午後11時のモノローグ:その38
スポーツニュースだけ見れば,今日はサンフレッチェにもカープにもそれなりのネタは転がっている。特にサンフレッチェに関して言えば非常に大きな問題をはらんでいる話だとも思う。しかし,それにすぐに飛びついていたら,ただのニュース追っかけブログに成り下がってしまう。したがって,敢えて今日はスルーしてみたい。そこで何を書くかと言えば,久しぶりに「ものを書く」と言うことについて突き詰めて考えてみたいと思う。と,大きく出ては見たものの,だいたいこの私がたいしたことが言えるわけではない。文筆業で生計を立てているわけでもないし,SNSを使って駄文をものしている一寸の虫に過ぎない。ただ,一寸の虫にも五分の魂というわけではないが,この弊ブログ,しつこく書き続けて丸10年,今年の7月にはなんと11年目に入る。一片一片の論考は阿呆らしい駄文ばかりだが,ここまで積み重なると阿呆らしさも極まって襟を正したい趣に感じられる。そこで,自省の意をも込めて,自分の文書を自己評価してみたいと思う。自分でも感じているところだが,近年の自分の文章は,まあ無駄に長いと思う。そのきっかけとなったのは年末の煤払いとばかり気合を込めて空回りしている「年末シリーズ」を始めてからだと思うのだが,まあなんとも長いだけ,いわゆる「阿呆の長談義」に陥っているのではないかという気がしてならない。分かってるのなら手が打てるだろうといわれそうだが,それが意外に難しい。いうまでもなく弊ブログは家内制手工業で起案構成すべて私ひとりでやっているのであって,修文や推敲を後から練っている暇がないのだ。もちろん,書きながら足らない頭で推敲に推敲を重ねているつもりだが,その効果がどうかは,私には分からない。もちろん長くなるのは書きたいことがそれだけあるからと言えばそれまでなのだが,これこそ在原業平の和歌を古今集の仮名序が評したように意余りて心ここにあらず,の典型ではないかと,反省している次第である。もちろん,短く済んでいるときもあるのだが,それは大概「店主謹白 本日休業」。それですら最近は余計なことを書きすぎているのではないかという気がする。かつては違っていたように思う。2007年,この年は弊ブログ的には大きな転換点となった年なのだが,この年にはあの「末尾の小ネタ」まで含めて長くて2,500字(全角で,以下同じ)くらいだった。今だと長いときは本文だけで優に3,000字くらいになるから,いかにあのときは我ながら推敲を効かしていたかと言うことが分かる。小ネタもずいぶん赤松と天谷をデフォルメさせていただいて大変申し訳なく思うのだが,我ながらよくあれだけのことが出来たと思う。筆力も今とは違っていたようにも思う。それに比べたら今は本当に水割り,もしくは逆にダマ粉状態だ。書けばいいというわけじゃないということは分かっているのだが,まあそこは,植木屋さんじゃないが「分かっちゃいるけどやめられない」,なのである。と,書いている反省の文章がそもそも長いのだが,1つ言えることは,とにかく何でもかんでも詰め込めばいいというわけではないということである。これは私の敬愛する故宮脇俊三先生の教えでもあるのだが,文章は推敲をしていくらである。それに,詰め込めば詰め込むほど,文章が長くなれば長くなるほど粗が見えやすくなるものであるし,変換ミスだって起こりやすい(事実,弊ブログの記事には変換ミスやキータッチミスが山ほどある)。ネタの厳選,文章表現の工夫,そして第一に考えるべきは「何を書きたいか」。ただでさえ私の書くものは屈折的な表現でわかりにくいという自覚はある。昨日の文章も,ずいぶんうだうだと書いてようやく書き出しと落ちが繋がるという始末である。ここまで書いて約2,300字。今年は,このくらいの分量に収まるよう推敲しながら書いていきたいと思う。できるだけ。文章修業の道は厳しい。BlogPeopleSIGMA People(告知)姉妹サイト「ろー・ふぁーむ・かるぴおANNEX」もよろしくお願いします。(さらに告知)弊ブログオフ会兼新年会についてのお問い合わせ窓口はこちら。