神から人へ ◎相撲について◎
(相撲は神の姿を移し、表四十八手、裏四十八手があり、それは秘文(ひふみ)即ち神道の縮図だそうですが、今からどのように、それを世に具現していくべきなのでしょうか)そもまた浅き人の考え。相撲というは、神に捧げる神への奉納演武ならずや。この世に神の姿を映す、多くの芸術文化の一つ。なれば、この世に顕(あらわ)すことは、神への感謝と帰依(きえ)の心を、神に捧げて納むるものなり。なれど、技(わざ)の一つ一つは、神への感謝を顕すものなれ、この世に具現すというも、演武の内にて顕され、神にも届きて伝わりゆかん。相撲は一つの神事なれば、元の心を大切に。ただの娯楽や勝負にあらねば、神への感謝と祈りをこめて、演ずることが、答えならずや。いずれの芸術、文化も同じ。元には神への感謝と祈り。そこそあれば、神に通じん。さにて神の心を顕し、伝える価値のあるものならずや。人間心の低き関心、欲望満たすためならば、いずれは廃(すた)れ、衰えゆくべし。今世にあるも、多くはさなり。勝ち負け、結果にこだわりて、相手を倒すことのみ重んず。勝ち負け、儲(もう)け、名誉名声。さなる低き次元の空騒ぎなり。なれば、神への感謝も薄れ、心も腐敗し、荒れてゆきなん。神への感謝を捧げる文化。そを残しゆけ。伝えゆけ。他にもあるらん、日本の文化。神への感謝を捧げる芸術。作りし者の、心が高く、尊くあらば、自ずと残らん。