カテゴリ:社会・政治
(昨日のつづき) 命を懸けて――といっても過言ではないほど――闘っている人々の話を聞いていて、顔が熱くなってきた。10年弱にわたる闘いにおける不条理の数々の経緯、ここを訪れたフィリピンやパレスチナの人のこと。その日は風が強くて、寒さに凍えそうだったけど、話を聞きながら、そんなささいなことで震えてる自分を戒めたい気持ちになった。 この海に基地が建設されることに反対するために、朝から晩まで、時には夜までも人々は座り込みを続けている。文字通り、自分の生活をも、すべて投げ出して。それが、どんなに精神的につらいか。当事者でなければわからないに違いない。それでも。人々は信念を持って、座り続けている。 座り込みは――海やジュゴンを守るため? もちろんそういう人々も多い。 でも・・・本当は、自分が気持ちよく生きるためだ。 「環境を守ろう」、という言葉はあまり好きじゃない。大人が子どもに道徳教育をするように、この言葉はあまりにも陳腐化されている。ときには、偽善的な響きさえ持つような気がする。自分は、環境の中で「生かされて」いる。環境資源がなければ生きていけないのだから。「環境を守ろう」というと、何か主語がすりかわってしまう。本当は「自分たちが生きる」ために、それを目的に、環境資源を残すのだ。屁理屈かもしれないけど。 それだけではない。そこにいる人々は、海だけを守ろうとしているわけじゃない。 自分が生きぬいた戦争、ベトナム戦争や今行われているイラク戦争のことを思って、櫓に座っている。この地から飛び立っていく人たちが、かの地で人殺しをしている・・・そのことに、耐えられない。この海に基地建設を許すことは、彼らにとって、人殺しに加担することと同じ意味を持つのだ。いや、もうすでに加担している。自分たちはそれを、止められない。けれど、せめて、ここだけでも、守り通したい。罪悪感の中で、生きたくない。だからこの海は、最後の砦。 その気持ちは、私も一緒だった。 この2年間、無残に殺されていく人々の写真を見るたびに、何かしなければ、という思いに駆られていた。でも何をすればいいのかわからなくて、くすぶっていた。何かができるとすれば、この海かもしれない。 そんな気持ちで来たのだけれど・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 23, 2005 10:59:36 PM
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