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カテゴリ:心の世界
俺がおれが・我こそは・何よりもまず私、まあいうなればこれが「我」の世界です。
生まれた時は、「純真無垢」な存在が、何故「我」の塊になってしまうのでしょうね。 親を始め、人間関係の中で、早く独立しなさい!という動きが出てきて、それとともに「我」が育ち、初めは、独立意識が生まれてき!と持て囃され、「我」はさらに伸びていきます。 「自我意識」は斯くして固定していきます。育ち過ぎた「自我意識」はやがて「我」の世界に達します。 合わせて、「超自我」が上手く鎮座し始めればいいのですが、「我」が暴走すれば、人間関係もぎくしゃく、落ちこぼれにもなりかねません。 発達段階にしてこうですから、「我」が暴走したまま大人の世界に雪崩込んだら、結果は悲惨です。 現今、そんなケースが多くなってきたようです。「自己主張」と称していても、「我」が暴れているだけということが多いものです。 「我」の蔓延った個体にも、宇宙の調べは流れてきています、しかし受け止めるアンテナが隠れて居ますから、そのまま流れ去ることになります。 「我」をコントロールできるのは、その「我」が居座って居る個体その者の意識だけ、だから難しいのです。その個体のの主の意識がそう決心しなければ、どうにもならない、だから手強い相手です。 ~~~~~~~~~~~~~~ 雨の今日、兎に角外出と言うシルビアの提案で、焼き塩鮭にピーマン入り玉子焼き(これは初挑戦)と言う弁当持参で、高齢者福祉施設へ行きました。 グループの人たちはもう帰ったんだと言うK氏、既に食事中で、急いで食事してもう帰ろうと思ってたんだとのこと。もう少し後だと、誰も居なくなっているところでした。 食事後少々話をして戻りました。 K氏には、先日会ったときに打診したんですが、デジタル一眼レフの話には、特に進展を見ませんでした。今日も年の為に辺りを付けましたが、同じことでした。 先ずあまり撮影していないんだすです。標準レンズも何処かへ行ってしまって見つからない、ボディーには120ミリ望遠レンズを付けたままだそうです。 結構長くカメラとは付き合っている人で、フィルム時代からカメラには親しんでいたようです。 でも、ちょっと話して、ああ、同好の士としての交流は難しいな!という印象でした。機種を訊ねても、「何だったかなあ覚えていない!」という返答、この人とは、やっぱり交流は難しいですね。 当面、趣味に関しては、サークル活動に委ねることになりそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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