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テーマ:闘病日記(4014)
カテゴリ:脳死肝移植の経緯・妊娠出産
◆一家5人の家族構成◆
-父: 非常に厳格、けれども愛情たっぷり。 -母: 優しく他人思いで涙もろい。 -真紀子: 本人。長女。 -双子まりこ: 次女、ではあるが私の一卵性双生児の片割れ。遠く離れていても 不思議に共通項が多いのは双子ならでは!? -妹まいこ: 末っ子。自由奔放で発想豊か、ある意味私の憧れの年子の妹。 私が17歳の年の夏、父に海外赴任の辞令が出た。場所はロンドン。 父は一足先に1人でロンドンへ向かい半年あまりを単身赴任で過ごし、 一家のロンドン生活の基盤となる住居などをはじめ、諸々の準備をしてくれていた。 私は当時高校3年生だったが、高校の卒業単位を取得できる日まで学校へ出席し、 その年の12月末に渡英した。そこから一家5人のロンドン生活がスタートした。 英国での最初の学生生活は、年が明けた1月に英国の名門女子高のボーディングスクール (寄宿舎)から開始となった。ここに姉妹3人揃って入ることとなり(これも父が編入 手続きを済ませてくれていた)、英語が得意ではなかった私達は、突然の英語漬けの 毎日に泣き暮らす日々でスタート。 ほんわかと憧れていた「英国生活」はこうして「涙」で始まる。 それでも姉妹3人一緒だったからこそ乗り越えられたこの生活。そして英語に 悩まされていた毎日だったけれども、日本ではずっと自宅から学校に通っていただけに、 女の子だけの寄宿舎生活という事もそれなりに楽しかった。 また朝から晩まで英語オンリーの環境に強制的に身を置いていたお陰で、英語力も 徐々に身についてきた。この英語力はその後の私の人生において、重要な戦力となり、 父から私への大きなプレゼントとなった。この時の生活が無ければ、その後のあらゆる 経験もできなかったであろう。本当に感謝している。 さて、その当時は(今も同じかどうかは分からない)、日本とイギリスの高校での 単位制度が全く違うために、日本の高校卒業は英国の大学入学資格にはならなかった。 姉妹3人、頭を突き合わせて必死に勉強し、その後大学受験も無事合格して英国の大学に 入学。 ようやく(!?) 楽しいキャンパスライフを送れるようになっていた。 そしてロンドン生活のきっかけともなった父の海外赴任も丸5年経ち、東京本社への 異動が出され、両親は一足先に日本へ帰国。 大学生活の残っていた私達3姉妹は英国に残ることになった。 次に双子のまりこも日本で就職。私は最初の大学から上の経営学科がある大学へ編入。 こうして、劇症肝炎により肝移植が必要となった大学4年目の春、この時点で私は 年子の妹であり、同じく大学生であった妹まいこと2人でロンドンに住んでいた。 この後、移植手術を受け、リハビリを終えて日本に帰国するわけだが、この時の 在英期間は6年。移植の件も含め、本当に素敵な、思い出深い6年間だった。 もともと旅行好きな両親に連れられて、日本でも休み毎に色々な土地へ旅行に出ていたが、 在英中は「ロンドン駐在時代にしか行けないから」と言うことで 私達の学校の休みごとに 一家で英国内はもちろん、ヨーロッパ各国をはじめ、数多くの地に連れて行ってもらった。 日本から一歩も出た事が無かった私が、17歳の冬に生活が一転。改めて「日本」という国を 外から眺める事ができ、また各国の様子を肌で感じる事もでき、とても貴重な経験だったと 思う。 ボーディングスクールで英国人の女の子達と生活をしたり、現地の大学では英国人をはじめ 色々な人種の友達ができ、多くの考えも学んだ。 ロンドンではじめて弓道を習い、英国人の先生から日本の良さを教えられた事もある。 私の人生を大きく変えてくれた、忘れられない、大切な6年間。 そして大好きな英国。 命を救ってくれた英国。 本当にありがとう。 クリックをお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 27, 2007 01:29:14 PM
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