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カテゴリ:趣味
ミヒャエルのカメラとのかかわりを、一寸纏めておきたいと思います。
その前に、ちょっと寄り道・・・。 イチロー遣りましたねえ、200本安打10年連続記録達成!おめでとう!前人未到の金字塔を打ち立てるのは容易なことではないですよね、それを黙々と、そして平然とやってのける、素晴らしいですね。 快挙に便乗して、まんじ爺ミヒャエル、孫娘の自慢です。 孫娘シエスタのアイスホッケーチームに新しい男の子が入ってきたそうです。誰にも意地悪なこの子供、当初シエスタにも何か言ってきたそうですが、軽くあしらったそうです。 その後何もなく、先日また掛ってきたそうですが、「大きなこと言いたかったら、マックの賞品を取って見れば!」と言ってのけたそうです。 マックの商品というのは、この技術が完璧に出来たらあげよう!と、コーチが提案したものだそうで、リンクを片足すべり(しかも腰を落とした姿勢で)で一周すると言うものだったのですが、男の子の中に一人混ざって居るシエスタだけが完ぺきに出来て、見事に商品をゲットしたんだといいます。 シエスタの兄アイアンも、以前にゲットしていたんですね、でもアイアン以外に貰った者はなかったんです。凄腕兄妹です。 ミヒャエルの孫娘シエスタ、遣るもんだ!しかも、さらりといじわる男子を払い退けたのには、驚きです。シエスタは、何年か上の歳の子供のクラスに入る技量があるのですが、体?が年齢分不利だと言うので、数年上のクラスに居たのを、コーチが年齢相当のクラスに置いたそうです。 さて本題の写真絡みの話に戻します。 兄たちが、カメラに入れ込んでいたミヒャエルの幼少時代(すぐ上の兄と9年離れて居ます)、コニカのカメラで頑張って居て、ミヒャエルも被写体になることもありました。 そのカメラは、ミヒャエルがシルビアと一緒になった新婚旅行に持って行かせてもらったんです。 大学では、一緒に下宿した男Oが会社社長の長男で、裕福な生活振りでした。ミヒャエルはと言うと、結構大きな地主だった実家が、農地解放で没落、親への負担を少しでも軽減すべく、家庭教師などをしていた境遇で、羨ましい限りでした。 彼は幼少期からバイオリンを遣っており、彼の手引きでバイオリンを始めたミヒャエルでした。彼は二眼レフを持っていて、良く貸してくれました。使わないからというので、借りたまま卒業する羽目に、後で返すと言ったら要らないと言われました。 職業人間になってからのシルビアとの付き合いの間、このカメラは大いに働いてくれました。その後実家に残したものやら?彼に返却したものやら?記憶が定かではありません。 結婚後、仕事の同期で親友のO(なんだかOが多いですね)が、オリンパスペンDを買って、スライドも楽しんでいる、なかなか好いからお前も買え!というのでした。 都合良く、母方の叔父がカメラ店を経営していて、そこで買いました。このカメラではずいぶん撮りました、主に子供たちが被写体でした。 医学研究所勤務になってから、写真との関わりもでき、その研究所の写真室長の手引きで、ニコンの世界に入り、かなり突っ込んだ教育を受けて、それなりの技量を身に付けました。手に入れたカメラはニコンF2でした。 当時、休みと言うと、写真室長H氏に誘われて、撮影会巡りでした。当時結構受賞したりもしました。 別の研究所に移り、そこでも写真は必要で、仕事上ニコンF3との関わりができました。プライベートでは引き続きニコンF2でした。 時は移り、フィルム一眼レフの時代は終わり、デジタル一眼レフへと移行していきました。高価なデジタル一眼レフは、安給料の中で車を買ったり子供の教育に出費があったり、それで手いっぱい、とても手が出る代物ではなくて、関わることがありませんでした。 2001年に、子供が何度目かの渡米をするに際し、通信費が堪らないので、パソコンに着手、子供の2日間の特訓で、メールのよちよち歩きを始め、メールだけではもったいないという思いから、やがて、ホームページも遣るようにまでなりました。 ホームページは、ソフトも付いてこない最近のパソコン事情から、あっさりその世界から手を引き、対策の専門ページも閉じました。 同時にデジカメ(オリンパス)を導入して、長い間それに働いてもらいました。 義母アリスの介護をするようになり、元気なうちしっかりした画像をゲットしたくて、新しくカメラ(パナソニックDMC-FZ8)を買いました。 このときには、一応一眼レフもチェックはしましたが、レンズキットというものがレンズだけのキットと勘違いしていて、検討の対象から外しました。 ミヒャエルの感覚では、レンズきっとの価格があまりにも安いと感じたため、ボディーを含んでいるとは思いもしませんでした、もちろん思い込んでいるので確かめもしませんでした。 2009年年末、パソコンの初代目であるIBMが、あまりにメモリーも不足して、処理速度も低く感じてきており、モニターもぼやけて眼に悪いと、子供たちが心配していました。 いよいよ駄目だなあ!と諦めて、二代目のVAIO君導入となりました。残念ながら、オリンパスはUSB端子がなく、使えなくなり、パナソニックを買っておいて良かったという結果になりました。 このパナソニックは、18倍までのズーム能力があります。一眼の一寸したズームレンズでは太刀打ちできないほどの倍率です。 2010年8月末、ニコンD5000の突然の導入となり、ミヒャエルの写真心が再燃、燃え燃えで有ります。 ミヒャエルは凝り性で、しかもせっかち人間です。遣ると決めると、急速な突っ込みモードに入ります。 初期段階で、いろんなことを整備します、環境を必要かつ十分に整えるのです。まだ十分ではないけれど、一応環境が整ったと見て、撮影に踏み切りました。 F2時代に使えていた程度には、早くD5000を使いこなしたいものと、日夜入り浸り、とは言え、それだけではなくて、勿論持ち前の並行的実行でいろんなことが同時進行してはいるんす。遣ることは多いものですから。 昨日、言い難いけれど、店とミヒャエル、そしてほかのすべての利用客の利益の為に発言します、とメールを送りました。 今朝応答メールが届いて居て、「言いにくいことを伝えていただいて、感謝します、改善に努力します!」、「不快な思いをさせて、申し訳ありません、他のお客様が同じ思いをしないよう改善努力をします!」とありました。 地域の統括本部からでした、これで、伝えた甲斐がありました、良くなってもらいたいと思います。 対応メールを貰ったので、気をよくして・・・という訳だけではないのですが、レンズフードが欲しくて、問い合わせると、在庫なしとのことで、即発注しました。 買い物に出かけるバスの中で、レンズフードの追加購入が必要だよなあ!F2の55ミリマイクロ用フードを使おうと思っていたのですが、多分ワイドで支障があるだろうなあ!そんなこんなト思案していました。 書店に立ち寄るつもりもあったのですが、場合によってはカメラ店へも寄ろう!バスの中でそんな気持ちが出てきて、カメラ店もよりのバス停で下車しました。 直接カメラ店へ行っても手に入らねば無駄足、念のためにと電話したのが正解でした。 ニコン18~55ミリズームレンズには、フードが付けられていませんでした、レンズキットって言うのは、適当に手抜きがしてあって、安くする一つの方策なんでしょうね。55~200ミリズームには付いていたんです。 オプションのマイクロレンズにも付いて居ました。 銀塩時代の経験では、レンズはレンズ単体で、フードは別売りでしたからね、付いて居るということが、言うならばサービスが向上していると言えますね。 買い物に出掛ける際に、シルビアには、「遊んでくるからね!」と言ったのですが、冷凍食品で引っかかり、旨そうだなあ!と買ってしまったことや、弁当(さんま重)を買ったことなどで、直接帰った方がいいよな!と思っていると、バスが眼の前を通りました。 直行便は1時間に1本です、逃すことはないと、走りましたよ、間に合いました。 長袖を着用していましたが、暑くなかったですねえ、秋深しです、台風一過の好天でした。室温は13時30分現在28℃、過ごし易いです。 実は、冷凍食品などを買い込んだのを理由にして帰りましたが、それは寄り道しないで帰った理由の1/3、シルビアを置き去りにしない方が好いと言う思いが1/3、早く戻ってカメラの学びに関わりたい思いが1/3というのが、思いの内容でした。 しるびあは、「弁当が美味しい!」と喜んでくれました。早く戻って、一緒に昼食をして良かったな~!と思うのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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