カテゴリ:1960年代のウィーン少年合唱団
先ずこれを書き始める前に1960年代のウィーン少年合唱団の「山への別れ」の歌を聞かせてくだされ。 こんな声とRの発音が正に映画「青きドナウ」時代の天使の歌声を想い起すのですよ。このような歌声に出会えたのは正に青春時代の素晴らしい宝でした。 ところでゲオルクさんの本「小さな歌」の素敵な22章「初めてのコンサート」でこの歌が千人の観客を前にしたトニー・リュトゲン君のソロのデビュー曲だったと分かりました。 ここに載せた歌は私がレコードで持っていて、ひょっとしたら、と思いゲオルクさんに早速聞いてみました。ウキウキして答えを待っていると「僕の印象では彼の歌声ではない様な気がしますね」と返って来ました。がっかりです。 「けれど時代は合っているしトニーは62年まで団員だったので、まず彼に聞いてみましょう」とご親切な応対です。 既にもう時間も遅かったのでお休みを言ってPCを消してしまいましたが、翌日にゲオルクさんからのお返事を見るとトニーさんから「僕じゃないよ、残念だけど」と知らせてきたそうでした。どこの隊のソリストなのか二人とも見当がつかないと言う事です。確かにきよしこの夜とこの曲をよーく聞き比べてみると、トニー君の歌声の方が少し明るいかもしれません。 それにしても亡くなったライニーさんと言い、ゲオルクさんと言い、今でも自分の仲間の歌声が聞き分けられるのに感嘆符が付いちゃいます。 さてと、このように昔のレコードにはソリストの名前がありませんでしたが、ウィーン少年合唱団の525周年記念で公開されたアルバムではソリストの名前を懸命に調べてくれたみたいですね。その努力に拍手です。 しかしこのボックスで、トニー君はランク隊のソリストの名前が幾つかの曲に付いていない事を発見し、合唱団にクレームを付けたそうな。それには更に拍手です。 例えばCD13。このレコード(←クリック)を持っているオールドはこれが3度目の来日組のランク隊だと知っていると思いますが、ソリストが「無名」のブラームスのRegina coeli(レジーナ・チェリ)はトニー君もソロを歌っているそうです。CD2には69年来日組のココのアルトソロが入っています。ココは何を歌ったのか覚えていないくせに、その録音の事ははっきり覚えていますって。今は私と同じ養老年金受給者になったココですが、息子さんもウィーン少年合唱団員でした。それにそのCDのヴォルグガング・ノヴァーク君の歌声が(←クリック)こんなに奇麗なのです。 もうレコードなど聞かなくなっているこの頃、やはりこの525周年記念ボックスが欲しくなってアマゾンで注文してしまいました。 いや、しかし、何でまたこんなことになってしまったのじゃ~・・・ 実は先日、テレビでPANと言う題の映画が放映されましたが見ていたら、主人公の少年が私の思春期時代の最愛の映画の「青きドナウ」のファーディーにどことなく似ていると思いましてね。そのファーディのドイツ語の吹替がゲオルクさんのランク隊のトニー君だったなんて、あらまぁ。 調べたらこのPANは2015年に上映されていて「PAN~ネバーラント~夢のはじまり」と言う日本語の題でした。 何でもこの映画の上映された年はこの子が世界一の美少年になっていたそうです。う~ん、確かに当時、青きドナウの画面の中のファーディーにはちょっとときめいていましたが、まず最初は主人公のペーターで、次はトニー、その次はファーディーで、その次は俳優ではないヨセフ・アイスラ―君(右端)だった。 ヨセフ・アイスラ―と言う本物の団員の名前を知ったきっかけは亡くなったライニーさんでした。私が青きドナウの話題を出した時に、俳優ではなくて本物の団員を好きになった話をすると「一体誰なんだね。君が夢中になった少年を知りたいね」と突っ込んできたのでこの写真を送ったのです。 するとすぐに「彼はランク隊のヨセフ・アイスラ―だよ」と教えてくれました。 後に彼は指揮者になっていましたね。 もうときめかないから大丈夫。あははは。 ところでハイドンコアは演奏旅行で1900年代を思わせる舞台姿をしておりまするぞ。 前にも書いたけれど、ジミー先生はゲオルクさんの「小さな歌」を読んだのかな? だって、ランク隊の後輩たちは後にハイドンコアになるのですものね。 私はその本を読んでからますますウィーン少年合唱団の当時の姿に憧れを抱いています。 グロスマン教授の指揮するヒンタービヒルでの日曜日のミサのコンサート。64年来日組の顔が判るかな? 中学生の時に何度も聞き返しては遠いウィーンに、あの美しい少年達に幸せな思いを馳せていたこの歌声。 この古い写真はトイバー指揮者だけれど、この合唱はグロスマン教授が指揮をしていたのですね。この歌声はさすが!!です。 私の初めてのペンフレンドのナイダー隊のうさぎちゃんもフロシャウワー隊のハラルドもこのチロルの山荘を経験しないで正団員になりました。 けれど映画「野ばら」を見たオールドファンや、1963年までの団員達にはここはそれはそれは懐かしい少年時代の思い出の場所になっているに違いありません。 そして、私も買いました。 全ての世代のウィーン少年合唱団を聞くのです。 まだ2月なのに表ではもうエリカの花が咲き始めました。 咲き誇るエリカは非常に象徴的であり、ウィーン少年合唱団が今後も花を咲かせ、繁栄し続けるという希望を与えてくれます。-----とゲオルクさんがこの写真に言葉を添えてくださいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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