椿 2017年03月18日 21:23 ek様のペンパルの元団員さんはお孫さんに囲まれて幸せな日々を送られている・・とばかり思ってました。 亡くなられていたとは思いもしませんでした。私よりもお若いのに・・ 今1970年合唱界 一月号にてウィーン少年合唱団の思い出のページを開きW・ファルナー氏の冥福を祈ってます。 ponko310 2017年03月18日 22:42 越後の雪椿さん 今回はみんなここにきて驚いた事でしょうね。 でもこうやってオールドファンの方が彼の冥福を祈ってくださること、ekさんにも慰めになると思います。私からも有難う。 Pfirsichchen 2017年03月19日 04:38 私は相変わらずいろいろなコンサートに行っていて、録音されるコンサートだと、会場の周りでORFの車を見かけるのですが、前はたまに車のそばでファールナーさんを見かけましたが、最近見ないなと思っていました。年齢的に年金生活者になられてORFを辞めたのだとばかり思っておりました。 亡くなられたと聞いて、ちょっとショックです。 もうずいぶん前のことなのではっきりは覚えてないけれど、94年のフロシャワー隊の同窓会の翌日の3月6日(シャーリングさんの誕生日ですね)、私は知り合いからチケットを貰ったので、2年ぶりで王宮のミサに行き、その日はフロシャワーさんが指揮をすることになっていたので、そこでかなりたくさんの64年組のメンバーを見かけました。その中にファールナーさんもいたような気がします。 ご冥福をお祈りいたします。 ponko310 2017年03月19日 07:49 Pfirsichchenさん ファルナーさんのお知らせはショックよね。 ハルハマーさん同様、私達より若かったんですもの。 しかしまぁ、憧れの64年組のその後の男性方を実際にご覧になられるなんて羨ましい限りです・・・・な~んて、懐かしの64年組の少年達に昔そのままの姿で会えた方がずっと嬉しいけどな。 でも、あなたを初め、音楽をお好きな方は何処かしこで懐かしい顔に遭遇されるんですね。 やっぱり羨ましいな。 ベルリンじゃ何処に行っても誰にも知ってる人に会わないもの。 ek 2017年03月19日 12:08 Ponkoさんを始め、hinda様 maa様 越後の雪椿様 Pfirsichchen様 Wolfgangさんの訃報への温かいお言葉ありがとうございます。 皆様のお気持ち 奥様へお伝えさせていただきます。 皆様の優しいお言葉に私自身、熱い思いでいっぱいになりました。感謝申し上げます。 越後の雪椿様 以前の記事のコメント書き込みにも優しいお言葉ありがとうございました。 Wolfgangさんが亡くなられる約2ヶ月ほど前に、彼にとっての初孫君が誕生されました。 今では、3人の可愛いお孫さんのおじいちゃまです。 きっと ご自分の娘さん達に向けられたあの熱い眼差し(彼からの手紙の文面からの感じですが)が、更に暖かさを増し、虹の橋のあちらの場所から微笑んで見守っていらっしゃると思います。 はっぴー 2017年03月19日 16:59 WSKが世界文化遺産に選ばれたとは! オールドファンとしては嬉しい限りです♪ 天国の階段、素敵な絵ですね。ponkoさんが描いたんですか? この階段をペチェク君や64年組の亡くなられた方々が登ったんだろうなぁとしみじみ眺めてしまいました。 ponko310 2017年03月19日 18:16 ekさん 私が管理しているので一番最初にお言葉のお返事をさせて頂くことになってしまいますが、本来なら他のオールドの方々もきっと私よりも先にあなたにお返事を返しているのでしょう。 ekさんが此処でみんなと更に一緒にお話が出来ますように。 長い間一人で心に秘めていた悲しみが、今此処で皆と分け合って少しでも軽くなりますように。 ponko310 2017年03月19日 18:26 はっぴーさん 64年組もそうだけれど、世界文化遺産の基盤を作ってくれた私の小さなルカ(もう変化してるけれど)はこれを知っているか聞かなくちゃ。 この絵はネットで見つけて、厚かましくも借りて来てしまいました。 この階段、私もいつか登ります、キッ。 もう、浮き浮きしてます。 越後の雪椿 2017年03月23日 18:35 ek様 日本旅行30周年記念の集会を開催していただいた事に「彼らは日本を大変愛してくださっている。」と感じとても嬉しくなりました。でもそれ以上に私を含めオールドファンは’64年組を愛してやみません。 そうですね。きっとwolfgangさんは虹の橋の向こうでご家族を見守っていることでしょう。私もそう思います。 yuka 2017年03月23日 23:40 姐さま いずれ私たちも渡ることになる虹の橋。 色々と想像していたらこの曲が思い浮かびました。 虹の彼方に Over the Rainbow https://www.youtube.com/watch?v=NnjBHsRciCI 訳詞 虹の向こうのどこか空高くに 子守歌で聞いた国がある 虹の向こうの空は青く 信じた夢はすべて現実のものとなる いつか星に願う 目覚めると僕は雲を見下ろし すべての悩みはレモンの雫となって 屋根の上へ溶け落ちていく 僕はそこへ行くんだ 虹の向こうのどこかに 青い鳥は飛ぶ 虹を超える鳥達 僕も飛んで行くよ ponko310 2017年03月24日 01:02 yukaさん リンクをありがとう。 オズの魔法使い、この映画をずっと昔に観ましたよ。 この時は本当に竜巻がこんな風に家を運んで行くんだなんて思ってました。 素敵な事を信じるって幸せ気分ですね。 人間は頭の中でいくらでも幸せを作れるんだな~って思います。 ek 2017年03月24日 13:23 越後の雪椿様 確かにおっしゃる通りですね。 64年組のメンバーは日本のみならず、各国に天使の歌声を届け、各地で、親善大使としての役割を果たされていた中で、日本公演を大切に思い出してくれていた事 1994年にメンバーひとりも欠けずに集まり、思い出を語り合ってくださっていた事 私達 64年組を愛する者にとっては光栄であり、自慢すべき事ですね。 何故って、もし私達ファンの印象が悪かったり、日本が彼等に嫌な思い出を与えてしまっていたら、こんなに思っていては下さらなかったと思います。 人気爆発で、たまにはちょっと行き過ぎた行動を(私も入ってしまうかも?)とってしまったファンもいたでしょうが。 彼等は最高な演奏で、最高なマナーで、日本中に爽やかな風を残してくれましたよね。 ねぎ 2017年04月01日 23:05 合唱団のことについてお詳しい方々に混ざってのコメント恐縮ですが 当然ご存命だと思っていた方が亡くなっていたと聞くと本当にショックですね。私も中学高校時代の知人が、自ら命を絶っていたと知った時は、本当に衝撃を受けました。(亡くなり方も衝撃だったというのはあるのですが) ウィーン少年合唱団が世界文化遺産に選ばれたのはすばらしいことです。日本で言えば戦国時代位から変わらず続いてる文化なのですから、これからも大事に受け継いでいってほしいですし、団員の方には文化芸術の継承者として誇りをもって活動してほしいと願っています。 ponko310 2017年04月02日 03:14 ねぎちゃん あなたの学生時代のお友達がそんな形で亡くなっていたとは遺憾です。 まだ若かったのに、自分から命を絶つなんてね。 忍耐があれば時が解決してくれたかも知れないのに。 ちなみに男性の50代は一番危険な年代なんですって。 私の父も52歳で亡くなっているし、働き盛りを過ぎたばかりの男性は健康に気を付けないとね。 ウサギちゃんはリタイヤしてのんびりしているけれど、まだルカやココは仕事に追われていつもストレスだからなぁ。 この人達が今のウィーン少年合唱団の名声を築き上げて来てくれたのだと信じている私は、この嬉しいニュースを聞いて自分の事のように喜びました。 現役の団員達は歌いながら栄誉でピカピカに輝いているんだろうな、ウフフ。 いつも素敵なコメントを有難う ek 2017年04月07日 19:16 「古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ 晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔 想い出遠くあせても おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう さみしくて 恋しくて 君への思い 涙そうそう 会いたくて 会いたくて 君への思い 涙そうそう 」 40年以上 FAHRNERさんとお便り交換していた年月を長いと感じたことはなかったのに この6年はとっても長く感じています。 今でも「長い間手紙書かなくてごめんなさい」と言う書き出しで 彼から手紙が届くのではないかと思ってしまいます。 もう間もなく 素敵な風を日本に届けてくれるウィーン少年合唱団が来日ですね。 「今年はコンサートに行きますか?行ったら感想を聞かせてください」ってお手紙が届くような気がします。 今年 来日組の少年達がそれぞれに素敵な友情を結び、64年組の方々のように大切に思ってくださると良いですね。 ponko310 2017年04月07日 21:34 ekさん 今日は彼のお命日でしたね。 ろうそくを一本立てました。 コメントからあなたの彼を想う気持ちが伝わって来るようです。 本当に残念な事をしました。 沢山の思い出のある大切なお友達を失くすのは本当に胸に隙間が空いてしまうのですよね。 もっともっと沢山のお話がしたかったのに。 私も当時の思い出のある大切な友人を失っているのでお気持ちを察することが出来ます。 今日は思いっきり悲しんでください。 でも、これから春ですよ。 明日からまた何かいいことがある事を期待して気持ちを沸き立たせましょうよね。 ekさん、頑張れ~。 ek 2017年04月07日 23:03 Ponko様 温かい励ましありがとうございます。 今日1日(忘れた事は1日もありませんが)ひとりでWolfgangさんを偲ぶ会をしていました。 Wolfgangさんが眠る場所の近くでPonkoさんも一緒に思っていてくださったこと嬉しく思います。 はい、Ponkoさん 私には素敵な友達がいるんだ!と幸せを再確認して 新しい春を楽しむようにします。 Ponkoさんのお部屋にお邪魔させていただいて良かった! ありがとうございます。 ponko310 2017年04月07日 23:56 ekさん 私の言葉が本当の励ましになるのか自信を持って言えませんが、友人を偲ぶ気持ちは同じだと思います。 すべての人が自分と同じ気持ちでは無い事は承知していますが、数少ない同じオールドファンの方と、こ うして新しく言葉を交わせる喜びを長く持ち続けて行きたいですね。 上の記事を書いた時、まさかekさんが私よりも先に逝ってしまうとは思いもよりませんでした。ライ二―さんと同じように、忘れられない友人として、いつか彼女の残してくれた1974年のウィーン訪問記をここに持ってこようと思っています。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでどうぞお気を悪くなさいませんように。それでもコメントをくださる方にはここから感謝したします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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