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カテゴリ:心の世界
「時間がない・時間が足りない」と人は言います。私も言います。 そう言いながら相変わらず忙しさに振り回され、時間がない時間がない!と言い続けます。 「時間がない」って何だろう?と立ち止まるゆとりさえありません、つまり何時までも言い続ける結果になっています。 どうして時間がない状況になっているのか?その内容はどのようなものなのか?と考えて、その実態を掴むことができれば、少しは対処もできますが、それができません。 「時間がない」の中身にはいろいろなケースがあります。 ◎処理能力が不足しているために、重要な事柄の実施が十分達成できない ◎やらなくても概ね大きな問題を生じない事柄を多く抱え込んでしまって、重要な事柄に使う時間が足りなくなっている ◎重要度混交状態でありながら、順位を振る処理能力に欠けていて、全部処理しようとするが、結局果たせない ◎能力が不足しているわけではないのに、もっとできる!もっと遣りたい!と言う思いに駆られて、テーマを消化できないほど抱え込む結果になっている それらの各ケースにはその亜型もあるので、パターンはもっと多くなります。 いずれにしても、各ケースで確り分析をしてみれば、問題点が浮上します。それをやらなければ何も進歩はありません。 多くの場合は、分析する時間すらもないか、時間があっても漫然と「忙しいなあやんなくっちゃ!」と思うだけで、考えようとしない、それだとやはり進歩はありません。 ミヒャエルの場合は、「時間が足りない」と常に思っています。 唯、どうして時間が足りないのか?は分かっています。なのに時間不足は続いています。 制限時間内に遣り終える、処理能力を上回るテーマを抱え込んでいるからです、しかもそれは意識的に遣っているので、時間が足りない状況は解消できませんし、ぶつぶつと零す資格もありません。 抱え込んだテーマを熟す(こなす)ために必要な時間と、生涯の残り時間との差し引きをすると「マイナス」になります、つまりやり終えるには時間が不足です。 テーマを削減して次の世があると信じて持ち越すか、テーマを削減して残り時間以内に処理するか、そのいずれかに徹しなければ、問題は解決しません。 自分のことは棚に上げて、一般的に申せば、遣らなければならない事ばかりを抱え込んでいる!と思い込まないで、削るべき事柄を削除し、本当にやらなければならないことを見極めて、処理できるようにしたいものです。 勿論熟す対象を処理する能力は、極力磨いて高めなければなりません。それをしないで時間不足を嘆くのは筋違いです。 時間を短縮するのに、本を読むときよく複数冊を同時に読み進めるのも、有効です。私自身、今は3冊を並行して読んでいます。 そんなことをしても時間は短縮できまい!と思われ勝ちですが、実は違います。関係書物を複数一緒に扱えば、すべての情報が同時に入ってきて、それだけ志向が広がり深まります。 つまりそのための時間が節約できている、という勘定になるのです。
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