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雑筆の部屋♡♡此処に青春の灯あり

雑筆の部屋♡♡此処に青春の灯あり

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2023.03.01
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                      (初公開2021年11月16日-再公開2023年3月1日)

今日は・・・・・・・・・・・


​​​ミハエル・アンデ主演の映画の「野ばら」を知っている人になら多分、楽しいお話かもしれません。
これは私達オールドが生まれる前の1936年にオーストリアで制作された映画で、1957年の映画「野ばら」はこの映画が基本になっています。
題名は「音楽と共に人生を」とでも訳すのでしょうか。

このポスターの左の少年がトニーで、真ん中はトニーの友人のハンズィーですが、何でわき役のこの子が一番大きく載っているのかしらん‥‥と思っていたらコメントで、トニーにとってたった一人の大切な友人だったから、と書いてありました。
そうか、この年頃は親よりも友人の方が大切な時期なんだ。

題名の下に小さい文字で「SINGENDE JUGEND(歌う青春←直訳)」と写っていますが、ウィーンで公開された時はこれはが本当の題名だったそうです。
監督のノイフェルトが「ユダヤ人の血が混ざっている」と言う事でナチス支配下のドイツでは公開されず、戦後の1950年に新しい題名を付けられて一般公開されました。
あのね、もう一つの題名は「エーデルワイス少年」ですってよ。
野暮ったい題名ですね…………売れなさそう。
ちなみに私達オールドの知っている 1957年のアレンジされた「野ばら」の映画監督も同じくこのノイフェルトでした。
余計な事とは思いますが、映画を見る前に私みたいに英語が出来ない方のためにちょっと初めのほうだけ軽く説明をば。
そう、自分のブログだからうざくても好き勝手が出来まする。でも先に読んでおけば場面を見てわかると思うので。

1957年の「野ばら」でのブリューメル爺さんの役は、この映画では橋の下の小屋に住むダサい辻音楽師になっています。
トニーは相変わらず孤児の役ですが、ハンガリーからの難民ではなくて、此処では靴屋の親方の使い走りをさせられています。
短気な親方に葡萄酒を買いにやらされて戻る途中に瓶を落として割ってしまい、途方に暮れているところに、ブリューメル青年の歌声に気がつきます。
彼の路上での演奏に遭遇し、窓からの投げ銭が路地に落ちるのを見て、新しく葡萄酒を買おうと、トニーはついそれをポケットにしまい込み、見つけられて慌てて逃げ出し靴屋に戻ります。
割れた葡萄酒の瓶を持ち帰ったトニーを見て、腹を立てた親方に店から追い出されてしまいますが、追いかけて来たブリューメル青年に保護されます。
ホッ、心が寛大な青年で良かったね。
食事の後でお皿を洗いながら、トニーはブリューメル青年のアコーデオンに合わせて歌い「君はその歌を知っているのかね。」と聞かれた時に「僕は一度曲を聞くと、覚えてすぐに歌えるんだ。」と答えています。
この後二人は違法で路上演奏をするのですが、見回りの警官から身を隠すために入った教会はミサの最中でした。そこでトニーは初めてウィーン少年合唱団の歌声を聞くのです。
この動画で話す言葉はドイツ語ですが、ちゃんと英語で字幕が出ているので解る人ぞ解るですかな。
私は英語もわからないし、話されるウィーン訛りだって良くわからないので、勝手に解釈しながら観ていますん。
では、次のおしゃべりは後回しにして、まずはかの古きウィーン少年合唱団の明るく可愛い歌声をお楽しみあれ~~。まず、歌えば楽しの音楽から始まります。合唱団は4分あたりから​ですが、ちゃんと歌いながら行進してきます。

さて、動画はどうでしたか?と聞きたいのですが、今日2023年7月24日に見たら消されていました。​新しく見つけたリンク​(←クリック)ですが、どうやら登録した後で見れるみたいです。私は何度も見た映画なのでわざわざ登録までしてみる気はないので、自己責任で決めてください。
さて、この映画の団長さんは服装からするとシュニット神父のつもりなのでしょう。
トニーが教会で初めてウィーン少年合唱団の歌声を聞いた時の彼の目の輝きと、胸のはじけそうな興奮に気が付きました?
そして私の気を引いたのは、少年達が運動場で歌う時に腕を前に組んでいる姿勢。
ウィーン少年合唱団は腕をずっと後ろに組んでいたのではなくて、ある時期は前に組む姿勢を取っていた事があったみたいですね。

写真はネットから。1930年代のウィーン少年合唱団。
こういう姿勢の写真を幾つか見たことがありました。
ウサギちゃんのお父様もちょうど​このころの団員​だったので、自分の息子の入団記念の写真は凛々しく前で腕組みさせていました。
懐かしいのは47分から向かう夏の休暇寮のヒンタービヒルの景色です。
ウィーンからヒンタービヒルに向かう少年達のバスがオープンカーだったのには笑ってしまいました。何だかトラックの荷台に乗ってるみたいで・・・。私がいつだったか変な夢を見た(←クリック)のはこの映画の場面だった可能性あり。
それにガードレールの代わりに石柱が埋め込んである山添いの道のまぁ、何と危なっかしい事と言ったら!
その時に少年達が歌っている歌の題名がこの映画の題名​「歌と共に人生を」(←クリック)​になっています。1947年録音ですって~、ウッソ~。
この歌は「ほがらかに鐘は鳴る」の映画でもチロルに向かうバスの中で歌われていましたね。
年代的にこの少年達はみんなもうとっくに虹の国に行ってしまっているけれど、彼らの歌声と姿はこうして残されているんですね。

この古い写真は1936年から1939年まで指揮者だったハイノ・トイバーさんの隊です。ひょっとしたらこのぼうや達が映画に出演していたのかもね。
みんな何となく幼い感じで、映画の中でも、ママや看護婦さんに甘えるしぐさが本当にいじらしいんですよね。
あの制服であんなふうに甘えられたらもう、めろめろになりそう。
しかしいつも制服姿なんて、ちょっと不自然でもありますね。
この「野ばら」は1936年制作され、同年に公開だから、物語は第一次と第二次世界大戦の間で、ウィーン少年合唱団はアウガルテン宮殿ではなくて、まだウィルヘルミーネンべルク宮にいた頃ですね。
​​調べたらそこは今、ホテルになっていました。​
アウガルテン宮殿になる前のウィーン少年合唱団の宿舎
けれど少年達が戦争中にはウィルヘルミーネンベルク宮から、他の小さな宮殿に移らなくてはならなかったことがゲオルクさんの「小さな歌」の本の中に書いてあります。有難いことに1958年制作の私たちの「野ばら」の時はアウガルテン宮殿になっていましたよね。
ブロ友さんがこの動画を教えてくれました。
1963年のNHKのみんなの歌の一つでした。
しかし、この映画の音楽を担当したグルーバーさんが1936年に作曲して、この映画で初めて歌われた曲がNHKのみんなの歌になるとはねぇ。
1963年と言ったら、その夏に初めて「青きドナウ」を見てウィーン少年合唱団を知った年です。
ところでトニーが川に落ちる前の1:12:30の場面で水車小屋が映りますが、この場所です。


映画では川の音は全然出て来ませんが、この川の流れが、もう爆音に近いんですよ。

ゲオルク・グルーバーさんは何と、1930年から1937年までウィーン少年合唱団の指揮者だった方でした。この指揮者はシュニット神父との意見の違いで、1937年に独立して新しくウィーン・モーツアルト少年合唱団(現代のモーツァルト少年合唱団とは関係なしです) を設立しています。
その前に彼は1924年に合唱団協会として再び設立されたウィーン少年合唱団の7人の設立者の一人だったそうです。ちなみに来年の2024年はウィーン少年合唱団の設立100周年祭ですよ。
その7人の設立者の中には、なぁ~~んと​1955年に初来日したドリー君​のお父様もいらしたんですって。だからドリー君がその後に、ウィーン少年合唱団の団員になったのは当然の成り行きでしたね。
おっ、今まで全然関係が無かったと思っていたシュニット神父やグルーバー指揮者がドリー君を通して此処で繋がった感じ。
グルーバさんは少年達を引き連れてオーストラリアに演奏旅行に行き、そこで第二次大戦が突発して帰国できなくなったのですが、そのお話をいつか書きましょう。


​この記事へのコメント​
四つ葉 ek 2021年11月16日 20:50
Ponkoさん!いえ、Ponko様
私をウィーン少年合唱団と言うと夢の世界に導いてくれた大切な宝物の一つでもある「野ばら」の原作にこんな凄い映画が存在していたなんて今の今まで知らずにいた私。
音楽を担当なさった方も指揮者でいらしたとは!Ponkoさんが掲載してくださったノイバー隊の写真を見て、なんだかじ〜んとしてしまって、なぜか涙が頬に落ちてきました。
作品自体はこれからもゆっくり鑑賞させて頂くとして、Ponkoさんのあらすじ解説だけで、遠い昔の憧れのウィーン少年合唱団の世界へといざなっていただけました。ありがとうございます!
そしてPonkoさんのお友達のお父様の時代を想像させていただきました。すごいですね、Ponkoさん!こんな時代を体験なさった方とお知り合いだなんて。
それに歴史的出来事を経験した隊の関係している作品だなんてますますもって、驚き、感動を覚えます。
Ponko様!素敵なお話本当にありがとうございます。今夜はこの作品と、「野ばら」をゆっくり鑑賞したいと思っております。
夢にチロルの山々が出てくるかな〜?私が見たチロルは真夏でしたが、清々しい気分で目覚めさせてくれる明日になると思います。ありがとうございます!
四つ葉ek 2021年11月17日 02:47
Ponko様
たった今観終りました。一気に観てしまう程の素晴らしい作品に出会わせて下さってありがとうございました。
内容は本当に「野ばら」。そして考えさせられる事が盛り沢山の作品でした。辻音楽師がどんなだったか、ホテル少年合唱団がどんなだったのか、何より少年達のオペレッタを懐かしみました。
♫歌声響けば、心もはずむ♫正にそんな作品でした。
私ごとですが、インスブルック滞在中の日曜野外礼拝を思い出して、観せていただいた映画が総天然色(言い方が古いですね😅)の様に緑豊かに浮かび上がリました。
そしてただ一人お別れの挨拶を交わしたハンズィ少年の愛らしいこと!ポスター納得です。
今夜はこの感動だけにして、「野ばら」は明日(もう今日ですが)ゆっくり観ようとおもいます。なんて言いながら、また「歌う少年達」を観てしまいそうです😁。本当にありがとう!Ponkoさん!
四つ葉 ponko310  2021年11月17日 03:16
ekさん
この動画の事はpfirsichchenさんから教えてもらって、以前の記事にも少し書いてあるんですよね。
今回はちゃんとした動画が見つかったので一つの記事に出来ました。
こんなに古い動画が嬉しく思えるのは、やはりそこに繋がっている方々と交流があるか、57年の映画を知っているからでしょうよね。
ekさんが昔のWSKに心を動かされるのはWさんの団員だった時代とは今よりもずっと近いからなのかな、と思っています。
1964年と2021年では57年、1964年と1935年では29年の違いだものね。
このブログは本当にオールド向けだなと感じます。
こんな古い動画を見て私と一緒にテンションをあげてくれるファン友さんがいるのを嬉しく思います。
四つ葉 yuka  2021年11月17日 19:40
姐さま
野ばらの元になった映画があったとは、友人にWSKの凄さをまた自慢しますw
姐さまのところにはWSKの色々なものが次々と集まってきますね。
これからゆっくりと何回かに分けて鑑賞させていただきます。
その前に、WSKの長い歴史をご存知な方だからこその感想や解説を読ませていただきありがとうございます。
戦争など激動の時代を乗り越えて来て今があるんですものね。
パッと見たところ、トーニ役は野ばらより少しお兄さん?
マリアさんらしき方は少しおばさん?
キャー!
ごめんなさ~い!
余計なことは言わずに、これから大人しく観させていただきます。
四つ葉 ponko310  2021年11月17日 20:55
yukaさん
私も此処のトニーは少しお兄さんかな、と思っていましたが、やはりママを慕う思春期前の少年に歳は関係ないな、と思いました。
マリアさんがyukaさんにはおばさんに見えるのですね。
余計な事とは思わずに、自分の意見をどんどん聞かせてくださいな。
それがまた楽しみなのですからね。
四つ葉 maa  2021年11月18日 22:55
ponkoさま
私もウィルヘルミーネンベルク城にいた合唱団に思いをはせることがあります。ウサギちゃんのお父様もそうであるように、たぶん1925年前後に生まれた彼らの多くは世を去っているでしょうね。ちょうど私たちの親の世代ですからね。でも映像にいる少年たちは、今も昔も元気で可愛くて時代を忘れそうになります。
映画に中でホテルWSKの泊り客に、セーラー服姿で給仕をするシーンがありますね。あれもハンズィー君かしら。ハーモニカのエピソードは57年の野ばらにもありましたが、36年のポスターにはセーラー服の団員姿がないのも不思議に思いました。
ヒンタービヒルの山荘近くに帰ることができた30年代の元団員くんは、そのことも含めて幸せな人生だったのだろうなと思います。
四つ葉 ponko310  2021年11月19日 00:35
maaさん
映画を見ていて気が付かなかったけれど、山荘のレストランで給仕をするのはハンズィー君かもしれない。
きっと団員じゃなくて子役の一人でしょうね。
トニーが合唱団に入るまでの場面は57年のと随分違っていましたが、その後は皆も知っている筋なので説明を省きました。
でも、ウィーン少年合唱団の映画なのに、ポスターに制服が載ってないって、本当に不思議ですね。
ウサギちゃんのお父様が生きていらしたら、きっとこの動画にテンションをあげていただろうと思います。
そもそも、あの当時、この映画をみていたのかしらね。
四つ葉 Yuichann  2021年11月19日 17:54
Ponko さん
此の映画、YouTubeで部分的に数年前観たことがありますが、全部のストーリーを観られたことが嬉しいです。ありがとうございます。山荘での場面、本当に当時あの様にはやってはいないと思いましたが⋯?制服の上からエプロンをしてビールをテーブルに、思わず笑ってしまいました。可愛すぎる⋯! 私がお客さんだったらチップを渡してます。演奏も少年達⋯凄いですね。(今だったらPTAに怒られそう)映画の世界だからまあいいや。
Ponkoさんが言われた様に第一次から第二次世界大戦の間ぐらいですね。でも世の中が怪しくなって来た時代に良く作られていますね。オーストラリアから帰国出来なかった少年も映画出演していたのでは?
四つ葉 maa  2021年11月19日 18:53
ponkoさま
ハンズィーは子役かもしれない。こんなにアップにされているから団員ではないですね。
この映画が戦後にウィーンで公開されたとき、出演した子たちはすでに青年になっていますね。懐かしくて映画館に足を運んだのじゃないかしら。映画が一番の娯楽だった時代です。
この作品が50年に公開されて、「野ばら」のほうは57年に撮影ですね。古い映画が火付け役になって「野ばら」をリメイクしたような気がしてきました。
四つ葉 ponko310  2021年11月19日 19:21
Yuichannさん
私は夏の休暇中の山荘で、お客様のお相手をするのはおこずかい稼ぎOBだけかと思っていたのですが、この山荘で夏を過ごしていたドリー君は、団員の時も給仕をしたことがあったと言っていましたのでびっくりしました。
あんまり忙しい時は少年達も手伝わされていたのかもしれませんね。
それで、タウチュニッヒ団長はホテルになっている山荘を売り払って、少年達だけの休暇寮をセキルンに建てたと読みました。
山荘のOB達は観光客の為にダンス曲を演奏していたそうです。
世の中が辛い時代には、みんな夢を追って映画鑑賞が流行ったそうですよ。
何時の時代にも現実逃避って無くならないものですね。
四つ葉 ponko310  2021年11月19日 19:47
maaさん
この古い方の「野ばら」のトニー役は見つかりましたが、ハンズィー役は何処にもありません。
でもきっと子役だったのでしょう。
Singende Jugendの題で1936年にオーストリアで公開されましたが、1950年に新しい題が付けられてドイツで公開された時は、オーストリアでもきっと上映されていたと思います。
テレビも無かった時代ですから、もちろん録画なんて出来なかったでしょうし、14年後に自分の団員時代を再び見た元団員達はどんな気持ちだったのでしょうね。
57年の野ばらも同じ監督ですから、リメイクしたのは目に見えていますね。
最近の「Littel Big Voice」だって、ベネディクトが孤児だとか(後で父親が現れますが)指揮者とシュベスタ―が恋人同士とか、この「野ばら」に共通している点がありましたね。
四つ葉 1964-1967  2021年11月20日 08:11
Ponko 様
おはようございますと言いますか、お休みなさい🌃と言いますか(笑)、こんにちは。この、Orphan boy ~ の事は前にも話題に出ましたね。でも今回の方が詳しく説明されていて、とても良くわかりました。出演者の中にウィーン男声合唱団の名が見えましたが、この合唱団はそんなに古くからあるのですね。知りませんでした。勉強不足でした!
四つ葉 maa  2021年11月20日 11:08
ponkoさま
勘違いしました。オーストリアでは36年に公開されていたんですね。そうか、ナチス侵攻は39年だった。それまでは合唱団もウィルヘルミーネンベルクに居られたのでした。映画出演した子たちが、学校ごと映画館に行ってみていたら良いのだけどな。
1950年に公開されたのはドイツでのことだったのですね。でも14年もたっているし戦争もあったし、ドイツに移住してその映画をもう一度見ていたかもしれないですね。ウィーンで同時公開されてたことも考えられますね。
ハンズィー役のことはわかりませんでしたか・・・。でも、きっともう虹の橋かな。
YouTubeを見ると、100年ぐらい前の映像がデジタル加工されて、カラー化だけでなく鮮明な4Kにされていたりするんです。表情までしっかりわかるの。映画作品は著作権があるし、上映時間も長いから無理なんでしょうね。でもその他大勢の団員たちの顔も、もう少しはっきりわかるといいなと思ってしまいました。
四つ葉 1964-1967  2021年11月20日 12:50
Ponko 様
今度はおはようございます。野ばらには関係ありませんが、ウィーンまた3週間のロックダウンだそうですね。
四つ葉 ponko310  2021年11月20日 18:23
1964-1967さん
あら、ウィーン男声合唱団までが出演してたんだわ。
こちらこそ勉強不足(勉強嫌い)なので1964-1967さんに言われるまで、男声の歌声なんて気になりませんでしたよ。そこで調べたら1843年に設立されていたんですね。
そこの指揮者にクサヴァ・マイヤーさんやゲルハルト・トラックさんの名前が連ねてあったので嬉しくなってしまいました。でも調べたらきりがないので、ここで止めておきます。
そうなんですよ、ドイツのバイエルン地方もですが、オーストリアの感染率が普通じゃない。
オーストリアでは全国でロックダウンが始まりますが、遅くとも12月13日までにはワクチン接種済と治癒した人達の外出許可が下りるとか。
今日はウィーンで大規模なロックダウン反対のデモがあるとニュースで言っています。
昨日はパリで「オーストリアの自由の為に」のデモがありましたよ。
ベルリンではなかったなぁ。
四つ葉 ponko310  2021年11月20日 19:49
maaさん
ほんとに、ウィーン少年合唱団全員がクラスでその映画を見に行っていたらいいですね~。
映画会社で子供達を招待してくれていたら、もっといいですね。
1964-1967さんに言われて、動画の場面に出て来る配役の名前を見たら、assisted by Toni, Loisl ,Hansl・・・だけで子役の本名が出てない事に気が付きました。
興味本位で調べると、トニー役の名はエーリヒ・ショルツで、すでに青年になっている1950年と1955年の映画に出ているだけで、それ以上の情報無し。
写真を見たけれど、似ているような気が・・・あら、役にも立たないような事を調べたみたい。
100年も前の映画がカラーで鮮明に見られるような動画を再生してくれる技術者が出て来ているのですね。もう、カルチャーショックばかりです。
四つ葉 1964-1967  2021年11月20日 19:56
Ponko 様
設立を調べて下さってありがとうございました。1990年代初めにこの合唱団トラック先生の指揮で来日されています。
四つ葉 1964-1967  2021年11月20日 20:26
Ponko 様
度々すみません。団員たちと先生の写っている写真で下に小さく書いてあるカペルマイスターの名前がよく読めません。なんと書いてあるのか読んで頂けますか。
四つ葉Yuichann  2021年11月20日 21:23
Ponko さん
トニー少年、ミヒャエル・アンディーとはちょっと違うゲルマン系のハンサムな子。
あの映画カラーにならないでしょうか?オペレッタの衣装、カラーだったら素敵でしょうね。モノクロでも素敵なので。野外でのコンサートシーン(オペレッタかなぁ)ダンスを踊っているのWSKの少年達ですよね、ダンス上手舞踏会にデビュー出来そうなくらい素敵でした。(短いシーンでしたが)
野外ミサのシーンではチロルの民族衣装⋯?を着た村の人々が行進してくる場面、昔のチロル・ヒンターピヒルの様子がわかって嬉しいです。道端にキリスト教像があったりして⋯。
ウィーンからオープンバスに乗ってチロルへ?途中ザルツブルクを通って行く場面(多分ザルツブルクだと思いますが)やPonkoさんが通ったであろう山道などが出て来てちょっとタイムマシーンに乗ってオーストリア観光をした気分です。
四つ葉 ponko310  2021年11月21日 04:17
1964-1967さん
あらら、載せた写真の上にハイノ・トイバーと書いてありますけど。
四つ葉 ponko310  2021年11月21日 18:04
Yuichannさん
トニー役の少年は動画には名前が載っていませんが、調べたらエーリヒ・ショルツと言う人でした。
青年になってから二つの映画に出演しています。
100年も前の映画がカラーになってデジタル化したら凄いですね。
カラーで見たい映画は沢山あります。
1971年当時はスイスでもチロルでも教会のミサに民族衣装で出る人を沢山見ました。
今はどうなのでしょうね。
お祭りの時はみんな着ていますけれどね。
道端にあるキリスト像はカトリック信者の多い村には必ず立っています。
いつもあれを見ると持って帰りたくなってしまうのです。
今は山奥の道でも舗装されていますが、この映画のチロルへの山道を走るバスはどんなに揺れたでしょうね。オープンバスから飛び出ちゃったりして…あはは。
四つ葉 Yuichann  2021年11月22日 11:24
Ponko さん
再びお邪魔させて頂きます。
「音楽とともに暮らす」的な曲名。日本では「歌えば楽しい」という曲名で1963年5月に「みんなの歌」で紹介されました。映画の中でWSKが歌っていた歌が日本の子ども達が歌っている事をグルーバーさんきっと虹の国で喜んでいらっしゃると、勝手に想像しています。
「野ばら」の中で歌われていた「歌声ひびけば」はもう少し後の1965年4、5月のみんなの歌で紹介されていました。何方の曲もウィーン少年合唱団が歌うと素敵だなと自分勝手に思っています。日本の子ども達も上手ですが⋯。ウィーン少年合唱団のおかげで日本の子どもの歌唱力が上がったと思っています。(グロスマン先生のご指導)
グルーバーさんはオーストリアに戻られましたか?
四つ葉 ponko310  2021年11月22日 19:44
Yuichannさん
早速、歌声響けばの歌が1963年にNHKで紹介されていたと言う事をブログに書き足しました。
どうもありがとう。
グルーバさんはオーストラリアでナチスとして収容所に入れられましたが、その後帰国してザルツブルクに住んでいます。
四つ葉ek  2021年11月22日 20:29
Ponkoさん!
Yuichannさんからのご質問に答えられての、グルーバー先生のお話ありがとうございました。
グルーバー先生の印象はPonkoさんのお話からしか存じ上げないので、辛い歴史だとの認識になってしまっていますが、なんだかトーマスカントルのロッチュさんを思い出してしまいました。
私にとってロッチュさんは辛く悲しい人として残っていてしまっているのですが、戦争と思想って恐ろしい事を引き起こしてしまうんですね。悲しい事です。
ドイツ統一時にロッチュさんも亡命後 ザルツブルグで活動を始められたようですが…。1974年のライプチヒでお会いした時も、75年のトマーナの指揮者として来日なさった時も、その真実を知るまで気さくに接してくださった優しいカントルと印象に残っていました。でも、帰国間近にメンバーとの話の中で、身が凍りました。悲しい思い出です。それでも彼は、音楽から離れることなく、ザルツブルグのモーツアルトテウムで客員教授をなさっていらして、2013年に古巣のライプチヒでお亡くなりになれましたが、彼の生涯も世界の流れに辛い時期を過ごされたんだなと改めて感じさせていただきました。
四つ葉 ponko310 2021年11月23日 00:26
ekさん
トーマス教会少年合唱団の音楽監督はバッハとマウワースベルガーだった事はよく覚えていましたが、ロッチュさんはお名前だけしか知りませんでした。
マウワースベルガ―さんは、ドレスデンクロイツ少年合唱団のカントルの弟さんで、私のペンフレンドから聞いていましたが、ロッチュさんはその後を引き継いだ方だったのですね。
ドイツの国家統一後は東ドイツの秘密警察の協力者だったことが判明し、カントルの任務を降ろされたそうですが、団員達もその家族も、ライプチヒの住民達も彼の解任に反対だったそうです。
ザルツブルクにいらしたのはグルーバーさんと同じですね。
四つ葉 ek  2021年11月23日 02:42
Ponko様
Ponkoさんがおっしゃっておられる様にドレスデンのマウエルスベルガー先生は、私がトマナコールを聴き始めた頃のカントルのご兄弟です。そして1972年にはトーマスカントルはマウエルスベルガーさんからロッチュさんに替られました。
ドレスデンのマウエルスベルガー先生も政府から聖十字架教会合唱団のでキリスト教に基づく音楽教育の排除を求められたそうですが、拒否なさったと私は聞いた事がありました。ドレスデンのマウエルスベルガー先生には政府の申し出を拒否出来る偉大な力がお有りになったのでしょうね。あの頃の東ドイツの思想とキリスト教とは、対立。
私のペンフレンドのご兄弟も、その問題で彼の生涯を変えられてしまったと、ライプチヒ滞在中にご家族からうかがいました。
そんな悲しい歴史を作り上げる思想は、現在でも世界の何処かから、聞こえてくる現実は、悲しく辛いことですね。
グルーバー先生もそんな辛く悲しい歴史の流れに巻き込まれてしまわれたんですね。先生のみならず、幼い合唱団員達も。
私達に馴染みの方の「野ばら」のトニー少年もハンガリーからの難民でしたね。
四つ葉 Yuichann  2021年11月23日 07:25
Ponko さん
ありがとうございます。グルーバーさんはナチ党員、当時はオーストリアにも党員が結構いた様ですね。カラヤンも党員だったと聞いた覚えがありますが、記憶違いだったらすみません。シュニット神父との意見の違いで辞められたのは何となくですが理解できた様な⋯。合唱指導に生涯をかけていらしたのですね、戦争のない時代でしたら優れた指導者だったのでしょう。南アフリカへ合唱の指導へ行かれたと⋯50年代60年代WSKも南ア、ツアーに行っていますね、きっと懐かしいコンサートを聴いたかもしれませんね。私の勝手な想像ですがドラケンスバーグ少年合唱団にも関わったのではないでしょうか。ドラケンスバーグ少年合唱団が創設された頃とグルーバーさんが南アにいらした頃が重なっているような気がしてきました。創設当時WSKからの指導者がいたという話を聞いた様な記憶があります。(兼高かおる世界の旅の中でお話されていた様に記憶していますが)書物からでは無く私の記憶(勘違いかもしれなせんが)の話しをダラダラ書いてしまってすみません。
四つ葉 ponko310  2021年11月23日 08:54
ekさん
ドレスデンのマウワースベルガ―さんは切手にもなったほどの方でしたよ。
ふ~ん、確かに東ドイツはキリスト教、特にカトリックの教会は探しても殆どなかったと思いました。
そもそもカトリックのバイエルンみたいに宗教に関する物が余り目に付きませんでした。
ドレスデンもクロイツも聖歌隊はみんなプロテスタントでしたね。
私は誰かと話すほど宗教にも詳しくないので、ボロが出ないうちに口を結びます。
マウワースベルガ―さんには、ペンフレンドを紹介してくれたお礼を言おうと意気込んでいましたのに、71年にドレスデンに行った時は、2か月前に亡くなっていらしたのを知らされてがっかりしたのを思い出しました。
野ばらのトニーはお母さんがウィーンの人だったので、難民と言っても肩身が狭くなかったのかもね。
今日はピザを食べに行って、ウェイターがアフガニスタンの元難民でした。
ドイツは居心地が良いですか、と聞いたら、ここでの平和な生活に感謝しているけれど、自分がアフガニスタンから来たと意識するたびに故郷に帰りたくなると言っていました。
ラ・パルマでは火山が大暴れしているし、アフガニスタンではタリバンが大暴れしているしね。
四つ葉ponko310
2021年11月23日 09:26
Yuichannさん
若いグルーバーさんは、1932年にウィーン少年合唱団を引き連れて第一回目のアメリカ演奏旅行をした指揮者だったみたいですよ。
老いたシュニット神父は外国など遠くて、ウィーンとチロルの辺りばかりをうろうろしてたのかもしれませんね。
神父はよほどグルーバーさんに腹を立てていたのか、1949年にザルツブルク音楽祭の引率者にあげられていたのに、ウィーン少年合唱団のシュニット学長の反対によって、文部省から阻止されたんですって。
多分そんなことが重なって南アフリカに移住したのかもしれませんね。
ドラケンスバーグの名前は彼の歴史には出て来ませんが、どこかの少年合唱団の創設に何かで繋がっていたのかもしれませんよね。
四つ葉 Yuichann  2021年11月23日 11:27
Ponko さん
そうですね。聞くところによると、南アフリカは合唱が盛んな国だそうです。きっと何処かでグルーバーさんのご指導が繋がっているかもしれませんね
ウイーンから世界へ、日本へも⋯。
第一回アメリカ公演の写真(船上での写真)WSKのFBに載っていないかなぁ。グルーバーさんてどんな方だったのでしょう。
シュニット神父の逆鱗に触れてしまったのでしょうね。神父も絶対に考えを曲げない方だったのでしょう。
四つ葉 ponko310  2021年11月23日 18:58
Yuichannさん
1930年代のお話ですからねぇ。
あまりにも遠くて、手が届きません。
彼の写真を探していたら「欧州のデーター保護法」などと言う全く新しい言葉にぶつかりました。
これでまた一つ、謎解きを邪魔する壁にぶつかった。
四つ葉 nene  2021年11月27日 06:25
Ponko様
まあ、こんなに昔からウィーン少年合唱団は映画のモデルになっていたのですね。
この映画にいる人たちのほとんどが虹に国へ行ってしまったなんて思えないほど新鮮ですね。とても面白い内容で見入ってしまいます。
映像はこうやっていつまでも残る最高の発明でしたね。
現在の最新映像も未来には自分がそう感じているように見る人がいるんだと思うと不思議な感じ。
四つ葉 ponko310  2021年11月27日 22:09
neneさん
これよりももっと古い映画でウィーン少年合唱団は活躍しているのですよ。
ホント、今はものすごいトリックの映画があって、私なんかハリーポッターの最後の方の再放送を見ても、ついて行けませんよ。
むか~~~し、見た後は怖くて布団にもぐって震えていた映画を、今ネットで見たら、あんまりにも不自然で笑ってしまった。
将来の人はハリーポッターなんてぶんぶく茶釜
のタヌキに見えるのかもね。
四つ葉 ヤマチャン  2021年11月29日 18:48
 以前少し取り上げられていた「野ばら」オリジナル版の全容を紹介してくださり、ありがとうございます。この頃のウィーン少年合唱団の映画といえば「未完成交響楽」くらいだと思ってたので、この作品の存在は驚きでした。まだ全部見てないですけど、ざっと見た感じ後半は56年版とかなり共通してますね。当時の歌声も聞けて感動です。これからじっくりと全編を楽しもうと思います。
同じ監督が再映画化したのですね。よほど気に入った題材だったのでしょうか。
 ekさんがグルーバー氏とトーマネルコールのロッチュ氏を重ね合わせたのはもっともだと思いました。お二人とも時代に翻弄されてしまったのですね。ロッチュ氏は私にとってはクルト・トーマス時代の録音の素晴らしいテノール歌手の印象が強く、85年の来日の時の『マタイの受難曲」の指揮者でした。この時のバス歌手がekさんの思い出深いビラ―氏でした。ビラ―氏がロッチュ氏を引き継いでカントルになったのですよね。
 ドリーさんは由緒正しい団員だったのですね。私にとっては55年組であり、キューバッハ隊だっただけでも奇跡のような方です。
四つ葉 ponko310  2021年11月30日 00:17
ヤマチャンさん
ずっと前に一部を載せた古い動画を覚えていてくださって嬉しく思います。
グルーバー指揮者からトマーナコーアの指揮者の話題に移れるのも、悲しい歴史に触れた経験があり、ekさん自身、ライピチヒにまで歌いに行っていた合唱団の団員だったからでしょうね。
1957年の野ばらに出演したドリー君やギュニー君の事はすでに書いてありますが、当時のお話をもっと詳しく聞かせてもらえる機会があることを願っています。
四つ葉 ek  2021年11月30日 00:40
ヤマチャン様
Ponkoさんが素敵なもう一つの野ばらのお話をしてくださった所に、話をそらしてトマーナの話にしてしまったのにお付き合い下さりありがとうございます。
ヤマチャンさんが、クルトトーマスさんからのトマーナの歌声を聴いていらしたことを知り、嬉しくって馳せ参じてしまいました。
ラーミンさんトーマスさん、マウエルスベルガーさん、ロッチュさんそしてビラーさん、シュヴァルツさん、方々のトマーナの歌声を聴きながら、バッハに陶酔してしまっている私には、同じように感じていてくださる方の存在が嬉しくって!
新しいカントルに替わったトマーナがどう言う歌声を聴かせてくれるのか…。ドイツ!を感じさせて下さった今までのカントル。
バッハが明るくなるのかな?なんて思ったりして。
正直、私にとっては、合唱団としては、ロッチュさんとビラーさん時代のトマーナが身近なのですが、歌声は代々のカントルの素晴らしさにバッハ作品の虜になり、自分もバッハを歌いたいなんて大それた事を考えて、地元のバッハをメインに取り組んでいる合唱団に在籍。在籍中にトマーナと共に来日したソリストさん達とビラーさんの指揮で歌う機会を得たり、トマーナだった青年が団に加わって下さったり、ビラーさんや元トマーナの方々が合唱団のドイツ演奏旅行を共に計画してくださったりと至福なバッハ生活を送る事が出来ました。
私にとって、ウィーン少年合唱団とトマーナそしてポズナニナイチンゲールは合唱団ファン生活において、需要な存在です。
Ponkoさんとはウィーンやポズナニのお話や生活全般の楽しい話をさせていただき、また、こうしてPonkoさんのブロ友さんとお話させていただける至福な時を感謝しています。ヤマチャンさん、これからも私の勝手な話しにお付き合いください。
Ponko様
こうして私の活きるエネルギー蓄積のための源になってくださる場所をありがとうございます。昨夜はスコラのAdvent聖歌を聴いて過ごしました。そして、モンテヴェルディの聖母マリアの夕べの祈りのDVDを観て、ヴォルフガングさんやライニーさんのスコラでの歌う姿にうっとりしていました。そしたら、ある友が、「あら、その聖歌隊の歌声を聴いて癒やされるのなら、映画天使と悪魔は観なかったの?」なんて言われてしまいました。😅😅😅。
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kind-0045.gif von 123gif.de💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでどうぞお気を悪くなさいませんように。それでもコメントをくださる方には心から感謝したします。​





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