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カテゴリ:時評
御嶽山の噴火にはビックリです。
距離的には近い土地で育ち、近所の信仰上の集まりにも御嶽山は関わりが有り、その世話役の女性が私の実家と懇意(家の手伝いをあれこれとやってくれていました)で、幼少期にはその集まりに親に連れられて参加したことが何度もありました。 御嶽山はある意味私の育つ間の親しいお山という存在でした。 その集まりでは、御岳山の行者である先達さんが来訪し、神がかりなことも行われるのでした。 百巻経(音で覚えたことで正しいかどうか勝手にこの文字で理解していました)と言って般若心経を百回唱えるという集まりでした。 論理的にどうもね!と現時点で考えて修正した結果「百巻経」としていますが、記憶としては、「千巻経」と言っていたという感じが強く、最初は何気なく「千巻経」としていたんです。でも、どう考えても「千回」は多すぎますよ、集まりは確かに数時間に及びましたが・・・。 御嶽山の今回の噴火では、登山中の多くの人が遭難したようで、自衛隊の救助活動も開始されているとのことです。 神の山御岳山は怒りの噴出でしょうか?何に怒っているのでしょう?世の乱れでしょうか? 噂情報では、民主党時代の仕分けの結果、火山の活動監視体制が大幅に縮小され、御嶽山はその際に監視対象から外れたと言われます。 火山列島日本は、以前には「死火山・休火山」という分類上の火山の態様は現在ありません、すべての火山がいつ噴火するかわからない、言うなれば全てが「活火山」、富士山もその通りです。 唯噴火につながる微動が観測されてはいたそうですから、登山した人たちはその点情報の収集不足と、考えの安易さが推測できます。 登山が盛んな現在、軽装では危ない山に軽率にも軽装で登る人が多すぎるようです。起き然るべき状態が山積みであるのも確かなようです。 小中学校時代ふるさと周辺の登山に憧れ、仲間と山女を手掴みし焚き火で塩焼きしたこともありますが、その時(4月)雪に遭遇した思い出があります。 今あの頃の思いが募って、登山好きのままでなくてよかったと思うわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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