今日のジェンダー論。
今日もいつものように「ジェンダーと社会」の授業へと向かった。途中でチャリのチェーンが外れた。いい加減にセオサイクルに行かなければ。おかげで5分遅刻。今日の題材は「学校教育で男女が区別されていたこと」グループごとに話し合って発表したんだけど、これがまた、出るわ出るわ・・・。制服、体操服、体育、校則、ランドセルなど定番?も含めて何と約50。その中で面白かったものを挙げてみようと思う。○同じ悪さをしても女子は説教だけ、男子はボウズ。ボウズ嫌だ・・・。○女子のみ集められて保健の授業があった。男女別々ではなく、女子だけ居残りだったらしい。・・・修学旅行前に。○テニス部とバドミントン部は「男子お断り」これはウチの中学で実際にあった。弟の代からテニス部のみ入れるようになったらしい。男だってテニスやりたいんだよー!○男子が武道の授業をしている間、女子は家庭科。なぜ体育じゃなくて、家庭科なんだ・・・。とまぁ、こんな感じのがいっぱい出たわけだけど、今日のメインの題材は「名簿」について。自分は小中高は男女別名簿、今は混合名簿なのだけれど、特に性について意識したことはなかった。別名簿が長い間採用されてきたのは、委員会の「決め事に便利」だからという意見が大勢である。しかし基本的に男子が先に来るので刷り込みのように男性優位の意識が根付くことを危惧する人がいるのも事実である。実際にそのような意識が植え付けられるのかは別として、この別名簿が存在するのは世界を見渡しても日本とインドくらいらしい。また、配布された国語の教科書のコピーでは、「お手伝いをする女の子」と「電車ごっこをする男の子」の描写があった。この絵一つ一つに目くじらを立てるのはやりすぎだが、男女の道筋をこのように暗に分けてひいているものの積み重ねというものは性格形成に関わるのでは、という先生の講義であった。-------------------------------------------------------------※ここからは授業と関係ありません。自分の思う事、です。女性管理職というものが生まれにくいのは男性優位の意識の刷り込みによるものが大きいと主張する人は多い。しかし、これは男女の脳の特性の違いによるところが大きい。あの有名な「話を聞かない男、地図を読めない女」には大昔、男は狩りに出かけ、女は家を守る時代の名残が現代の男女の違いに現れている、とあった。男の脳は空間能力、計算能力、トラブル対処能力に優れており、女の脳は主にコミュニケーション能力が非常に優れている。また、マルチタスクをこなす能力も女の方が高い。この結果、生きるのに必死な時代では、男は男の、女は女の役割をこなすことが求められた。ある程度の政治制度が生まれた後でも国民の大部分は農民であったため、男たちは休むまもなく野良仕事に出かけ、女は家の仕事をこなすという役割は変わることはなかった。それではなぜこの政治制度が男性主導なのか?ということだが、これは中学生以上の方にはもはや説明する必要はないだろう。戦を行ったのはだれか、その長はどんな人かだけ考えてもらいたい。それでは「働く女性」が生まれたのはいつ頃からなのだろう?第二次大戦後の目覚しい経済、産業の発展の中で「家電三種の神器」というものが生まれた。テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機である。特に洗濯機の急速な普及により、家事にかかる時間が一気に短縮された。それ以前は男が一日外で働いているのと同じように女は一日中家事に追われていたのだ。服を一枚一枚洗濯板で洗い、炊飯も火加減を絶えず確かめ、風呂もまきを割ってくべることから始まっていた。それが家電製品の急速な普及により一気に効率化されたのだ。この結果「働く」ということに時間を使うことを選ぶ女性も増え始めた。ここからいわゆる男女雇用機会均等法の制定に向けた戦いが静かに始まっていったのだ。その後女性がどのように社会進出していったかは皆さんもご存知だろう。また、管理職に関してもう一つ職業の問題を。先ほどの授業の話で「電車ごっこ」の描写をとりあげた。先生はこのような刷り込み・サブリミナルプログラミングが男女の性格形成に影響しているとおっしゃっていた。しかしそのような教育もされていない、理解もできない幼稚園の卒園アルバムをのぞいてみて欲しい。男の子の夢はパイロット、野球選手、電車の運転手。女の子の夢はお花屋さん、ケーキ屋さんなどが多いはずだ。彼らは幼少期から潜在意識として本能的に備わっている能力を理解しているのだ。(得意→やりたい が必ず成り立つとは限らないが。)小学校の教育はこの潜在意識を顕在意識としているのであって、多くの子供が自然にこのような考えを根底に持っているのである。※長々と書いてきましたが、これはあくまで一般論であり、「こうあるべ き」ということではありません。このような人が多い、というだけです。