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2006.10.30
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カテゴリ:発想の大転換
 こんちは、かもしだ(元いじめっ子)です。

 とある国では、伝染病セクションで対策がとられているという「自殺」が、子どもたちに連続して起きています。というか、無責任に報道によって連呼されることで「中学生の自殺」が、メディアを通して伝染しているのは間違いありません。
 「ウイルス無き伝染病」に対して「報道するなら、その都度、子どもたちよ自殺するなのテロップくらい流せ」と言いたいくらいです。

 壮年期や青年の自殺と異なり、少年や子どもの自殺の原因には「借金」や「リストラ」「家庭崩壊」などのバリエーションはそう多くありません。「学校という集団の中のトラブル」がほとんどだと思います。

 ならば(仮定の上に立論する愚考をお許し下さい)(1)「いじめる子」の状況をあぶり出し、(2)いじめに至る主たる要因を研究し、(3)「元気」や「口が達者」等という「個性」に隠された「集団内での他の子への負の影響」を明らかにし、(4)集団の中で赦される行動の範囲(つまりはマナー)や、自分の行動が及ぼす影響を想像する能力を時間がかかってもいいから身につけさせ、(5)仮に自分の行為が誰か周りの子どもを死に追いやったとしたら、どのような状況に陥るのか具体的(訴訟や裁判、その後の長きに渡る生活への影響)に伝える必要があると思います。

 いじめている子が「からかっただけ」とか、いじめている意識が弱くても、いじめられている側は往々にしてかなり辛いものです。いじめている側が複数の場合さらにその意識のずれは拡大します。

 どのような言葉や行動が、相手に不快感を与え、集団の形成を阻害し、集団の維持を難しくする要因となりうるのか、子どもたちに適切に指導していくことを怠ると、学校の機能が徐々に完全に麻痺していくと思います。

 報道は遺族の学校を糾弾し叫ぶ姿のみをリプレイするのではなく、「いじめている側」の抱える問題の解決に「個性の尊重」を楯に牛歩戦術をとる学校の姿勢や、今ひとつお金を注ぎ込まない文部科学省サイド(19年度には、問題を抱える児童生徒への対応のため予算を組んでいますが、これは主として遊び非行型不登校対策に活用されると思われますので…実質いじめに係る予算は無きに等しいです。)に、もっと真剣に切り込んでいくべきだと思います。

 また、仮に「いじめ」が犯罪である、という認識の強化をすすめるならば(またまた、仮定の上に立論する愚考を許してちょんまげ)、益々いじめは深く静かに潜水していきます。現状のいじめでも教師や親は気づく方法をあまり持たないのですから、そのような状況には、いじめられた側からの訴えやその時々の必要に応じて学校内に捜査のプロを置くか、教師に集団を壊さずに捜査する方法のレクチャーを施す予算が必要ですが、まず有り得ない話なので、せめて、いじめた側にそれ相当の「しっぺ返し」があるということを、常日頃から教え込む必要があると思います。

 あ、毅然とした対応「ゼロトレランス」だ。

 家庭でも、もし我慢ならないいじめが自分の家の子に対して発生した(あ、「いじめが起きた」は事故っぽいけど、「いじめが発生した」はさらに自然現象っぽいなあ。起きる原因は集団の形成に関わることで、決して偶然ではねーと思うんだがなあ。)際は、遠慮無く訴えるといい、と思う。

 単純なけんかであれば、猛獣が小さい頃に兄弟で「あまかみ」したり「ひっかき」あったりすることをたしなめるように、学校では教育的な均等指導として無理矢理「両成敗」できるけど、「いじめ」のように複雑なパラメータに乗って起こる場合は、「判決」できない場合が多いと思うし、「判決」がその後の集団形成に悪影響を及ぼす可能性が少しでもあれば、(いわゆる、懲りずにいじめをさらに陰湿化する子の出現とか)学校は及び腰になるのは当たり前。

 「いじめ」を起こさないのがベターなのだけれど、そうは行っていないのが現実だから、第三者機関に「犯罪者」と「被害者」を判定してもらうのが、一番いいし、「処罰」まで判定してもらうのがいいかと、世の中はそういうものだと思います。
 逆に、子どもだから学校で何とかしてもらえれば、と保護者が考えるのも当然だと思うけど、我慢ならない場合は学校に任せるとかえって自分の子どもに不利益が生じる可能性がありますし、学校に「学校」と「警察」と「裁判所」と「厚生施設」をやらせるのは酷というものです。
 大人社会で常識として通用するルールを学校の中の子どもたちの集団にもある程度適用させなければならないとも思うのです。
 
 それと、いじめる子と、いじめられる子の双方が、かけられるプレッシャーからの脱出の方法として自分より弱い子への攻撃を始める場合があります。プレッシャーの連鎖です。
 プレッシャーからの脱出方法は他にもあるぜ、弱い者に当たる前にいろいろ試してみようぜと、物心付くあたりから少しずつ教えていくことが、とても必要な気がしてなりません。

 いじめる側の子どもたちへの適切な対処と、かけられたプレッシャーとうまく折り合いを付けていく能力の育成が危急の課題かな、と思います。

 うーん、うまくまとまんないなあ。なんか、性善説を信じる宗教家とかが考えそうな解決策だなあ、とほほ。





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最終更新日  2006.10.30 22:50:49
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