神から人へ ◎天日津久神社の火事について◎
神から人へ、人から神へ。今はこの世の終わりに近づき、次なる世界の到来のため、最後の準備の始めとならん。次なる世のため選ばれし者、次なる次元に残れる者は、ひとたび神への奉仕を誓い、神への献身努力を示せよ。無私の心で、真の思いで、偽りならざる忠心を、裏表無き真正を、神に示してはばかることなく、ためらうことなく働き起こせよ。神の世界の事象現象、一日先に起こりしことを、この世に起こして仕組みを回し、働き起こして、循環動かせ。神世に起こりし過去の世界は、この世に下りて現象化せん。現実となり、現前し、この世に神は降り立ちなんを。さにて本日、問いは何なる。 (天日津久神社のお社が、7月20日、焼かれたそうです。このことは、何か意味があるのでしょうか。お教えください)さても悲しきこの世の衰退。人の心の荒廃は、かくも進みて極まりしか。神の悲しみ、嘆きも深く、神の世界も憂いを深めん。神の嘆きは怒りともなり、必ずこの世に表れ起こらん。天日津久神社の役目は終わり、次なる世界の明けなれど、神社を焼くのは本意ならず。神の宿れるお社(やしろ)に、火をつけたるは許し難し。なれどそも また神の意図なり。苦しき選択、必要悪。神の示さる真の意味は、人の心の戒めと、次なる世界を顕すものなり。人の心の衰えを、怒れる神の御心は、社を焼きて気づかしめ、神の嘆きを伝えんためなり。 (神社が焼かれたことは、神のご意図なのですね)さなり。なれど、悲しき選択、悲しみの果ての決断なるを。焼きたき心にあらざれば、嘆きも深く、悩みも深し。 (なぜ天日津久神社を選ばれたのですか)次なる次元の始まりを告げ、次なる世代の交代ならん。これまで神に仕えし者の、役も終わりて、変わる境目。今世に働き神に仕えし、多くの御霊をいたわりて、次なる世代に移りゆくを、諭(さと)し示すが神意なり。 (では神社を焼かれたことには、二つの意味があるのでしょうか。神の嘆きを示すこと、次なる世代の変わり目であることの二つの意味でしょうか)さなり。なれど他にも意味あり。次なる世代の始まりは、次なる世界の担い手を、いよいよ選び、分ける始めよ。なれば人は戒めて、己の行い、ことば、心をさらにも 浄めて用うべきこと。さにて人は、身を浄め、魂禊ぎて、昇華せん。 (神社を焼いたことは神様のご意図なのに、なぜ悲しまれ、お怒りになるのですか)そはまた浅き次元の考え。神の神意は深く遥かよ。神とて社を焼くは望まず。なれど人の心が貧しく、さらにも衰え退廃しなば、このまま見過ごすこともならず。なれば一つの示しを見せて、神の心の怒りを示さん。なれば、最も神聖なる、社を焼かしめ、気づかせなんと、苦渋の末の選択なるを。社を焼きし元は人心。人の心の荒廃なれば、神社を焼きし元を正せよ。原因は明らかならずや。易しき問いにあらざるや。理屈は神の意図なれど、その大本は、人にあり。人の行い、愚かな考え、幼稚な心と貧しき欲望。全てが神の嘆きなり。なれば、神社を焼きしことは、神の怒りの表れなり。なれど表に現るは、物質のみの焼却、消滅。神の神意を汲み取れよ。神の心を読み取れよ。神社を焼きし人のみになし。神の怒れる対象は、全ての人類、心の悪なり。なれば神は一つ一つを、小さき事象に顕して、人の反省、詫びの心を、促(うなが)し進めんよすがとせんを。神の心を見失うなよ。単なる事物の破壊になし。奥に潜める神の神意は、さらにも深く、さらにも遠し。神のご意図を誤りなく、そのまま写して書き取れよ。己の考え、先入観、愚考を交えず、御霊に通せよ。神のことばを受け止めて、己のことばに移し替え、神の波長に合わせて読めよ。神に合わせて、高めて書けよ。遅れることなく、先走るなく。神の神意を素直に捉え、人のことばに素直に訳せよ。さにて本日、天日津久神社の問いに答えし。神の神意をよくよく読めよ。容易に読めて、明らかならん。さにて。 2001年7月31日 神の声を伝える人ひふみともこさん著書「続神誥記」より抜粋 ひふみともこさんHPhttp://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/