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カテゴリ:教授の読書日記
デニス・ボック著『オリンピア』という短編連作小説を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。
中身に言及する前に外見、つまり本の装丁について一言したいのですが、本書の判型は少し変わっていて、通常の単行本のそれと比べてやや縦長というか、新書判の縦横比をそのまま単行本に当て嵌めたような形になっている。この縦長の判型が案外手に馴染むわけ。で、中の印刷面もページ下部の余白が大目にとられていて、ページを開いた時に両手の親指が印刷面にかぶらない。だから読みやすい。 そして表紙のデザインがまたとても美しい! この小説の重要なモチーフは「水」と「風」なんですが、表紙デザインの彩りが、まさに水色と風色なのよ。「風色」って何だよ、と思うでしょうけど、実際に現物を手に取れば、私の言っている意味が分かると思います。 これこれ! ↓ オリンピア [ デニス・ボック ] さて、外見は分かった、では中身は? ということなんですけど、これ、『オリンピア』というタイトルから予想されるような話ではないのね。たしかに1972年のミュンヘン五輪、1976年のモントリオール五輪、1988年のソウル五輪、1992年のバルセロナ五輪が、本作を構成する各短篇の背景として描かれるものの、別にオリンピックに直接関係する話ではない。しかし、ではオリンピックとはまるで関係がないかというとそういうことでもなく、たとえば本作の主人公・・・というか語り手であるピーターの父方の祖父母は共にオリンピック選手で、まさにオリンピックで出会って恋に落ちたという経緯がある。その意味で、オリンピックがなければ生まれなかった一族の話なわけ。しかもピーターの父親もオリンピック選手(ボート)で、その後、ボートを作る仕事で生計を立てている。 しかも、ピーターの妹のルビーは体操の才能があり、もう少しで祖国カナダはモントリオールで行われたオリンピックに出場できそうなところまでいった。だから、この一族にとってオリンピックというのは、単に他人事として見て楽しむものではないんですな。もっと身近なものであり、かつ、メダルを獲って栄光を勝ち得たとかそういうことではないので、ある意味では屈辱の歴史でもある。とにかく、無視することのできない、生生しいものなんですな。 で、そういう、オリンピックと少なからぬ縁のある一族三代の歴史が、一番若い世代であるピーターの視点から描かれると。そういうファミリー・ヒストリーみたいな小説なわけ。 といって、特に派手なヒストリーがあるわけではなく、彼らのヒストリーというのは、言ってみれば、どこの家庭にもあるような、平凡なヒストリー。でも、平凡だろうと何だろうと、当事者にとってはそれなりの痛みを伴うような、そしかもその痛みから逃れることのできない類のヒストリーではある。 たとえばピーターの祖父母世代は、ナチス時代のドイツに暮らしていたわけで、カナダに移住したピーターの両親世代にとっても、一族が背負ったドイツ時代の嫌な記憶というのは、それなりに色濃く残っている。でまたそのドイツ時代の負の遺産というのが一様ではなく、父親の一族と母親の一族で若干受け取り方が違う(母方の一族の方がより重荷が大きい)。で、実はこのバックグラウンドの違いが、ピーターの両親の間の密かな溝(溝は言い過ぎだとしても、火種のような感じ)になっていたりもする。だから、ピーターの家に、父方、母方、それぞれの親戚が訪れて来るたびに、何かひと騒動持ちあがることにもなる。もちろん小さい子供であるピーターにもそういう両親の不和が何となく分かるので、それに応じて彼の心も波立つし、その様子を見ている読者の方も、なんとなくゾワゾワしてしまう。 で、そのゾワゾワがこの連作短篇の中で少しずつ反響を強め、拡大していくのですが、その最初の例が、本作第一話である「結婚式」という短編の中で描かれるピーターの父方の祖母の死。孫も出来たほどの年齢になってから二度目の結婚式をしようと思いついた老夫婦の、その結婚式の当日に、花嫁である祖母が溺死するという悲劇。 しかし、それ以上にこの一家にダメージを与えたのは、ピーターの妹、ルビーの死。オリンピック出場も夢ではない有望体操選手だったルビーは、まるで重力の影響を受けていないかのように軽やかに跳躍することができたのですが、本当にそうやって高く飛んだまま、空中に消えてしまった。 そして空中に消えた娘を探すかのように、ピーターの父親は竜巻というものに異様に惹かれていくわけ。竜巻ウォッチャーとして、竜巻が発生したと聞けば、おっとり刀でそこに行ってしまうという。まあ、そういう人はどこにもいるけれど、特にピーターの父親は、まるで竜巻に取りつかれたようになってしまう。無論、それは亡き娘に対する鎮魂の行為でもあるのだけれど、それは妻には理解し得ないもので、このことが元で、ピーターの両親は別居することになってしまう。一方、ピーターはピーターで、大学は出たものの、その後、その先の人生で迷うところがあり、複数の女性と関係を持つようになるなど、収拾の付かないものになっていく。この時点で彼の家族も、ピーターの人生も、空中分解しそうになってしまうんですな。 だけど、その危機は、乗り越えられる。小さな齟齬の積み重ね、そしてそれほど小さくはない悲劇の数々、そういうものに引き裂かれそうになっていたこの家族は、しかし、それでも家族として立ち直る。そしてその一家の再生は、ピーターの両親の二回目の結婚式という象徴的なイベントの中で、しかも奇跡的な偶然にも助けられながら、成し遂げられていくと。 ま、そういうお話。 ストーリーとしては決して平穏ではなくて、むしろダイナミックな話ではあるんだけれども、それが「静謐」という言葉がぴったり来るような筆致で綴られるもので、印象としては非常に静かなものを読んだなという気がする。なんて言うのかなあ、本当はそれなりに騒々しいドラマなのだけど、それをガラス越しに、音もなく見させられているという感じ。それでいて、ガラスの向こう側のことが自分とは無関係とも思えず、なんだか妙にヒタヒタと琴線に触ってくるものがある。 個人的な印象だと、このドラマとしてはそこそこ騒々しいのだけど、ガラス一枚かました静謐さがあって、なんかヒタヒタくる、という感じは、ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引書』にもちょっと通じるところがあるのではないかと。とにかく、なんとも不思議な、妙に心に残る読後感でございました。新興の「ふたり出版社」である「北烏山編集室」が満を持して世に問うこの小説、教授の熱烈おすすめ!でございます。越前敏弥氏の訳文も格調高く、美しい! オリンピア [ デニス・ボック ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 9, 2024 11:17:02 PM
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