神から人へ ◎神の愛と人の愛◎
神から人へ、人から神へ。神の慈愛は巡り巡りて、天(あめ)から大地(つち)へ、大海(わたつみ)へ、自然の織り成す生々流転、神の恵みと溢れたり。神の慈愛は眼に見えぬ、自然の営み、生成化育、全てに込められ、秘められたり。神の慈愛は全てのものを、豊かに富ませ、潤して、留まることなき時の流れに、生まれる命も、亡ぶ命も、等しく神の愛を受け、神の願いに外れるものは、一切なきを伝えたり。神の慈愛を知るは難し。人はこの世の次元にて、神の慈愛を感じる少なし。なれど御魂の奥底に、神の願いは刻まれたれば、神は人の体を使い、心を使いて顕(あら)わしたり。 神の慈愛は、人を通して、人が人を愛する時に、神も共にて愛したり。人への愛は、人のみならず。神も人の愛を介して、神の無限の愛を示さる。人は神の願いを叶える、この世の次元の具象物。森羅万象、全ての事物に、人は神の愛を知るべし。隈なく照らす神の光を、人は心の目で見るべし。神はこの世を愛するために、人を創りて、愛を興(おこ)せり。愛をこの世に実現するには、この世に生き得(う)る命を要す。自然の中に生きる全ては、神の慈愛のそのままなり。なれど、無償の利他愛こそは、神の慈愛をこの世に叶える、最も神に近き愛なり。無償の愛を施せる、輝く御魂よ地に満ちよ。人は一人を愛せばよし。一人を愛することのうちに、人は神から愛を受けむ。人へ与えし利他愛は、神の慈愛の証ならむ。己の内より溢れ出(い)づ、無限の愛は、神の愛。人は己が愛するになし。神の慈愛が己の中に、宿りて初めて、愛するなり。尊き神の慈愛を受ける、清き器を用意せよ。清き器に神の慈愛は、満たされ、溢れて、潤わさむ。一人ひとりが、器となれよ。穢れし器は、清め、磨けよ。清める術(すべ)は言霊ならむ。 神の慈愛は光なり。神の慈愛は曇りなく、受ける器の人を清めて、さらなる高みに昇華を許さむ。この世に命を預かりて、肉体持ちて生れしは、ただひたすらに、神の慈愛を、この世に映す、そのためのみ。己の小さき願望、欲望、その実現に心奪われ、見失いしは、神との約束。神は人を愛するもの。人は神を求めるもの。人の御魂は神の一部、宇宙の一部を成すものなれば、人は御魂の奥底にて、神への回帰を希求せるもの。人の御魂の根源に、神の慈愛を呼び覚ませよ。人の自然は、宇宙と一体。人は宇宙に願うもの。宇宙の願いと一体ならむと。人が愛の心を持つ時、人は神の願いを生きる。人は神に祈るもの。神の御魂に戻らむと。神の次元に昇らむと。人の愛は、この世の次元。物質次元の愛なれど、神の慈愛を実現せしとき、人は尊き導きを得む。神の慈愛に導かれよ。神の慈愛に身を任せよ。心素直に、しなやかに、疑う心を先ずは治めよ。さにて。 神の声を伝える人ひふみともこさん著書 「神から人へ(下)」より抜粋 ひふみともこさんHPhttp://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/