朝御飯用のパンが切れてしまい
炊き立てご飯をたっぷり三合炊いたのに
私の分は残らなかったのでお腹ペコペコのプレです。
おはようございます。
納豆ご飯と卵かけご飯とふりかけ。
おいしい?幸せ?
よかったねぇ。君たち。
よかったねえ?o(T△T;)o
では、本文です。
まだ太郎しかいなかった頃、私は優しいお母さんだった。
初めて太郎に大声を上げてしまったのは
多分彼が1歳くらいの頃。
何をしても寝てくれない日が続き
まだママ友もいなかった私は限界を迎えてしまった。
思わず大声で「寝てよっ!」叫んでしまったんですね。
ビックリして泣き出した太郎を抱きしめて
「ゴメンネ。ゴメンネ」と私も泣いた。
今は見る影もない。
つか、アレは本当に私だったの?
毎日私は怒鳴り、ナニかしらで子ザルのうちの誰か
(主に次郎か三郎)が毎日泣く。そんな日々。
こんな毎日、私だって子ザルだって望んでいない。
だから当然、お互いにストレスがたまる。
それでも見過ごすことは出来ないし、放棄することもできない。
投げたしたくなることも沢山あるけど
それをして一番後悔するのは自分だとわかっているからだ。
私は本か何かで見たんだけど
「親は黙って見守ることが
最も重要で最も困難な仕事」
という言葉ではっとした。
「今、言わなければ!」ってついあせってしまうけど、少なくとも
「子供の失敗」で、すぐに治さなければならないことはない。って。
たいていの場合、子供は自分が失敗したことに自覚があるか
もしくは気が付く物だから、大事なのはその時どうフォローするか。
もしくはどう気が付かせるかだ。みたいな話で・・・
私は、いちいち言ってしまう。
自分でも後からなら「細かいなあ・・・」と反省するけれど
その時は「これはダメだろう!」って思うから必死になってしまう。
でも、私だってそうやって子供の注意のしかたで反省するくらいだから
子供だってそれなりに気がついたり反省したりしてるかもしれない。
私が子供に注意するたびに、雅に
「お前細かい!」
「その言い方はナイだろう」
「怒るようなことじゃない」って言われたら・・・
かなりきつい。
実際そういうこともある。
愛情を疑ってしまうかもしれないし
「雅なんかにはわかんない」とも思うだろう。
子ザルだって、同じように思うのではないだろうか。
そして、何よりいちいち言い続け、言い聞かせていると
私自身が疲れ果ててしまう。疲れていればナオのこと優しくできないし
子ザルのサインも見逃しがちになる。
子ザルは不満を持ち、粗野な態度にでてまた何かしら引き起こす。
悪循環とはこういうことだろう。
そう思ってから、私は「三回に一回は見逃す」ことを目標にした。
ただ、見逃して放置するのではなく叱る代わりに明るく接する。
注意するのではない。
例えば、いつまでたっても風呂に入らないとき。
「いいかげんに入りなさい!」と言うのではなく
「ご飯食べようか^^」とだけ伝える。
我が家では食事の前に風呂に入る習慣なので、子ザルの方から
「お風呂は?」と聞き返されたりする。
そしたら
「入りたい?じゃあ、ご飯は待ってるから入ってくる?」と尋ねる。
すると、素直に風呂へ行ったり
「ご飯食べてからにする♪」と返事が返ってきたりする。
次郎が三郎に意地悪してたとき。
「やめなさい!」ではなく
「ちょっとご飯の支度、手伝ってくれる?」と呼んでみる。
三郎も一緒に嬉々としてやってくるので「サブには難しいから無理よ」と
一旦次郎だけを受け入れる。
当然三郎は泣くので、そしたら
「じゃあ、簡単なのをやらせてあげようか?」と、次郎に相談する。
「チビで出来ないのに、お兄ちゃんと一緒にやりたいんだね。」と。
すると、さっき意地悪してたのに「うん^^」と三郎を受け入れ
ともすれば優しく教えてやったりもする。
私は少し手間だけれど、叱るよりはずっとストレスが小さい。
もちろん、いつもこう上手くはいかない。
ついつい声を荒げてしまったり、優しく誘導したつもりが反抗されたり
上手くいくことのほうがずっと少ない。
それでも、やらないよりはずっといい。
そこで気が付いたのだが、これは「子ザルの為」ではない。
「私の為」だ。
私がそのほうが楽なのだ。
「鉄は熱いうちに!!」と焦って注意し、納得させようと話すより
ずっとずっと楽なのだ。
放棄するのではない。完全に目をつぶるわけでもない。
ただ、方法を変える。
簡単ではないけどそれが結果的に子ザルにとっても居心地がいい。
反目することもなく行動できたことで、子ザルの方も
「この方が気分がイイ」ことに気付くようだ。
多分、子離れしてゆくにもそのほうがいいだろう。
子ザルはどんどん大きくなってゆく。
この先もずっと、一生そばをついて回って
「アレがダメ。これがダメ」と言い続けるわけにはいかない。
彼らは自分で経験し、考え、判断して
自分で生きてゆかなければならないのだ。
子ザルたちと密な関係でいられる時間は、多分そう多くはない。
現に、太郎はもう友達といることを選ぶ時間が増えてきている。
どの子も私にはかわいいし、等しく愛しているつもりだ。
でも、子ザルたちにとって私は「一人しかいないお母さん」だ。
独占もしたいだろうし、思う存分甘えたくなるときもあるだろう。
でも、私は一人しかいないし、三対一で分が悪い。
ちっぽけな人間なので「今は無理」と言うときもある。
でも視点を変えれば「三人に一身に愛してもらってる」のだ。
オカンだって人間で、限界もあれば失敗もある。
つい最近、いや、今現在も疲れて疲れてぼろぼろだ。
だけど、やっぱり私は「オカン」でいたい。
だから、自分なりにでも絶えることなく
「愛しているよ」と伝え続けるしかないような気がする。
頑張るばかりじゃなく、力をぬいたり怠けたり。
全力投球だけが方法じゃないと、最近思う。
毎日・毎晩、悩んだり泣きたくなったり怒ったり。
多分、実は子ザルたちとそう変わらないことをしているんだろうから。
育児は育自。
こんなチャンスに恵まれた私は、やっぱり幸せなんだと思うから。
↑そんなこと言いながら、やっぱり怒鳴っちゃう飼育係に渇!