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カテゴリ:教授の読書日記
・・・そうか、メイコも逝ったか・・・。また一つ、昭和が消えるのぉ・・・。
さて、卒論の提出日(10日)が刻一刻と近づいておるのに、ゼミ生の一人がまだ最終章の草稿を提出してこないっていうね。いやあ、ヤキモキさせるねえ。 で、今来るか、今来るかと待っているのも疲れたので、伊藤礼さんが書いた『狸ビール』というエッセイ集を読んでいたら、結局、最後まで読み切っちまったよ。これ、講談社エッセイ賞を獲った作品なんですが。 伊藤礼さんというのは、作家で文学評論家の伊藤整さんの次男さん。日芸の教授で、英文学の人。その意味では先輩でもあるんですが、英文学での実績より、エッセイストとしての業績の方が有名かも。 で、『狸ビール』は、多趣味だった伊藤礼さんの、(鳥撃ち専門の)ハンターとしての一面を綴ったエッセイでありまして、昔は英文学者が趣味で散弾銃を担いで野山を駆け回る、なんてことがあったんですねえ。 でまた、伊藤礼さんの鳥撃ちのホームグラウンドが、東京と神奈川の境、黒川とか栗木、柿生の辺りだったそうですが、これ、私の実家のあるところじゃん。それもまたビックリ。 で、猟の実体験や、猟における先輩たちとの交流、自分が猟をする心持ち、銃のこと、猟犬との絆のことなど、一巻通してそういう話題のエッセイが並んでいる。 まあ、今時の人間からすると、まるで経験のない話ばかりですから、読んでいて「ふうむ、そういうものなのか・・・」と思うことばかり。でまたその書きぶりが、計算高くないようで、ひょっとしたら計算ずくなのかと思わせるヘタウマの文章で、非常に特徴がある。 伊藤礼の文章の代表例を挙げるとすると、こんな感じ: 薬莢のなかの火薬はなぜ大爆発を起こすのか。 本来、火薬は火をつけてもただボーと燃えるだけのものだ。このかぎりでは、火薬というものはちっとも面白くない。ところが、この場合、火薬は薬莢という親指ぐらいのボール紙の筒の中にはいっている。筒の出口側には紙塞と称するボール紙一枚をへだてて、コロスという詰め物がぎゅうぎゅうにつめこんである。火薬が燃えてものすごい量の気体にかわると、気体は広い世界に出てゆこうとあせって、あれこれと行きどころを探す。しかし、薬莢は尻のほうも側面もしっかりと鋼鉄の銃身に包まれているから、けっきょく多少無理があるとは思いながらもコロスを押し出すことにする。 コロスは、薬莢のなかにぎちぎちに詰め込まれているから、そんなに押されても困るんだとおもいながらも、とにかく気体がものすごい圧力をかけてくるので薬莢のボール紙の円筒のなかをギシギシ音をさせながら、ずっていく。考えてみると気の毒なみたいだ。 ところがコロスのむこうがわには、またもや紙塞をへだてて散弾が詰まっている。膨張した気体がギュー、スポン、とコロスを薬莢の外に押し出すと、それと同時に散弾も押し出されて、銃身のトンネルを通り抜けて銃口のそとに弾のような速さで飛び出してゆく。 これが、鉄砲の引き金を引くと弾が飛び出すしかけだ。 世の中には、こうすればこうなるというたぐいのものがいろいろある。スピードを出しすぎると白バイに追い掛けられるとか、「お茶」と言ってみるとお茶が出てきたりするのもそうだ。 だが、そうは言っても、スピードを出しすぎてもどこにも白バイがいなかったり、「お茶」と言ってみると、しばらくして「お茶ぐらい自分で出したら」と不機嫌そうな声が聞こえてきたりする。 その点で、引き金を引くとはほとんど間違いなく即座に弾が出てくるというのは心あたたまることだ。 (『狸ビール』111‐112頁) ね。ちょっと癖があるでしょう? この癖が面白いと思えばこの本は面白いし、この癖が嫌味だと思えば、この本は嫌味な本になる。 私としては・・・うーん、微妙かな。面白いような、嫌味のような、どっちに判断しようかなーって悩むところ。でもまあ、面白く無くはないので、良しとしましょうか。 というわけで、絶賛ではないけれども、読んで面白くなくはないというところで、教授のおすすめ!と言っておきましょうかね。 これこれ! ↓ 狸ビール【電子書籍】[ 伊藤礼 ] しかし、ふと気が付いたんだけど、年明けに読んだ本って、土井善晴の『一汁一菜でよいと至るまで』にしても、伊藤礼の『狸ビール』にしても、偉大な父親を持ってしまった息子の本ですな。偶然そうなったんだけど、どちらの本も、父親コンプレックスの産物と言えなくもない。そういう運命を背負うってのは、傍目で思う以上にしんどいのかもね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 7, 2024 10:39:22 PM
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