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カテゴリ:教授の読書日記
鷲見洋一さんの『編集者ディドロ』をチラ読みしていたら、この本が「です・ます調」で書かれていることに気が付きました。そのことは「あとがき」でも言及されていて、鷲見さんが意図的にそうされたのだということが分かります。
で、そのことは今の私にとっても結構大きな問題でありまして。 と言うのも、今度出す新著が「です・ます調」の本だから。これはね、想定読者が14歳なのでそうしたのですが、多少なりとも学術的な本を出すのに「です・ます調」を使うというのは私にとっても初めてのことだったので、多少、難渋しました。 それはともかく、とにかく1冊の本を「です・ます調」で通しで書いてみたわけですよ。 で、それに続けて今度は新書本を書いているのですが、問題はこっちね。 この本、最初、前著に続いて「です・ます調」で書いたのですが、3分の2くらい書いた段階で、ん? 違うかな? と思うようになり、「だ・である調」に変えようと決意。とりあえず1章分を「だ・である調」に書き直したわけ。 ところが。 その後、もう一度読み直してみたところ、やっぱり「です・ます調」の方がいいかなと思い直し、一度書き直したものをもう一度書き直して「です・ます調」に戻したのよ。 ごく最近、そういう作業をしていたので、今回、鷲見洋一さんが意図的にこの本を「です・ます調」で書いたということを知って、なるほどと思った次第。 本を書くに当たって文体というのは書き手にとっては一大事なんですけど、その一大事に関して、最近、自分でも揺れているものだから、他人はどうしているのかというのがすごく気になる。 ま、鷲見さんがこの大著を「です・ます調」で書き通したのだから、私が新書本一冊、それでトライするというのも一興かなと。 まあ、これで2冊連続で「です・ます調」の本を出せば、私もその方面のノウハウを身につけるでしょうから、それはそれで経験としていいのかな。ま、とりあえず今回はそれでやってみますわ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 24, 2023 09:59:15 PM
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