令和六年能登半島地震を受け、
「僻地、限界集落に住んでいる人は移住しろ」
といった頭のおかしい意見が散見されますが、なぜ、普通に、
「前よりも高品質なインフラで復興し、産業(能登の場合は一次産業か?)を興し、人口を増やそう」
という発想にならないのかといえば、もちろん「財政破綻論」が前提になっているためです。
財政的な問題はない(供給能力はある)ことを理解すれば、
「長期の復興計画を立て、被災地の復興と供給能力の回復の両立を目指そう(目指せます)」
となるはずなのですが、そうではない方々が無駄な知恵を働かせ、「僻地の被災者は移住するべき」と言い出す。ちなみに、「移住」とか言い出した時点で、発想がスターリンです。
『米山隆一は「移住強制」なんていってない。これは「お願い」だ
(前略)今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います。(後略)』(米山隆一衆議院議員・立憲民主党)
これは8日の米山の発言。米山はあたしの夫。この発言について、米山を普段から嫌いな人たちが「今いうことか」「そこに住む人のことを考えない棄民政策」「差別思想」などと一斉に叩き出した。いやはや、びっくりしたのが、リベラルといわれる人たちの言い掛かりの方が多かったこと。(後略)』
リベラルだの、言いがかりだの、抽象論が多いのは置いておいて、とりあえず米山が、
「今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います。」
とXでポストしたのは事実です。この時点で、米山はスターリンと同じことをやっていると自覚するべきです。それほど「移住の強制」あるいは「移住のお願い」も、人の人生にとって重大事なのですよ。
米山は「「移住強制」なんていってない。これは「お願い」だ」などと言っていますが、強制とお願いとの間にどのように線引きをするつもりなのだろうか。「同調圧力」という言葉を知らないの? 同調圧力と強制の間に、明確な線引きができるの?
米山が「移住」などと言い出した理由は、もちろん彼がガチガチの財政破綻論者であるためです。
「日本には財政問題がある。クニノシャッキンでハタンする~っ!」
という固定観念があるため、「僻地に住む方が悪い」的な自己責任論になり、移住などと簡単に言い出すわけです。
そう考えると、被災者に「移住しろよ」と言ってのける米山は、極めて惨めな男だと思います。可哀想に。
本当は、みんなを救えるにも関わらず、間違った認識に基づき、棄民政策を主張して、ボコられる。お前、絶対、女にもてないだろ。
人生、楽しい?
―――――――――――――――――続く――――――――――――――――――
記事タイトル: 棄民政策とコンパクトシティ
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