忘年会シーズン
普段すっかりお酒を飲まなくなったので、すっかりアルコールに弱くなりました。昨日と今日2日連続で忘年会、ということでちょっとバテ気味なんですが、手短に。・昨日は、ラッパの楽団の忘年会で、あまり話をしたことの無かった人と多く話をした。ここ最近数ヶ月、僕のの人間関係は、「閉じている」というか、自分の気の置けない家族、職場の同僚以外の人とはあまり話をする機会がなかったのだけど、色々な世代の人と、すごく自由自在に話が出来た。相手が思っていることを思ったように話してくれるのを、フンフンと聞いて、たまに一つ上の視点からさりげなくコメントしてみたり。初対面の相手とすぐにうち解けてみたり。なんか、自分の意外なコミュニケーションの力に、驚いた1日だった。・そして、今日は職場の同期との忘年会。みんなそれぞれ、自分の主張が強くて、結構、言い合いが多かった。言い合いが険悪な雰囲気になってきたときに、絶妙の下ネタのフリを飛ばすヤツがいたりして、なかなかやるな、と思わされたりした。昨日とは違って、僕はみんなの主張を、じっと聞いている時間が長かった。僕の発するコトバは、かなりその場を圧してしまう感じがあったから。そして、今の僕が発するコトバは、無用な戦いを生む気がしていた。みんなの話をじっと聞いていると、それぞれのコトバ、主張の裏にあるメカニズムが、見える。彼女は今、こういう環境にいるから、こういう事を言っている。彼はこういう家庭環境で育ったから、こういう事を言っている。例えば、いじめ問題についていろんな主張が飛び交っていたのだけれど、冷めた発言、ダークな発言に対しても、その発言が生まれてくるメカニズムが分かる気がした。そうなってくると、他人が言っていることは、何一つ間違っていないな、と思えてくる。その言葉の生まれるバックボーンを感じれば感じるほど、それは必然的に生まれてくるコトバなわけであって。以前だったら、「こんなこと言うなんて、コイツ許せん!」と思ったようなコトバですら、それを否定する気持ちにはなれなかった。今日、僕はあまり自分の主張を述べなかったけれど、それもまた、そういう流れだったのだと思う。相手の全てを肯定して、しかも、自分の主張を相手にじんわりと浸透させるように話す。そういう力が身に付いたとき、僕は、本当に力を持ったコトバ、優しいコトバを発することが出来るのだろうと思う。まだまだ道は長いな。でも、たどり着くのにそれほど時間はかからない気もしている。