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カテゴリ:パブデ著「飲酒論」
近頃、生きるとか死ぬとか、そういう意味とか、正常な都会的社会生活を送っている者が語ってはいけないような問題について、ミクシで語り、バーで語り、もしかしたら迷惑がられているかもしれません。 でも、ちょいと青春を思い出して、たまにはそんなことを考えるのも悪くないのじゃないかと思って、できるだけ真剣に向き合ってみようと思っている今日このごろなのです。 そういう生きる意味とか目的とかって、実はない、という結論に達しそうな気配の中、スケッチブックを取り戻しました。 返して、っていうのは、かなり悔しいものでしたけれども。 数日して帰ってきたスケッチブックの白い紙は、まるで何ヶ月ぶりかで味わう「女」みたいなほど清純で、武者震いするくらいなまめかしくて、食べたいほど愛しかったです。 久しぶりに「描く」行為に生きる意味みたいな錯覚を感じてしまいました。 そんな錯覚をまたここに載せられることも楽しみです。 いつ死んでもいい、って覚悟はなかなかできないものです。でも、いつかそんな覚悟ができるほどの酒を飲んで、そんな覚悟ができるような絵が描けたらほんとに死ぬ覚悟ができるのだろうか、などという卵とニワトリとどっちが先?みたいな迷路を探索しながら、いつかゴールに到着するのでしょう。 ほら、画家は死んでからが勝負だから。 生きてるうちにどれだけ売れるかなんて、どうでもいい。死んでからどれだけ売れるかが重要なのだ。そのために、生きているうちにどれだけ修行できるのか、そこに生きている意味があるのかもしれないし、ねっ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年10月07日 00時03分12秒
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