(初公開2014年3月24日--再編集2024年3月) 2024年3月22日金曜日---10年前の日記をここに持って来ました。 2014年3月24日 偶然とは言うものの、丁度この日に昔、私の人生を変えた『少年達の歌う"美しく青きドナウ"の歌声 』に出っ喰わすとはねぇ・・去年(2023年)の誕生日は 『100年振りの寒い三月』 でしたが、 今年の誕生日だってなんだかあんまり。 う~ん、去年の様に大して嬉しいお天気じゃないんだなぁ。 プッ夫クンはどうしてこうやってお天気の良くない時ばかりを選ぶんだろうなァ---(ぼやき)---- ん?-----あ、そうか、-----私の誕生日だから、他の日に選びようがないんだ。 別に誕生日だからって、天気の良くない日に無理やり出掛ける事なんてないんだよね----(ぼやき)----と、ブツブツ言いながら出発です。 目的地は私の住むブランデンブルク州の北の、メックレンブルク=フォアポンメルン州なんて言う、ものすごく長い名前の所で、そこにある湖や古城の沢山ある静養地です。 キッテンドルフという村で、良い景色を見ながら車で走ると2時間もかかりません。 今年は去年の誕生日に泊まったグロースプラステンからの帰り際に見つけた、この小さな素敵な古城ホテルの2泊3日のパッケージを予約しました。 何だかブツクサ言っているうちに着いてしまいましたが、お天気も良くなっています。 高級自動車の並ぶ入り口から中に入ると、受付のある接客室は-------。 まるでイギリスのテューダ―王朝時代にいるみたいです。 装飾が施された暖炉の横には誰かが描いた秋の絵が飾ってあります。 1989年に東ドイツの壁が開くまでは、共産党に使われていたこの建物はたいして手入れもされず、かなり荒れ果てていたみたいなんですよね。 此処も以前は地主の荘園でした。 ここいらには何だか、あちこちに大地主がいたらしくて、似たようなお城が沢山放置されています。壁の崩壊後、西ドイツの事業家に買い取られてホテルとして一般公開されたのはようやく1995年になってからだとか。 私たちの部屋の鍵は( 鍵ですからね、カードじゃなくて)受付の洒落たアンティークのテーブルの上に用意されてあります。 何だか少し浮き浮きした気分になって、鍵を手にするとそれをちゃらちゃらと手の中で鳴らしながら部屋に向かいました。 隠れて見えませんが、途中で通るこのサロンでは、大人しそうな黄色いラブラドールを足元に控えた上品な老夫婦がのんびりとコーヒーを飲んでいましたよ。 この廊下の突き当たりの左の翼に私たちの部屋があるのです。 スタンダードだけれど、どんなお部屋なんだろう・・・、と期待してしまいます。 カチャッと鍵を開けて中に入ると・・・・オゥ、結構広いじゃんかぁ~ この明るくて素敵なお部屋は一階の西側に面していました。 翼の廊下に通じるドアは、アウガルテン宮殿の部屋の様に2重の扉になっています。 ホヤァ~、それに気が付いたら何だか益々浮き浮きして来ました。 そして、まだ近代化されていない、昔のままの2重窓ですよ。でも、これだっていつかはモダンなアルミの真空窓に替えられてしまうのでしょうね。 ちなみに私の家の窓がみんなそうで、窓を閉めると外の音も殆ど入って来ません。 う~ん、この部屋のお風呂場は浴槽の代わりにシャワーが付いていました。今晩は寝る前にゆっくり暖かいお風呂に浸かるつもりだったのに、がっかり。 でも、清潔な白いバスローブやスリッパが (でも私にはいつも大き過ぎてダブダブ)用意されてありますから、お茶の後で夕食の時間になるまでサウナに行って来ます。 今日はこれから何かもっといい事に巡り合うような気がして来ます。 朝食は此処で取りますが、まず私たちはピアノの横の席でコーヒーを。シーズンオフで、まだお客がまばらだったので、まるでこの広間を借り切ったような贅沢な気分 キェ~ィ・・・・・・ど~しよう、こんな雰囲気に呑み込まれてしまったら、もうプッ夫クンの好きなマクドナルドには行けなくなってしまうぞ~。 さて、私たちが注文したのは美味しそうな森のベリーのケーキです。 この大きなケーキがセットで7ユーロもしないのでした(ドイツでは普通ですけど・・・) この後はセットになっていたバラの香りのバスを楽しんでから私は写真にある左の青い光の中で蒸気風呂。 その後はこの居心地の良い安息室でいつの間にがぐっすり眠ってしまっていました。 さて、夕食・・・・・・・ パッケージになっているから何が出るか判らないのが楽しみです。 何が出てもきっとまずいものはないでしょう。 安い団体旅行には必ずと言っていいほど焼いた鳥モモの料理が出ます。 さて、まず出たのは興味あるオードブルでした。 白とオレンジのレンズ豆が主体のトマトときゅうりとズッキーニのサラダ。 酸味が快く効いた白バルサミコで味付けがしてありますが、周りに垂らされた飾りの熟れた黒バルサミコソースには舌づつみを打ってしまいましたよ~。次は・・・「ざりがに」の入ったポワロのチーズスープ・・・ギョギョ、ですよね。 ざりがになんて、昔は近くに田んぼがあった頃はよく取って遊んだものですけれどね。ドイツではスウェーデンから冷凍輸入されて、高級食品になっています。 昔、弟と一緒に取って来たザリガニを父が勝手に茹でて食べてしまった後で、トキソプラズマのニュースが話題になった事がありました。両親ともパニック状態になっていましたけれど、別に何んともなかったんだなぁ。 メインはローズマリーポテトとキノコソース付きの焼いた豚フィレ。 このお肉がまた大きくて、小癪なくらい上手に柔らかく焼けてあったのです。う~ん、真似したいけれど、ここまで上手く出来たためしがないんですよね。 写真が無く、ウェブリがサービスをやめてしまった時点で写真も消えてしまいました。当時の写真が入っているPCはとっくに壊れてしまっています。これらの写真は酷似のものをネットで探し出しました。隣のテーブルに座っていたふた組のお年寄りのカップルと、何気なく言葉を交わしている間に最後のデザートが運ばれて来ました。 バニラソースが添えられた暖かいチョコレートケーキです。 こんなに美味しい夕食の後では気分が乗って、隣に座っていたアウグスブルクからのご老人達とサロンに座っておしゃべりが始まりました。 バイエルンのアウグスブルグ人形劇場は全国的にも有名だとの話から始まって、私がドイツに来た理由やら、話は尽きる事無く流れ、ついにキタァ~ 去年聞いた素晴らしいベルリン大聖堂での合唱の話題から、アウグスブルグ大聖堂に移って、そこの少年合唱団が1992年に日本に初来日していたと言う話です。 私が聖歌隊のコーラスが好きだと知ると、あの平べったい、インターネットまで見られる携帯(無知ですみません)で、YoTubeのある動画を見せてくれました。 それを見たとたん ハッピーバースディーのメロディーが 、---いえ、曲は違っても、それを見ているうちに心が高揚して来て、ついには私の誕生日のドッキドキのクライマックスになりました。 2014年2月7日にドレスデンの劇場前広場で行われた舞踏会の開会式(←クリック)でアウグスブルクの団員達が歌ったのです。 ワルツに酔うドレスデンの観衆に混じって、スウェーデンのシルビア王妃のお顔も見えますし、このあと団員達は王妃の為に「ダンシングクイーン」も歌いました。 ドレスデンでなら、なぜにクロイツィアーナァ(ドレスデン聖十字架少年合唱団員)に歌わせなんだ・・・と思ったのですが、まぁ、それはそこそこの理由があるんでしょうね。 アウグスブルグ大聖堂少年合唱団のこの3人は、こんなソプラノを、驚くほどの正しい音階で、何と楽々と歌いこなしているのでしょう。 全く思いがけなく、私の大好きなこの 『 美しき青きドナウ』 (←クリック)を聞いて、もう最高な気分でその日の幕は閉じられました。 2024年3月22日 もう10年も前に聞いた少年達ですから今更大騒ぎすることもないのですが、私は当時直ぐに彼らのCDを買いました。そして何時ものことながらYouTubeでばかり歌声を聴いて、CDは殆ど仕舞ったままです。 さて、今更ながら、ともう一度申しますが、この3人の内の1人は背がひょろりと一段と高く、綺麗な第一アルトの歌声をしていて名前が何とゲオルクと言うのです。さっきそれを知った途端、ずっとゲオルクさんの本を読んでいた為か、体格も名前も年齢も本の中のシュールリ(当時のゲオルクさんの愛称)に一致して、そこでまたテンションが上がりました。 誕生日記念の小旅行 2014年3月25日 昨日は浮き浮きと一人で盛り上がって、自己満足な誕生日を過ごしました。目が覚めたとたん、早く家に帰ってもう一度あの動画を見たくなっています。注:2024年3月22日‐‐‐‐‐この時はまだタブレットを持っていませんでしたから、すべてが家に戻ってからの楽しみでした。 今日はこの近くの街々を見学しますが、昨日の「美しく青きドナウ」の歌声で、明日帰宅してからのPCを付ける楽しみが頭の中であっちの隅やこっちの隅で場所を陣取っています。 このホテルでの朝食は、バックグラウンドの音楽も、パンもジュースも香りの良いコーヒーも、3種類のママレードも、ハムもチーズも周りがパリパリの玉子焼きも清潔でゆったりした食堂の雰囲気も、100%満足でこれ以上の望みはありません。 でも、今日のお天気はどうなっているんでしょう。 窓から見える庭園にはいま、しだれ柳が芽を吹き出したばかりで、あの華やかな緑の春はまだ影を潜めていますが、それでもドライブ日和になっています。 近くの町探検の途中で東ドイツ時代のパトカーや消防自動車が置いてある販売店がありました。今はもう世間から消えてしまった車達です。 私たちが西ドイツへ遊びに行く時、東ドイツ内のアウトバーンの脇道には、よくこのパトカーがぬけぬけと停まっていて、我々のような善良な市民の行動をしっかりと監視していましたっけ。懐かしくって、プッ夫クンを車に残したまま、一人で湯気を立てて興奮しながら写真を撮っていたので、中の事務所から小柄な壮年の男性が二人、私に声を掛けながら出て来て、親切にも展示場に招き入れてくれました。 そして、私が近くのキッテンドルフの古城ホテルの客だと知ると、鍵の閉まっていたパトカーのドアを開けてくれて、わざわざハンドルを握っている写真まで撮ってくれました。 多分、旧東ドイツのこんな小さな町には、こうしたDDR(ドイツ民主共和国)時代の名残りが、まだひっそりと影を潜めているのかもしれないなぁ、と消えてしまった東ドイツへのノスタルジーが日増しに大きくなるようです。(なくなって良かったはずなのにね) さて、この二人のオジサンは外人である私に、失業者などなかった壁が開く前の旧東ドイツ時代の方がずっと良かったと、口をそろえて言いました。 「あれぇ~、今のドイツの制度に満足していないのですかぃ?」 すると二人は待ってましたとばかり話し出しました。 「私たちはね、旅行で泳ぐ為にエーゲ海やカリブ海なんかには行けなかったよ。でも、バルト海にはいつでも行って泳げたからね。」 「今は世界のどこにでも行けるようになったけれど、今度は行く金が無いからやっぱりバルト海にしか行けないよ。それに、バルト海以外に行きたいとも思わないしね、わっはっは。」 「物が無い時代はみんなで助け合ってたんだ。今は金が無いとお手上げさ。こんなとこで商売していても600ユーロしか入って来ない。持っている貸家から600ユーロ入ってくるけれど、両方合わせたって外国旅行なんか出来る余裕は当然無いね。」 きゃっ、したくもないインタビューみたいになっちゃったじゃないですか。他にも色々お話を聞きたかったけれど、痺れを切らしたプッ夫クンが迎えに来てしまったので、丁寧にお礼を言って東ドイツのノスタルジーにお別れをしました。プッ夫クンは 西の制度に文句を言う元東独の人に反感を持っておりまする。 さてこれからマルヒンと言う街を見学して戻ります。 この絵ハガキに写っているものしか見るところはありませんでしたが、現代の市庁舎の二階にあるトイレが清潔で綺麗でした。 帰り際に大した時間も掛けずに次に出逢ったのはハイデルベルクのお城の様なダルグンという城跡でした。 第二次世界大戦でソ連の赤軍にすっかり焼かれてしまった城跡であり、修道院跡でもあります。シーンと静まり返った辺りにはただ鳥の鳴き声があるばかり。 この廃墟のせいでまたノスタルジアにすっかり酔いしれて・・・だって、ベルリンの王ですら、自分の庭園にワザワザ廃墟なるものを建てさせたんですからね。 廃墟って、過ぎ去った時の息吹を思って、何となくロマンを感じません? ? はい、きょ~は廃墟は此処でおしまい。 壁が開いて25年も経っているからか、広大な田園に囲まれた旧東独の古い街には、人の住まなくなったこんな廃墟がどうしても目に付きます。 夕食はホテル近くのドイツ料理店に決めました。「華やかな店もないし、車にもお目に掛からないし、まるで町が全滅したみたいだな。こんな所には絶対に住みつきたくないね~。」と無責任な事を言いながら車を走らせているプッ夫クンでした。 野生の料理のメニューがあって、それがあんまり安いので 今日の夕食は即此処に決めたのです。中に入ってみるとなかなか洒落た内装で、壁には野鹿の角が飾ってあります。は~、嬉しいな、かなりひどかった東も段々と西並に綺麗になりつつありますな~。 私たちが注文したのは、その野鹿のステーキですが、大衆宿の料理に似つかわしく、飾り気も無くドサッと乗っている感じ。 えへへ、何だか私がプッ夫クンのお皿に盛って出す料理みたいですよ~。 けれどね、野鹿なんて、自分で料理した事無かったし、為しに食べただけです。美味しかったけれど、特別びっくりする味でもなかったのでこれが最後かな。 一人でも可愛い鹿ちゃんを食べる人が減れば良いし(←ただの自己満足です) ホテルにはこんな素敵なサロンもあるのですよ。 でも私達が行った時は丁度改装中でした。 さあ、夏になって、辺りが緑になった頃、此処にまたコーヒーしに来ますからね。 2024年3月22日 実はこのホテルが気に入って同年の8月にも泊って来ました。その時はピクニックパッケージが付いていて、自転車で近くの湖まで泳ぎに行ってきました。2年間と決めて立ち上げたブログで今は手を付けていませんが、その時に書いたブログ(←クリック)がこちらです。
さて、10年前にはキッテンドルフに行きましたが、今年は此処です。 芝生に座っているのは4歳のプップクンです。 誕生日にどこに行きたいかと聞かれ、ブラウンシュワイクと答えたら反対されてここになりました。 帰ってきたら報告します。 何かまた嬉しい事があるような気がしてなりません。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでどうぞお気を悪くなさいませんように。それでもコメントをくださる方には心から感謝したします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[バルト海に面するメクレンブルク=フォァポンメルン州へ] カテゴリの最新記事
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