大学生の英文法力
今日、自分のところの学科の3年生の授業で英語の期末試験をやったんですけど、まあ、びっくりしましたわ。 えー、こんなに出来ないんだ~って。 もう、想像を絶するほど出来ない。 この授業では英文をちゃんと構文をとって読む、ということに特化して進めてきて、英語の5文型の理屈を半年かけて教えてきたつもりだったのですが、試験をやってみたら、大半の学生がまったく英文法というものを理解していないということが分かったのでした。 否、理解してないんだろうなと思ったので、理解できるような説明を半年もかけてしてきたつもりだったのですが、その説明がまったく届いてなかったと。 一応は国立大の学生なんだからと思って、英文法のイロハのハくらいから教えたのですが、イロハのイから教えないといけなかったのかな・・・。 でも、そんなの中高でやっておいてくれよ~。せっかく頑張って大学の先生になったのに、名詞とは何か、動詞とは何か、形容詞とは何か、なんてところから教えなくちゃいかんのかよ~。 また、理解できないのは英文法だけじゃなくて、それ以外も何も分からないのね。常識も想像力も何もない。 例えば今日出した問題文の冒頭に「In Japan, we are what we bleed.」という一文がある。で、この一文の後に、日本では血液型というものへの興味・関心が高い、という内容の話が続くのですが。 もちろん「We are what we bleed.」というのは「We are what we eat.」のもじり。「人間ってのは、食べたもので出来ている=だから食べ物には気をつかわなくちゃ」という定番の言い方ですよね。 だからそれをもじった「In Japan, we are what we bleed.」という文は、後続する内容からしても「日本では、人は血液型で判断される」とか、そんなような感じで訳せばいいわけよ。 それをさ、「日本では、人は血を流す」なんて訳す奴ばっかりなんだもん・・・。どういう意味だよ、それ。「『日本では、人は血を流す』などという文があるはずがない」という、人間誰でも持っているであろう常識を働かせる気はないのかね。 これが国立大のくそまじめな学生たちの実力なんだから、後は推して知るべし、だよね。 先週、展覧会を見に行った中村槐多、百年前に生きた画家の中村槐多、中卒の槐多の方が今の大学生よりよほど英語力があるじゃないの。最近の日本の英語教育は惨憺たる成果しか出してないんだから、小学生から英語をやらせるなんて馬鹿なことを言ってないで、いっそ明治時代の英語教育のやりかたを復活させるなりしてほしい。 こんなに基礎的な英語力がないんじゃ、英文学なんて大学で教えられないよ~。