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カテゴリ:心の世界
東進ハイスクール講師の林修氏の有名文言「いるやるの?いまでしょう!」確かにね、当を得ています。 遣るのは今しかないのです。 「後で!」と言えば「永遠にやりません!」と言っているのと同じです。 よくあることですが、明日から!という台詞、あすになれば必ずまた「明日から!」と言う、これが人間の常です。 そこを切り替えるには絶好の文言「今やる!」これしかないのです。 まだ時間がいる、それはそうでしょう、一挙に目標達成は難しいでしょう、しかし始めないことには物事は進まないままです。 「やる!」と言ったって、歩くための一歩が踏み出せない状態では、永遠にやっていない状態が続くだけです。 部屋を片付けてから、机の上を整理してから勉強に取り掛かろう!と片付けを始めるけれど、勉強はいつまでも始まらない、それは勉強を始めることを避ける口実として、整理整頓に目先をおいているだだからです。 私自身何度こんなことを繰り返したことか? 本を開いたら眠気が!そこで、ちょっと一眠りして・・・でも、気づけば夜が明けてまた通学の時間でした。 眠気が来たら、眠気を追い払うか、勉強を諦めて眠っちゃう!これが正解、でも成果はどちらをとるかで正反対であることは歴然! 後でやる!明日やる!明日になったら始める!時間ができたら始める!気持ちが落ち着いたらやる!、これはすべて偽善的な言い草にすぎません。 私は、この偽善的己の言動から抜け出すためにこそ、すぐやる人間になりました。 体の不具合・心の不具合、これは医者が直してくれるからと、他力本願は成り立ちません。慰謝は個体の中にある治癒力(宇宙力)の発現をサポートする役目です、個体そのものが他力本願ではどうにもなりません。 唯、神に頼り神に身を寄せる立場の場合は、宗派によっては他力本願を唱えますから、それは致し方なし!でもでも、治癒力は個体の中に存する神の力(宇宙力)の発動なくして成り立ちません。つまり、他力本願とは、心を開き神(宇宙)に身を任すこと、つまりは自力(神の内在力)なのです。 ここに来ると他力も自力も区別がつかなくなるわけです、この理を理解できるか否か?これも個体しだいです。 やらない事の理由を病に求め、逃げ道へ入り込んではいないか?そうしている場合、病そのもの体や心の不調も、居座り続け、改善のない世界を彷徨うことになる、それをよく理解することが必要です。 「後で!」と永遠にやらないことを露呈した態度は、私には禁忌事項となっております。 かと言って他の人には決して強制はしないです、当然ながら。矯正したからとて、出来るわけもないからでもあり、自発性による行動でないものは続かないんです。 ただ、そうなって欲しいとは思います、だからそうなるのを気長に待ちます。でも歩き出さないのを見続けると、がっかりが先立ちます。 本来的には、せっかち人間なんですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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