三橋TVで小林鷹之議員を議員を取り上げたからではなく、小林議員が「そうだ」と断定したいわけでもなく、自民党総裁選挙が近づいているため、本問題について取り上げなければならないと考えました。
わたくしは自分を「保守」だの「保守派」だのと呼んだことはありません。本当に「一度もない」のです。嘘だと思うならば、過去十数年分の動画や文章を全部お調べになって下さい。
というわけで、わたくしに対して「保守派のくせに」という批判的レトリックは使うことはできません。自分で名乗ったことがないのに加え、そもそも、
「日本の保守」
の概念を、誰もが適当に使っている。保守の定義って、何だ? 多くの人は(いわゆる言論人も含め)「反左翼」程度の適当な認識で使っているんでしょ、どうせ。
そもそも、日本の「いわゆる保守」は、極めて不思議な定義に基づいて使われています。というか、過去に(今でも)日本で保守派を名乗っているのは、
「親米保守」(何じゃ、そりゃ!)
という、「ちょっと頭がおかしいんじゃないの?」と思いたくなる連中か、
「しばき型保守」
のどっちかでしかない。
親米保守については、説明がいらないと思いますが、分かりにくいのは「しばき型保守」です。
しばき型保守の政治家は、靖国神社に8月15日に参拝します。結果、「いわゆる保守」と自称している(というか勘違いしている)国民に喝采される。
靖国参拝で支持率を引き上げた上で、
「緊縮財政」
「規制緩和」
「自由貿易」
という、国民を苦しめる政策を推進しようとしてくるのです、この連中は。国民を苦しめる保守。なぜ、そんな奇妙な概念が成立するのでしょうか。
そもそも、国民を救うはずの「保守」と、国民を苦しめる緊縮財政、規制緩和、自由貿易という小さな政府路線が両立するのか。それがね、するんですよ、日本では。
典型が、稲田朋美。稲田は自著「強くて優しい国(※2021年)」で、コロナ対策について、
「支援の方向性は構造改革を進め、生産性を上げるものにしていかなければ、国力が下がるし、創意工夫を阻害する。
そして、モラル低下を起こさない公平な配り方を、デジタルを駆使して行うべきだと提案している。
日本人の強さを信じない、なんの工夫もない支援策には反対だ。」
と、書いています。これですよ、これ。
靖国神社に参拝し、「わたしホシュで~す」とアピールし、「いわゆる保守」系の支持を得て、
「日本人は強い! もっと頑張れる! 政府の支出は削減し、構造を改革し、日本人の強さを引き出すのだ!」
というレトリックで、国民を「しばく」連中を、わたくしは「しばき型保守」と呼んでいるわけですね。
いや、日本人は別に強くないから。というか、人間の強さ弱さに、そんな極端な差が出るはずがないだろ。強さ弱さがはっきりするのは、人間個人ではなく「共同体」だよ。
共同体には、確かに強い弱いがある。かつてはそれなりに「強い共同体」だった日本国を緊縮財政や構造改革で弱体化させ、「日本人は強いから、大丈夫」とやってくるのが、自称保守ならぬ「しばき型保守」というわけです。
以前、(名前は憶えているけど言わない)自称保守の評論家が、
「日本の保守は小さな政府だから」
と言い出して、吃驚した記憶があります。
即座に、わたくしが、
「いや保守に政府が小さい、大きいは関係ないでしょ。国民を救うのが保守でしょ」
と突っ込むと、黙り込みました。改めて振り返っても、凄い認識だな、本当に。
――――――――――――――――――続く――――――――――――――――――
記事タイトル: しばき型保守
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