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カテゴリ:Public Relations
ローカル草の根組織(仮にG団体)のPRの件で、PRチームのJと、3時間の仮眠をはさんで朝までメールでやりとりしながらプレスリリースやFact Sheet、Backgrounderを仕上げる。Jも試験を抱えているし、私も金曜日〆切の宿題を書きながらなので、お互い部屋で作業。
Jは広告学部の学部生だが、お父さんがデトロイトのローカル新聞のジャーナリストという環境で育った人で、ライティングスキルは相当高いレベルだと思う。(“思う”、というのは、日本語の文章と違って、英語の文章の文としての良し悪しは、相当はっきりと悪文でない限り、今の私の英語理解能力では判断がつかないから。) ただ、広告が専門だし、3年生の彼女はまだ、広告会社やPR会社でのインターンなどの経験があるわけではないので、PR全体の目的に従ってどこに焦点を持っていくのか、どう筋書きを組み立てるのか、を判断するときに迷うし、実際はずしてくるので、そこをチェックするのが私の担当ということになるのだが、私が英語でリリースを仕上げる力があればそれで済むことであり、Jには気の毒にも申し訳なくも思う。 プレスリリースを仕上げ、とりあえず発行前の最後のOKをもらうために今回のイベントのディレクターをしているG団体のメンバーのひとり、H氏に送る。彼は年の頃は70歳後半だろうか。退職されてもう十数年というところだと思うが、前職は何をされていたかは伺っていない。が、今回のイベントのとりまとめの仕方、他のメンバーとのやり取りの様子から見て(メンバーの大半は60歳代から80歳代である)、仕事をされているときはやり手の個人経営者だったのかな、という感じである。 ・・・なので、安心していたのだ。見通しが甘かったとも言える。そういう人だから、確かに最初のところでプレスリリースを出しさえすればPRだと思っていた節は感じられたけれど、基本の構造はわかってくださっている、もしくはプレスリリースの基本の組み立てはご存知だと思っていたのだ。 送ったプレスリリースに対して彼が戻してきた修正は、リリースの一番上、オーソドックスなフォーマットに従って入れてあった、メディアコンタクトのJの名前とメアドと電話番号を、組織の名前ごとそっくり取り除き、でかでかしたフォントで『Media Contact: (彼の名前) tel. 彼の電話番号』 と書いているではないか。クラスへ出かける直前に受け取ったのだが、ファイルを開いてそれを目にした瞬間思わず『Oh my goodness!!』と叫び声を上げてしまった。 H氏に返事して説明したいところだが、この組織の構造上、またメンバーの中では異例に若いP女史の立場もあるから、それはやめて、とりあえずP女史に嘆きのメールを入れた。 『これはメディア担当という役割に対する、典型的な、でも随分オールドタイプな誤解だと思う。彼がメディア・コンタクトというのはTVに出演して組織を代表する人“ではなく”、黒子であることを理解していてくれたらと切に願うわ。彼は今回のイベント・ディレクターで、その彼自身が自分でメディア対応までやるなんて、たとえ今回私達がたいしたメディアアテンションを惹くことなどできないにしても、物理的にありえないと思うんだけど。だから、世界中どこを探しても、複数のスタッフがいる組織でプレジデントや社長がメディア対応やってるとこなんて存在しないのに。 しかも彼はメディアがコンタクトしてくるわずかなチャンスを利用して、出来る限り“彼らにとって魅力的なネタ”(“私達が出したい情報”ではないことがポイント)を提供する必要があり、それは手間隙かかる事だってわかってくださらないのかしら。その上、今回のPRはG団体にもっと若い世代を取り込もうというのが主眼なわけで、その点でも若くて、きちんとしたJのイメージはピッタリだったから、彼女をメディア・コンタクトにしたのに・・・。 あぁ、でもこれを今彼にわかってもらうのは不可能に近いって(今回のことでよく)わかったわ。もしあなたが「やってもいいわよ」って言ったら、私が彼に説明したいけど。 Pupa with tears and sighs』 スペイン語のクラスを終えて、予定通りP女史のオフィスへ到着したら、P女史が私の嘆きメールにウケていた。彼女はこれまでのやり取りやミーティングの中で、このシルバー世代が中心になってやっているG団体が、専門家や専門家の卵のマンパワーを使い切れていないために発展性がなく、若い世代にとって魅力的な組織では決してないことを散々嘆いていたから、私のあきらめまじりの嘆きメールの少々おどけた調子がおかしかったのだ。 P女史は、『H氏は自分がイベントをやっているという自負があるのにリリースの上に、G団体のプレジデントの名前とコメントはあるのに、自分の名前がなく、彼にしてみれば孫のようなJの名前があって、気に入らなかったんだと思うわ。こういう解決法はどう?Jの名前とコンタクトインフォは残して、H氏の名前をその上に 「イベントディレクター」として入れてあげるのよ。』 さっすが!! リリースのフォーマットしてはありえないのだけれど、この程度のリリースだし、世間に注目されているイベントでも組織でもないし、そんなフォーマットにこだわっているようなレベルではない。リリースを出すことが大切なのだから、それは素晴らしい解決策だ。私もまだまだ修行が足りない、とつくづく思う。P女史のような柔軟な問題解決作戦をもっともっと見聞きしておかなければいかんな、と痛感。H氏の説得にはP女史が電話でのぞむことになった。成功。 Jもクラスを終えてミーティングに加わり、話しながらマイナーチェンジをしてリリースの仕上げをする。3人で散々愚痴ったり慰めあったりして、会社にいる頃クライアントの無理な注文に振り回されている時に似ていて、おかしい。 リリースを刷るのにH氏指定のKinko’sへ行く必要があったから現地でH氏と落ち合う。そこでH氏は、私たちが苦心して多少なりともキャッチーなものにしようとした苦心したリリースのタイトルを、役所のパンフレットにでもありそうな、なんともつかみ所のないフレーズに変えたがる。怒りで言葉を失っているJに変わり、ここは譲れないから説得にのぞむ。粘り勝ち。 しかし戦いはここでは終わらず、H氏、、残念ながらとても魅力的とはいえないディナープログラム(いくつかあるイベントプログラムの一部)の、予約申し込みの住所と金額を含んだ案内のパラグラフがどうしても大事だと主張され、イベント全体の意義を説明している段落とそのテーマを解説しているパラグラフの間にその一文を入れると言って聞かない。ここは結局譲歩せざるを得ず敗退。リリースは、イベントの意義と、組織の世界ネットワークの中で設定されたテーマに呼応した国際経験のあるパネラーによるパネルディスカッションを強調しながらも、ディナーのご案内になってしまう。Jも気を取り直し、二人で説得にあたったが根負けといったところ。 自分たちが力を入れているものが、必ずしもパブリック、ひいてはそのゲートキーパーであるプレスに興味あるものではない。しかも、このテの、決してメジャーではない組織の主催するディナーに、新聞を見てわざわざお金を払って参加しようと思う人はかなりレアだ。ディナープログラムへの参加を本当に動機付けるのは、今回の場合、知人の紹介や勧誘であって、マスメディアではない。イベント全体への参加の動機になるのはディナーでは決してなく、もっと一般的な興味関心を牽けそうなアイテム、たとえばパネルディスカッションなのだが、彼は自分が一生懸命工夫してディナーの手配をしている自負があるだけに、残念ながらその点が理解していただけない。 コピーを終えてH氏と別れ、クルマに乗り込み、ドアを閉めた途端、Jがほとんど叫ぶように毒づく。もちろん私も。Jは自分が書き、すでに二人も相談をして(P女史と私)仕上げたものだけに怒りもいかばかりか。 でもいろんなポイントを理解してもらうのは、本当にほんとうに時間がかかるプロセスで、かつてそういったアイディアややり方に触れた事のない、しかももう考えができあがっていらっしゃる世代の方に理解をしていただくのは、一朝一夕でどうにかなることではない。根は深いのだ。 今回のプロジェクトが終わったら、一連の提案と報告をまとめ、来年のための基本的な活動メニューを書いて残すと約束してある。G団体ばかりのためではなく、私自身のポートフォリオがわりにもなるのだけど、活動の内容を説明するのに、なんともたくさんの前提説明が必要になる。実社会は、草の根活動になればなるほど手順が多くなる・・・というものかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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