2023年3月23日 木曜日
北側の寒い部屋にあるコンピューターと頭をつきあわせてばかりいたら、おやおや、冬が過ぎて立春になり、また小旅行に出る日が来ていました。 さて、私の以前の「青きドナウブログ」ですが、今年の1月にサービス終了になり、記事は一応保管してあったのですが、そこに載っていた写真が3月になったらすっかり消えていたのです。 こりゃ~、驚きましたよ。ウェブリブログにはがっかりです。 まず消えた写真探しから始めるので、此処への記事の引っ越しはさらに時間を要するってことですね。気が滅入ってしまいます。・・・でも気を取り直しましょう。 2週間ほど前にスノードロップが咲いて、喜び勇んで写真に撮ったのですが、今はもう色褪せてしまっています。 その代わりその下のプーシュキニ―(日本名は不詳)が更に華やかな色で満開になっています。ギョウジャニンニクも小さな芽を出し始めていますよ。(3月30日:この花も終わってしまい今は葉っぱだけです。そして一昨日、雪が降りました。) と言うことで、話は戻り、私のOKも無いのにプップクンが勝手にまた、去年の5月にも行って来たバルト海沿岸の保養地、へーリングスドルフのあの沢山の椅子のホテルに予約を取ってしまいました。でも、北ドイツの3月と5月の違いを比べるのもおもしろいかもね。 毎回ですが、行きはアウトバーンを使わずに、樫の木の並木道の国道96号線です。 この道の先には例の-------フュルステンベルクの街があるのです。 毎回通るこの景色はもうおなじみになっているブロ友さんもいるかもね。 でも、今回は思い切って下車しましたからね。 と言う事で、この建物の裏はこうなっていました。 ひどいもんでしょう? 実はこの建物は以前は水力発電所だったようでした。 いつか博物館として改築されると良いですね。 向こう岸にひっそりと建つ洋館が魅力的。 枝垂れ柳がうっすらと春の緑を見せ始めました。 そう言えば、映画の野ばらで、トニーがうっそうと茂った枝垂れ柳の下でシュヴェスターのマリアからハーモニカを受け取る場面がありましたよね。 私は日本でこんな木を見たことが無かったために、あれ以来、枝垂れ柳は憧れになりました。ゲオルクさんの小さな歌の本の第4章にも「枝垂れ柳」の文字が出てきてワクワク。枝垂れ柳のある庭を想像し、夏にはその枝の暗い影の中でひっそりとドラゴンゲームをしたいなあと思っています。←幸せな平和ボケ さて、木なんかには興味がないプップクンがこの先の車の中で待っているので戻らなくては。------------現実が待ってる、のじゃ。 この動画はこの町のお城ですが流れる曲が好き。 シュヴェート湖の前に建つフュルステンベルク城はようやく修復工事が始まったようです。良かった、良かった。 ここがホテルになるのか建売マンションになるのか来年までの楽しみです。 この緑の平野・・・実は5月には菜の花畑になって一面真っ黄色になるのですよ。 あっ、また新緑の枝垂れ柳がありました。 ブランデンブルク州から出たついでに、ほんのちょっとノイシュトレーリッツに寄って行きます。 まだブログをやっていなかった頃に来た街でした。これは市庁舎広場。 近くには大きな公園があります。 木々についている可愛らしい丸い形はミステルンという寄生植物ですからね。恋人同士に幸せを呼ぶという迷信があって、クリスマスにはこれをドアに飾るところもあります。 この素敵な教会のそばにはお城がありました。 でも、第二次世界大戦の大火で戦後に崩壊したそうです。 残ったのは劇場と、この馬小屋だけですよ、と庭師の叔父さん。 この建物は今ではイベントに使われるそうです。 でもお城はドレスデンのフラウエン教会のように寄付を集めて再建の予定だとか。 ここの庭園にはバロックの白い石の花瓶が飾ってありました。 アウガルテンもバロックなので同じ花瓶かなと思ったら全然違ってた。 そしてここにはプロイセン王のフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妻、ルイーゼ王妃の記念寺があります。 美しいルイーゼ王妃の名前は良く耳にしたことがありましたが・・・・ と言う事でようやくホテルにチェックインです。復活祭が近いので、サロンには座り心地の悪そうな椅子の代わりに金の卵が置いてありました。 私達のお部屋は今回は海側でした。 誰もいないプールでほんの少しの間だけ泳ぐと、サウナのプップクンを残して私は部屋に戻ります。 すると、水平線の彼方に虹が出ていました。 あの向こうにはライ二―さんとekさんがいるんだな、とちょっとしんみり。 両親や35歳で事故に遭った甥も、ポズナンに一緒に行った友人も、そのほかの親戚知人も天国にいるのに、あの虹の橋の向こうには青春の夢だったウィーン少年合唱団に繋がった人しかいないような気がしています。あそこには素直な笑いと喜びがあふれている・・あそこではみんなが軽い体の少年少女に戻って、そよ風が吹き花が咲き乱れる草原で歌いながら跳ねまわっているんだわ。 考えは自由。あ、今ドーパミンが分泌してる・・・・幸せ気分。←実に単純 が、そこに90度のサウナで茹でだこになったプップクンが帰って来ます。 即テレビのニュース----------ロシアがまた市民に向けて爆撃だってさ。 「もう、ロスケは武器を捨ててみんな撤退すべきじゃ!」 「クロアーケンカッケめ、ヒットラーは殺す相手を間違えた!」 とっくに虹も消えていた。 今日の夕食はビールを醸造しているレストランでニシン村のニシンを食べます。 私のお皿には唐揚げのニシンが3枚。プップクンはカレーヴルスト。 もちろん、すべてをとても美味しくいただきました。 私達の座っている席の向こうにはこんな風景があるのでした。 これ、ビールの醸造設備なんですよね。こういうところのビールは私でも美味しいと感じるぐらい「うんめぇ!」のです。でも3口以上飲んだら酔っぱらう。プップクンは軽々と1リットルのジョッキ! ホテルに戻ると去年しないで後悔していたこと、つまりこの動画を撮ることでした。 まさか、今年も此処に来ると思っていなかったので、目的が叶いました。 鏡は想定外。 3月24日 金曜日 今日の朝食。 今日はね、自転車を借りてニシン村からすぐ隣のアーレンスドルフまで行きます。 お天気もまぁ、そんなに悪くもなさそう。 その前に、首が痛くてどうにも困ったので薬屋さんがどこにあるのか聞くために観光インフォメーションを訪ねました。 ついでにそこに置いてあった椅子に座ったら、ホテルのどの椅子よりも座り心地が良くて立てなくなった。 ここに特産のSanddorn:ザンドルンと言うすっぱい実の飴の試食が置いてあったので、一つ口に入れたら案外美味しかったので買うことにしました。 ふたつで5,40ユーロでしたが5ユーロのお札が無くて、10ユーロのお札を出して残りの40セントを払いましたが、レジのお兄さんがまだ待っているので、おつりは?と聞いたら、「あなたはコインを出した時にお札をまたお財布にしまったのですよ」と言われて、慌てて財布の中を見たらホントだった! これってアルツハイマーの始まりかいな。自分でも可笑しくて建物の表にでるまで大笑いが止まらなかった。 これは昨夜のニシンを食べたレストラン。 でも今夜はホテルでメニューをいただきます‥‥楽しみ。 車では入れない自転車専用の道は快適で、動画に撮れないのが残念。 自転車をこいでいたら上着を脱ぐくらい暑くなるのです。 素敵な宿が次々と現れるので止まってばかり。 でもね、このようなプロイセンの洋館は何とベルリン郊外にもあるのですよ。 いつの間にかもう、アーレンスドルフに来ていました。 この先はポーランドです。 なんと、近くには落ちぶれた東独時代の劇場がありました。 この絵は最近描かれたものだと思うけれど・・・。 プロムナードにはずっとこんな拳状の枝の木が続いていて、樹齢を考えると東西ドイツが統一されるずっと前からここに立っていたのだと思います。 何の木なのかしら・・・・葉っぱが出ればわかるかも。 何にしろ、葉っぱが無い時のこの種の木の形が大好きで、気になってしかたない。 ちなみに、アウガルテンの冬の写真で気がついたのですが、そこにも似たように剪定してある木があります。 これもやはり葉っぱを見ないと何の木かわかりません。 あれれっ、そう言えばいつの間にアウガルテン宮殿ってこんなに白くなった? ま、いいでしょう。時代と共にすべてが変わるものです。 さぁ、此処からこのままポーランドに行って、コーヒーを飲みましょう。 10分ほどで国境に着きました。 国境から少し進んだ所でかつての保養地に着きました。 昔はここの海水浴場もプロイセンの領地だったのですね。 ドイツ名はスヴィーネミュンデす。 ポーランド語はちょっと読めませんが、英語も書いてある。 昔のポーランドを想像していたのでモダンで開けている保養地にちょっとびっくり。 これじゃ、国の差なんてわからないな。 街中に行けばいろいろ出てくると思いますが、私達はここで少し休んでまたホテルに戻ります。 私は焼きリンゴのコンポートとアイスクリームの乗ったモチモチのワッフルとコーヒー、プップクンは国産のチェスキービール。 お天気がすっかり良くなり、帰りはこぶこぶ並木を楽しみながらです。 ホテルに戻ったら、お誕生カードとシャンペンがプレゼントされていました。 去年のプップクンのお誕生日にもホテルからのサービスがあったのですよ。 お酒は飲めないけれどこれはやっぱり嬉しいです。 そして夕食はここ。 私は北ドイツに来るともちろんザンドロンの暖かいジュースを頼みます。美味しくてお腹に溜まる飲み物ですよ。 一度この木を見つけてその実を食べたことがあったけれど、すっぱすぎてびっくり。 この実は北のレモンと呼ばれています。 さて、オードブルが来ました。 これは燻製のサバ、赤いペッパー、わさびクリーム、Friséeと言うエンダイブの仲間のサラダ、色付けに人参、無色のドレッシング。 メインもお魚を頼みましたが名前は忘れました。デザートはチーズケーキで、これが結構お腹に重いのです。で、半分はプップクンに。 私には十分でしたが、私の3倍は食べるプップクンには絶対に少なすぎ。だから彼は高いわりに見栄えばかり良くて量が少ない高級レストランには行かないのです。 コロナでずっと家にいたせいか、食べに行くよりも家での食事の方が気が楽です。 さて、翌日はもちろんポーランドの国境にあるガソリンスタンドとマーケットでいっぱい買い物をして戻ってきました。 ベルリンでは見たことが無い味の素のカップラーメンがあったので買ってきました。 ポーランドからドイツに入ったそのとたん、来た時からこの州で目に付いていた沢山のこのマーク。 この色を見る度に、北ドイツはロシア派がのさばっているのかと、プップクンと大いに憤慨していました。黒マジックでナチスの卍を書き入れる!とか、帰ったら早速街の組合に文句を送る!などと勇んでいましたが、調べたらこれはメックレンブルクフォアポメルン州の旗の色だったのでした。 ロシアの旗とは青と白が反対だった! 二人ともドジでしたねぇ。 私達が帰る日には枝垂れ柳の緑が少し濃くなっていたようです。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでどうぞお気を悪くなさいませんように。それでもコメントをくださる方には心から感謝したします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[バルト海に面するメクレンブルク=フォァポンメルン州へ] カテゴリの最新記事
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