神から人へ ◎古事記と日本書紀について◎
神から人へ、人から神へ。祈りのことばも、人の思いも、必ず実現し、やがては神の休まる国に、神の集まる世とならん。さにて本日何を問うや。 (記紀の奥義をお教え下さい)さにても答えに答えがたし。問いの真の意味はいかに。神代の世界の過てる、記録の中にも真はあり。真の歴史を伝えずとも、人は心し学ぶべし。神代の過(あやま)ち、間違いを、人は学びて直すべし。過去の出来事、事象にも、人の心の糧(かて)となる、今世の学ぶべき、多くの教えは残るもの。なれど、細かい史実には、拘(こだわ)ることこそ、迷いの素なり。人の知りたき全てのことを、知りて何の役に立つ。かえりてますます欲望 目覚め、好奇心のみ募(つの)るもの。人には、身丈に見合う、ことのみ知れば、それでよし。多くの知識は邪魔なもの。かえりて今を生きる邪魔なり。今こそ生きて悔いを残さず、明日に備えて今日を終われよ。それさえなせれば、それにてよからん。奥義(おうぎ)というも、人それぞれに、己の器(うつわ)に見合いしもののみ。全ての人に共通の、奥義はなければ、問うも無駄。己を磨き、己を深め、読み取る意味を深めればよし。奥義は人から与えられ、他から頂くものにはあらず。自ら求め、生きるものには、自然に生まれ、芽生えるものなり。なれば外に求める者は、我がまま勝手の怠惰の者なり。求める思いは改めて、与える思いに変わるべし。与えることこそ、最も多くを手に入れるための、最善の道。無欲無心を範とすべし。 今に満たされ、豊かな者は、己の内の神の恵みに、何の不足も不満もなし。さなりて初めて神は人に、次なる教えも与え行かん。さなりしまでに己を鍛え、静穏の境地で動じるなかれ。器の小さき者ほど、小さき嵐にうろたえるもの。器を浄め、静寂を、心の声に耳傾けよ。教えは己の内より生まれ、己の生に力を与えん。外から得られるものに頼らず、まずは己を見極めよ。己を見つめ省みよ。それのみでよし。それさえ難し。高き教えも意味もなし。器にあふれてこぼれゆかん。神は人に見合いしことを、必要なだけ与えるもの。今ある教えに満たされて、それさえ日々に行えばよし。さにて本日、生きる根源、最も大事のことを教えし。記紀の奥義もそのことならん。今ある位置を過つなかれ。地に足を付け、根を張れよ。浮草の如漂いて、流さる生に実りなし。本日これにて教えを終わらん。さらなる精進、教えを祈らん。さにて。 神の声を伝える人 ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋 ひふみともこさんHPhttp://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/ ※記紀とは、古事記と日本書紀の総称。古事記の「記」と日本書紀の「紀」を併せて「記紀」という。奈良時代に編纂された日本の神話、古代の歴史を伝える重要な歴史書。序盤は神話そのものであり、執筆年代に近づくにつれ、歴史書としての性格が強くなる。