第一巻「ハリーポッターと賢者の石」。
無理かと思いましたが、読めました
そんな訳で、以下、「読書感想文」風に書きたいと思います。
宿題の参考にはならないと思いますが、こういう感想文の書き方もあると思ってくれたら幸いです。
「です。ます。」調と「だ。である。」調が、入り乱れてるのは、気にしないで下さいね。一応書いてみたけど、文字数は、わからないです。
くれぐれも、真似して書き写そうなんて思わないように!!!
まぁ。。。写す程の仕上がりではないけどね
「ハリーポッターと賢者の石」
私とハリーとの出会いは、一作目の映画の公開前の予告編を見たときでした。
その頃は、まだ、それ程、有名ではなかったが、原作本があることは知っていた。
同僚が何やら、分厚い本を読んでいるので「何を読んでいるの?」と聞くと、「ハリーポッターと賢者の石」との答え。「面白いよ。読んでみる?」って言われたものの、少し覗いて、字ばっかりの内容と、本の分厚さで「無理。よう読まへんわ。」と即答していました。
映画は大好きなので、「ハリーポッターと賢者の石」は、しっかり鑑賞し、「面白い!」と思って、この物語が好きになりました。原作は、気になるものの、まだまだ、読んでみようと思うまでにはいかず、時は過ぎてゆくのでした。
その後も、ハリーとロン。ハーマイオニーたちのホグワーツ魔法学校での物語りは、映画化を続け、その都度、しっかり、鑑賞し、ハリーたちの成長振りに、ワクワク、ドキドキしていました。
そして、映画6作目「ハリーポッターと謎のプリンス」を観て、ようやく、原作を読んでみたくなりました。
あれ程の分厚い本の内容を、3時間弱の映画にするには、無理があると、当初から感じてましたが、今作品を見て、映画に描かれてないハリーたちのエピソードが気になり、それが「ハリーポッターと賢者の石」を読むきっかけになりました。
およそ十年前、「挿絵は無いし、これは無理。」と思って、手にも取らなかったその本は、読み始めると、魅力的な内容もさることながら、様々なフォントの活用で、挿絵は、殆ど無いのに、まるで、飛び出す絵本の様でした。翻訳版では、様々な問題点があるようですが、映画のイメージも手伝って、読みながら思わず「クスッ」と笑い出しそうになる事もあり、家族には不思議がられつつも読み続けました。
そして、魔法界のグリンゴッツ銀行で働くゴブリン(小鬼)の事を、「小鬼(こおに)」と訳されているのを読んだ時、私の頭には、アニメ「おじゃる丸」に出てくる、あの小鬼がチラついていた。もし、私が映画を観ずに、この原作を読んでいたら、西洋の小鬼ゴブリンは想像する事も出来ず、可笑しな世界観で「ハリーポッター」を読む事になっていただろう。
時として、挿絵や映像化されたものは、見ない方が、物語を想像する楽しみがあると、言われる。しかし、その想像力は、自分のこれまでの知識や体験から得られるものなので、全く、知りもしない所から、想像するのは不可能と言うものである。
同じ本を読んでも、受ける印象が人によって違うのは、そういった想像力の差なのだろう。色んな体験や知識のある人は、より面白い「ハリーポッター」を読んでいたりするのだろうと思うが、私は、映画で観た映像と人物の仕草をイメージしながら、読む方が挿絵の無い本の、その情景を想像しやすく、読みやすかった。
今、1冊目「ハリーポッターと賢者の石」を読み終わって、2冊目を読んでいるが、やはり、私の頭の中のハリーたちは、映画のあの3人なのである。