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テーマ:闘病日記(4014)
カテゴリ:脳死肝移植の経緯・妊娠出産
★★双子まりこ(日本側)の視点★★
ロンドンのまいこからの何度かの電話で、「今は○○の病院にいて何をしている。」とか、 「こんな事言われた」と刻々と変化する状況を教えてくれる。 その内、「今から日本の診療所のお医者さんが両親と話したい、と言っているから、 電話してもらっていいか。」とまいこが言い、電話を一度切った。 父の部屋で、父、母、私の3人で、息を詰めながら、電話が鳴るのを今か今か、と待っていた。 待ちわびていた電話がやっと鳴り、父がすぐに出る。 ずっと「はい、はい、はい・・・・」、と何も言わずに繰り返していたけれど、その内に父の体が 震えだして、本当にびっくりするくらい震えだして、声は普通なのに、体の震えが 止まらない・・・。 電話を握っていないほうの手が、ぎゅーーーっと膝の上で握られて、ぶるぶるぶるぶる・・・と 震えていた。 電話している父の後ろから私が抱きかかえて、”大丈夫、大丈夫だよ、お父さん・・・・!!!” って。 ・・・びっくりした。 いつも毅然としている父のあんな姿を見たのは初めてで、その時は、真紀子の事も 心配だったけど、単に父がどうにかなっちゃうんじゃないかと、気が気じゃなかった。 突然、「先生!!! 髄膜炎って事は、娘の脳に障害が出るという事ですかっ!? 元に戻らないんですか? 一生そのままなんですかっ!?」と叫ぶように言い出した。 この時点で、英国の検査結果では脳の値が非常に悪いという事で、一旦は脳髄膜炎である という診断が下されていたようだ。 私は「えっ。真紀ちゃん脳がおかしくなっちゃったんだ・・・・。」って。 でも脳がおかしくなるというイメージが沸かなくて、とにかく今は父の震えを止めたかった。 父は、叫んでしまったのがきっかけになったかの様に、涙が溢れ出てきて、でも、 泣いているのが多分本人は分かっていなくて、ずっと、ずっと同じ質問を繰り返していた。 それから、どういう経緯で電話を切ったのか忘れてしまったけれど、先生との電話を切った 途端、無言で、母の「何だって???」という質問にも答えず、京都の叔父(*注:父の兄であり 外科の医者)に電話をかけた。 そこで電話口で英国の先生が言っていた話を叔父に説明している話を聞いて、母と私は 事の流れを理解し、そうしたら、今度は母が泣き崩れだした・・・・。 父は、叔父に話すときには、表面的にはすっかり落ち着きを取り戻し、ものすごく物事を 簡潔に説明。その姿を見て、改めて父はすごいなぁ、と思った。 同時に、側では母がボロボロになっていったから、横で母に「大丈夫、大丈夫。真紀ちゃんは 大丈夫。ぜーーーーーーーーーったい平気。私、何も感じないもん。双子だから、 真紀ちゃんがやばかったら、絶対に何か感じる。でも、今回、私ちっとも感じない。だから、 真紀ちゃんは平気だよ。」って力説。 本当に私は、なぜかその時はぜんぜん平気で、今はあの自信はどこから来たんだろうと 思うほど真紀子は絶対に助かるという確信があり、何より、父と母を支えなきゃ!!という 必死の思いの方が強かった・・・。 叔父には、髄膜炎とはなんぞや、とか、なったらどうなる、とか、手術の経緯とか、手術の 成功確率とかそんな事を確認していて、「また電話するわ。」と最後はさらっと電話を切った。 そしてその後、母はバタバタと荷物をまとめて、翌朝すぐに出発する話に。 父と私は、仕事があるから明日は会社に行って、1日遅れで行こう、という話に。 その私達のチケットはどうしたのかなぁ。父が手配したのかなぁ・・・。私は全く記憶にない。 クリックをお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 3, 2007 10:48:11 AM
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