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カテゴリ:memories
日本では、お盆の帰省ラッシュが始まったそうだ。
今年は、祖父と祖父が亡くなる数日前になくなった叔父の 初盆である。 私が子供の頃、我が家の夏はとっても賑やかだった。 8月になるとすぐに夏祭り。 その夏祭りには、古くから伝わる山車が出されるのだが、 それに乗ることができるのは、とある町内の若旦那衆だけ。 我が家もその町内で商売をしており、長男である父も 毎年参加していた。 6月からだったか、7月からだったかは覚えていないが、 「今晩は○○屋で」というふうに、1日の商いを終えた後、 何処かの家に集まって練習があった。 練習が行われる家の女性は大忙しだった。 夕食の片付けを済ませると同時に、お座敷の準備、飲み物や 食べ物の準備に追われた。 そうこうしていると、浴衣姿の若旦那衆が、三味線や尺八を 片手に集まってきた。 父はほら貝と独唱担当。 私は、お風呂上りにちょっとだけ冷たいカルピスを飲んで、 部屋に行き、窓から首を出して、中庭を挟んだお座敷の 様子を眺めていたものだった。 夜風、蚊取り線香の香、三味線や尺八の音色、父の声・・・ 夏祭り当日は、店先に大きな樽が並べられ、中には大きく かち割られた氷とビールやジュース類、そしてスイカ。 父の乗った山車がまだかまだかと首を長くして待った。 我が家の前で山車が停まると、祖父母と従業員のおばさん達は、 「ご苦労様ですのぉ」と、山車を引く若者たちや世話役に声を かけながら、飲み物や切り分けたスイカを勧めた。 山車に乗った半裃姿の父は、玉のような汗を流していた。 神社に続く我が家のある通りは、夜遅くまで、人通りが 絶えることがなかった。 夜店、かき氷屋さん、浴衣に豆絞り、花火の煙・・・ 毎年張り切っていた祖父、忙しく切り盛りしていた祖母、 私より若かった父、祖母の手作りの服を着ている私。 時々、タイムスリップしたくなる。 今はもう寂れてしまった町内。 手を合わせに実家を訪れるひとりひとりに、祖父母は嬉しそうに 声をかけているかもしれない。 「ようお越しくださいましたのぉ」と。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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