カテゴリ:◆神様・信仰と宗教◆
どのようなお役の方なのでしょうか。神様とはどう違うのでしょうか。 また、仏教における仏様とは相容れないものなのでしょうか。また、 もし並べてお呼するとき、どのようにお呼びすればよいのでしょうか) さにて一度に多くの問いかな。なれば、分けてそれぞれ答えん。 まず一つ、神も仏も、元は一つよ。人の世界の現象にて、事象に示し、 表すときの、表れ方の違いなり。神は一つの大なる意思なり。 そこに幾多の役割を込め、一つ一つを現象として、この世に写す必要あり。 なれば仏も、神の願いを、人に写すための働き。この世に始めに表れて、 神の教えを説きぬれど、人は誤解し、神と隔てて、異なるものと誤解せり。 なれど教えの根本には、互いに同じことを教えし。
仏は人の姿となりて、人の世界に生きて死に、人の化身と考えぬれど、 神のご意志をそのまま説きて、神の世界を広げんとせり。 人の世界に広まりて、仏教となる宗教なれど、教えは変わらず。 人の昇華(しょうげ)と、人の生くべき根本教えし。なれば宗教宗派は誤り。 人の違いや区別を作りて、かえりて争い、いさかいの素。よくよく学ばば 奥にある、教えの真理は普遍ならずや。なれば仏もお役は同じ。 神のご意志を物質として、現象として表して、人の目に見え、耳に聞き、 理解に易き形とせること。
なれど人は過(あやま)ちて、どちらが上でどちらが下かを、飽くこともなく 繰り返す。現象により測りなば、人の尺度は間違いばかり。 普遍の尺度もなきものを。仏の呼び名も、人の世のこと。人が決めなば、 それにてよからん。呼ばれる元の実相は、同じ一つの聖なる神なり。 仏を呼ぶも、神を唱うも、一つに通じ、届きてゆくなり。 仏教信徒、そも可なり。キリスト教徒も同門なり。全ては神につながりて、 正しき道へと通じゆかん。仏の生前ありし時には、仏も神を敬(うやま)いて、 神の存在実在を、人へと伝え、広げしものなり。形は変わり、姿は違えど、 伝えし元は神なれば。人の解釈、理解は変わりて、人の世界に合うように、 人の尺度に合わされしもの。なれば仏を信ずる者は、神を信ずも同一なれど、 信ずる者は気づかぬのみ。宗教宗派に囚わるなかれ。
人の生まれて死ぬまでに、なすべきことは一つのみ。道からはずれ、道に迷い、 混迷多き世にあれば、人はますます混乱せしを。一つの道に戻しなば、 人は迷わず、安らぎを得ん。多くに見えて、惑乱し、正しき道を見失い、 心の苦しみや悩みを増やし、さらに惑(まど)いの底へと落ちなん。 真実なるは一つのみ。なれど現象事象は多岐なり。それぞれの時、所に応じて、 真理は表れ人に示さん。
仏の呼び名にこだわるなかれ。仏を真に信じなば、自ずと神へと通じゆくなり。 神の世界にこだわるなかれ。神の表われ、起こりなば、仏も神も同じこと。 人を差別し、隔てるなかれ。人は神の子、平等なれば。気付き悟りし者のみが、 誠の幸に恵まれん。気づかず悩む哀れなものを、救い導く手伝いをせよ。 そもまた神への縁を深めて、人との絆もさらに強まり、教えの光は早くに広がり、 ますます栄えて豊かならん。さにて本日、教えの奥義を答えしを。教えの奥の 神のご意図を、見抜く目を持ち、養えよ。表面のみに目を奪われ、心を失うことを 恐れよ。さにて、本日、答を終えん。よくよく精進、努力を続けよ。
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最終更新日
2016.11.15 15:28:44
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