Eat, Pray, Love
いよいよ産休も今週で終わり。娘が保育園に行っている日中、自由時間ができたので、久しぶりにひとりで映画を観に行ってきました。観たのは、ジュリア・ロバーツ主演のEat, Pray, Love。邦題は、食べて、祈って、恋をして、だそうです。これから観る方も多いと思うので、細かく内容は書きませんが、離婚を経た一人の女性が、イタリア、インド、インドネシアを旅しながら、自分とは何かを探るお話。ジュリア・ロバーツって、プリティ・ウーマンやノッティング・ヒルの印象が強くて、恋愛物の女王、という位置づけが私の中であるのですが、今回の映画は「恋愛対象の女性」よりも「ひとりの女性」としてのジュリア・ロバーツ像がかわいかった。NY、イタリア、インド、バリっていうロケーションごとで変わる、ジュリア・ロバーツのファッションもとても素敵です。とくにイタリアのナポリのときのジュリア・ロバーツの洋服が良かったなー。そんな感じで、ファッションやジュリアを観ているだけで十分楽しめる映画なのですが、肝心のストーリーの点で言うと、あぁ、人生でこういう地点に差し掛かるのって、やっぱり私だけじゃないのね、というのが正直な感想。ジュリア・ロバーツ演じるリズが、旦那とのかみ合わない会話にうんざりしている表情、子供のように夢を持ち続ける旦那との結婚に疑問を感じる瞬間、大事な人がこんなに側に居るのに、どうしようもなく孤独を感じる夜、自分が透明人間になったみたいで、自分って、何なのか分からなくなる瞬間。誰にでもあることなのかもしれないけど、だからこそ、映画みたいな大衆文化の形で、ジュリア・ロバーツみたいな有名どころに堂々と「ほら、私こんな不安があるのよ」と言ってもらえると、あー、私だけじゃないんだ、とちょっとほっとしました。(単純!)ちょっとここから長くなるので、目が疲れた人はスルーしてくださいね。今、結婚して、子供が居て、戻るべき職場がある私。大きな病気もなく、健康で、友人に恵まれ、子育て、ジョギング、美術館めぐりにおいしいもの食べ歩き、と、好きな人と、好きなことを好きなだけ楽しんでいる私の人生。文句なし。文句なし、なんだけど、こんなに自由で楽しい人生をおくれていることに慣れてしまって、そのありがたさを忘れがちなのも、確か。自分の使っているオフロはとっても快適で気持ちいいものなんだけど、ついつい、汚れ探しをしてしまう。とくに、産休に入っていたこの7ヶ月間、考える時間が、ありすぎた。初めての出産、育児、仕事から離れること。娘は目に入れても痛くないほど可愛くて、娘や育児に対して否定的な感情は全く浮かばないんだけど、育児をする自分の周りの環境に対して、厳しい目を向けてしまった。例えば、自分の家族に対して。娘に会いにはるばる日本からメルボルンへ来てくれた、私の家族。娘の誕生を喜んでくれる家族に、心から感謝をするのが筋なのだろうけど、余裕がなかった私は、アドバイスをしてくれる家族が私に指図をしているように感じられて、のぶおちゃんと私が築きあげた「私の家庭」に対して、「あなた達の家庭」のルールを押し付けないで欲しい、と強く言ったことがあった。自分に、気持ちの余裕がなかった。だから、受け入れる器が小さくなっていたんだと思う。それから、のぶおちゃんに対しても。4週間の育児休暇を取って、夜はお風呂のお手伝いをして、週末は娘のオムツを替え、歌を歌い、抱っこをして娘をあやすのぶおちゃん。いくら男性の育児参加率が高いオーストラリアでも、ここまで積極的に育児をする男性は尊敬に値すると思う。でも、母親になって本能的に守りに入った私から見ると、のぶおちゃんの育児は、足りない点が沢山あるように見えてしまった。娘のオムツ替えのときの要領や、離乳食の献立作り、機嫌に併せたあやし方、どれをとっても、のぶおちゃんのやり方に不満を感じた私。感じた不満は、のぶおちゃんへの感心の激減、という形で表してしまった。娘が可愛くて、可愛くて、私の人生は娘を育て上げることで精一杯。なので、これまで私が注いでいた愛情のベクトルは、のぶおちゃんから、娘へ大転換。これまで私の人生のアイドルだったのぶおちゃんは、この7ヶ月で、え、誰だっけ、あなた?という立場へ、ランキング、急降下。正直、この7ヶ月、のぶおちゃんに対して酷な接し方をしてきたと思う。なので、この7ヶ月、今までにないぐらい、ぶつかって、喧嘩をして、言い合った。完璧な育児をして、完璧な家族を築きたかった私は、自分の至らなさを棚に上げ、のぶおちゃんの父親として、パートナーとしてのありかたにダメ出しをして、自分が空想の中で描いていた「理想の父親・パートナー像」と違うのぶおちゃんに幻滅して、「離婚」という言葉が頭に浮かぶことが何度もあった。出産前に抱いていた、のぶおちゃんへの熱い思いを持てなくなったこと、そんな自分に幻滅していること、のぶおちゃんの歩く道と、自分が歩く道が一緒の方向に進んでいないように感じられることを、さものぶおちゃんの責任であるように、のぶおちゃんに打ち明けた。そんなことされて、のぶおちゃん、大迷惑であったろうに。何でこんなにとげとげした心理状態だったんだろう、と今なら思えるけど、今、客観的に考えて言えるのは、完璧を目指しすぎたからなんだと思う。私を含めて、ジェネレーションXの人って、欲しいものがいつでも手に入って、不自由のない子供時代を送って、十分な教育を受けて、好きなキャリアに進めて、自分しだいで、好きな方向に人生が向けられると思ってきた人が多いんじゃないかなー。裏を返せば、自分の思う方向に、周りも向けたくなってしまう傾向がある。「コントロール・フリーク」私の人生、私が思うようにするから、あなたは口を出さないで。私のやり方通り出来ないなら、あなたは、いらない。そんな気持ちが、私の中にあったんだと思う。そのことに、うすうす気づいていた、私。これじゃー、いけない、と思っていた私。じゃあ、どうしたいの?どんな自分でいたいの?自分って、何?そんなこと、考えないで楽に毎日過ごせばいいのに、考える時間がありすぎた産休期間。その産休が終わる今、こうして映画を通して、自分って、何?っていうのを考えさせられた。自分って、何なのか。よくわからないけど、洋服も、家も、本も、家族も、友人も、全部自分から剥ぎ取られたとき、自分にとって何が大事か、自分がどうありたいか、っていうことなんじゃないかなーと思う。20代までの私だったら、洋服や持ち物のうわべが大事で、それを通して表現した自分が自分らしさだと思っていた。でも今思うのは、自分にとって一番大事なのは、のぶおちゃんと、のぶおちゃんともうけた娘という家族。洋服や靴は足りないならいつでも買うことが出来るし、いらなくなったら捨てることが出来るけど、家族という関係は、簡単に買うことが出来ないし、一度放り出したら、おしまい。だから、大事に、大事に、壊れないように、育んでいくもの。そして、育んだ家族に対して、正しい人であることが、私らしさ、なんじゃないかなー。家族には、嘘をつかない。家族には、ええかっこしぃをしない。家族には、尊敬の念を捨てない。小さい赤ちゃんを育てていると、赤ちゃん中心の生活になって、眠る時間は減るし、思ってもいない時間に思ってもいないことが起こるし、予定通りの行動はなかなかできないし、自分の身づくろいもなかなかできないし、母乳をしていると母乳と一緒に「自分」が吸い取られていくようで、体力的にもしんどい。自分が、透明人間になってしまって、自分を見失ってしまいそうになる。考える時間のあった7ヶ月間で、否定的なことも沢山考えたけど、産休の終わりかけの今、こうして、自分がどうありたいか、と考えることができて、良かったと思っています。Eat, Pray, Love。自分探しのために、観てみる価値、ありかも。