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テーマ:闘病日記(4014)
カテゴリ:脳死肝移植の経緯・妊娠出産
★★妹まいこ(ロンドン側)の視点★★
イースターの旅行から戻って、真紀子は試験があった数日は大学に行ったけれど、 また体調を悪くして、試験を一通り終えた後は学校を休んだ。 40度以上もの熱が数日も続いていた。 ここで私は、真紀子に怒りを覚えた記憶がある。あまり自分の体をケアしていないように 見えた彼女に。 私はこのところずっと体調が悪かったのが、彼女のケア不足と感じていた。 相変わらず不健康で、あまり食事もまともにしなかった。食欲ない、食べる気がしないって この頃から言い出したっけ。 私は「ちゃんと食事しないと力がつかないからダメだよ、病院にも行きなよ」と言っていた。 あまり食べなくなった真紀子だったけど、私は、「学校が~」とか「友達が~」とか言って、 きちんと食事を作ってあげなかったよね・・・。それでも確か、数回お粥さんとか作ったり したけど、真紀子は食べなかった。 「何だったら食べられる?」と聞いても答えなくて、「プリンとかだったら大丈夫?」と聞いたら、 「うん」と言った。 そして確か翌日(4月22日)、「真紀ちゃん、プリン食べたいって言ってたし~」と思って、 学校の帰り道に車を走らせてヤオハン(*注:住んでいた地域から非常に遠い日本の 大型食材店。車で片道1時間以上もかかる場所にあった)まで行った。 その頃は、あまり日本の食材を買うことがなかったけれど、日本のものなら食べられるかもと 思って、プリン以外にも、いろいろと買って帰った。 これが確かまだ外が明るい午後だったな。 「真紀ちゃ~ん!プリン買ってきたよ~!食べなよ~!」とほぼ無理やり起した記憶がある。 「食べたいって言っていたし」という気持ちが強かったな~。真紀子はお部屋でずっと 寝ていたけど、這って出てきてくれた。まさに這ってた。顔色も悪く、よわよわしそうだった。 だけど私は「最近食べてなかったし、食事をして体力つけなければ、治るものも治らない!」と 強く思ってた。この時期に、こんな感情を持っていたことが、今でも申し訳なく、悔やまれます。 ごめんなさい・・・。きっとこの時、こんな感情を持っていなければ、もっときちんとケアをして あげられたかもしれないのに、って思う。 這って出てきた真紀子は「ありがと~」と言って、一口食べた。 でも、それ以上食べられなかった。 「なんで食べないの?食べたいって言ってたじゃん!」と、私。でも真紀子は「いらない」って。 私はムッとして、「きちんと病院に行った?」と喧嘩モード。そしたら「行ったよ。」って。 「どうだった?」「よくわからないけど、風邪でしょうって言われた」と言っていた。 私はさらに不機嫌で「食事もしなかったら、治るもんも治んないよっ!早く寝なっ!」と 部屋に追い返したような・・・。重ね重ね、すみませんでした・・・。で、真紀子は、這って お部屋に戻った。 その時這ってお部屋に戻っていった真紀子の後姿を今でも覚えています。 きっとこの朝、私が学校に行っている間に、真紀子は母に電話をしたのかな? めったに日本に電話をしなかった真紀子から電話があった、と母が言っている。 いつも電話なんてしてこない真紀子から電話があって、すごくおかしいって感じたみたい。 「このところ高熱が続いて、バファリン飲んでも下がらない。頭が痛い。」と電話で。 「すぐに日本の診療所にタクシーで行きなさい」と言われて、真紀子は往復タクシーで その病院に行ったらしい。薬をもらって、それから家で寝ていたみたい。 その夜は、友達の家に行く予定にしていたのだけど、ちょっと不安だったのかなぁ・・・。 予定を変更して、逆に家に来てもらった。家で夕食を作り、真紀子を呼んだけど、 食べなかった。その日は確か友達が作ってくれたような?? 私は午後の件があって、まだムッとしていて、無理強いしなかったと思う。 クリックをお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 29, 2007 05:15:04 PM
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