|
テーマ:闘病日記(4014)
カテゴリ:脳死肝移植の経緯・妊娠出産
★★妹まいこ(ロンドン側)の視点★★
次の日の大学は午後からで、その日はそのまま友達に家に泊まってもらった。 翌朝(4月23日)、10時くらいになっていたかな。ふっと目が覚めて、なぜだか真紀子が 気になったのを覚えている。この頃は目覚ましが鳴るまで全く起きずによく寝ていたので、 こんな風に目が覚めるのは不思議だった。私と同じ部屋では友達が普通に寝ていた。 そしたら、隣の部屋から、「まいちゃ~ん・・・」って声が聞えた気がした。 とってもとっても小さな声で。空耳かなって思ったら、もう一度「まいちゃ~ん」って。 飛び起きて「どうしたの?!」と真紀子の部屋に。そしたら真紀子の目の焦点が 合ってなくて。 私は驚いてしまって、友達を叩き起した。「真紀ちゃんが変だ!」って。そしてすぐに、 もう一度真紀子の部屋に。そしたら真紀子が起き上がっていて、両手を前に出して、 「まいちゃん・・・、まいちゃん、どこ?見えない」って。 両手を握りながら、「ここだよ!ここだよ!真紀ちゃん!真紀ちゃん!」と言ったけど、 分からないようだった。 「真紀ちゃんが大変!」と叫んだら、異変に気が付いた友達がやってきて、「病院だ!」と 言った。その時とっさに、「救急車はダメだ」という話をした記憶がある。救急車は 近くの地元の病院に搬送されるから。 「確か真紀ちゃんが行っていた日本の診療所があるはず」と、車で移動しようと思った。 この後すぐに車に乗ったような気がするのだけど、母の話を合わせると、日本に 電話をしているみたい。 イギリスはお昼。日本は夜。その時は日本の時間なんて考えていなかった。 「すぐに日本の診療所に行きなさい!」と言われて、「Mさん(*注:下記)に電話を しなさい」とも言われた気がする。私はその前まで真紀子が行っていた日本の診療所の 場所を知らなくて、ここで教えてもらったのかなぁ・・・? 私は電話を切ってから、Mさんにも電話をしたみたいだけど、記憶なし。 真紀子が倒れた朝は、断片的だけど、今でも忘れない。真紀子の声も目も様子も。 そして後日、再入院する前に倒れた日も。昔はこれでよく眠れなくなっていたな。 *注:「Mさん」とは、父の英国勤務時代に父の秘書的役割をされていたとても有能な 方だった。某有名企業のトップとしてお仕事をされていたアメリカ人のご主人がおり、 色々な方面に顔が効き、とても親切で頼りがいのある人だった。そのような関係で 両親が帰国した後も何かあれば彼女に頼りなさい、と常々言われていた。 クリックをお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 30, 2007 09:43:15 AM
コメント(0) | コメントを書く
[脳死肝移植の経緯・妊娠出産] カテゴリの最新記事
|