身の丈のしあわせと人生のダイナミズム
※なるべく写真を入れようと思っているのについ忘れてしまう。。。(追加しました!)この週末に友人の行っている子ども向けワークにお手伝いに行った帰りに寄った素敵なカフェ 日野市の「クレア」数年ぶりでした〜(≧∇≦)世の中には恵まれない境遇の人もいるのだから自分が置かれた環境に感謝しなさいというような言われ方をしたことがあるけれど何か腑に落ちないものを感じていた。上を見たらキリがないから下を見て自分の幸せを感じなさいというフレーズにも違和感を感じる。下と言われた人たちにとってまた、「恵まれない」特定をされた人たちにとって随分失礼な話だと思うのだ。自分のしあわせを感じるのに他人の境遇を持ち出す必要はない。自分のことでもたとえば今より大変だったり貧しかったりした時の自分の過去を思い出してみるとその時の自分もたいてい満ち足りていたしそうでない時はそうでない時なりの経緯というものがありそこでの体験を経て次に繋がっていた。つまりその時の暮らしぶりやしていたことはその時の自分にとってベストでいつの時もその時々の自分にふさわしい環境や過ごし方があるだけだ。そして人には「運命」というものがある。とわたしは思っている。ここでいう「運命」とは一般的に使われている「運命」の意味とはもしかしたら異なるかもしれないけれど(?)その人独自の生きる道筋という内面のダイナミズムのことだ。悩みや葛藤があったとしても「運命」として受け入れそこを生きることができれば自分の生き方に完全にフォーカスできそこに他人の暮らしぶりとの比較を持ち出すことは無意味となる。うーん。伝わるかな?今日の記事はちょっと分かりにくいかもしれないけど伝わる必要性のある人に届けばいいなと思っています。